
死んでもどうにもならない、かといって何のために生きているのか…
何をしていいのか分からなくなり自分自身を見失いかけていた時に目にした詩です
「坐る」の最初の一文(坂村真民さんの詩)
「死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある」
その時の私の心境そのままでした
身近に私の気持ちを理解してくれる人がおらず、一人悩んだ時がありました
当時「人に理解してもらおうとするのが間違っている」と言っていた主人…
主人はそういう環境で育ってきたのでそう思うのも仕方がありません
「明日を思う心が出てくるまで坐ってくる」
自分の心と向き合うと、求めすぎていた自分に気付きました
あんなことを言っていた主人も変わってきました
基本的な考えは変わっていないようですが、今は私の事を理解しようとしてくれている主人に救われています
何をしていいのか分からなくなり自分自身を見失いかけていた時に目にした詩です
「坐る」の最初の一文(坂村真民さんの詩)
「死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある」
その時の私の心境そのままでした
身近に私の気持ちを理解してくれる人がおらず、一人悩んだ時がありました

当時「人に理解してもらおうとするのが間違っている」と言っていた主人…
主人はそういう環境で育ってきたのでそう思うのも仕方がありません
「明日を思う心が出てくるまで坐ってくる」
自分の心と向き合うと、求めすぎていた自分に気付きました

あんなことを言っていた主人も変わってきました
基本的な考えは変わっていないようですが、今は私の事を理解しようとしてくれている主人に救われています

心の病を持ってる方は普通に理解しがたいことを考えてしまうでしょう。
たとえば、「私なんか生きていても・・・」とか「いっそ死んだほうが・・・」と。
家内も時々「ウツ」の状態になることがあります。
以前はもっとひどかったのですが、最近はいろんなことに気分を紛らわしているようです。
私も昔は出来なかったのですが、最近は家内の話をどんなことでも、決して否定しないで聞けるようになりました。
沈み込まないで「じゃあプラス思考にどうやったらなれるか一緒に考えよう」といいます。
今は、殆ど普通の生活が出来ますが、たまに「ウツ」ちゃんが顔を見せたりするくらいです。
がんばれって言葉は禁句ですが、「今日もイキイキ」さんも一緒にプラス思考になるように考えましょう
「一緒に考えよう」
この言葉にはporcoさんの優しさが感じられます
理解してくれるporcoさんが側にいてくれるだけで奥様の気持ちは随分軽くなられているのでしょうね
最近では、私の「うつ」のスイッチが入ると、主人もそれを察知してうまく対応してくれるようになりました
ふと病気も悪くないかな~と思う時があります
2人とも健康だったら夫婦仲は今ほど良くないような気がします