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2013年7月読書(2)

2013-07-31 19:36:32 | 感想
⑦「シアワセノカタチ-39歳からの不妊治療-」ルミコ(著)


39歳から43歳までの著者の不妊治療について書かれています。
著者は願い叶わず子供を授かることはできなかったですが、この治療期間の心の葛藤等が私とよく似ていて共感してしまいました。

不妊治療のこと知っている知人に「できるまで頑張るんでしょ?」と言われた。

(引用開始)
20才までちゃんと育てられそうにない状況なら、勇気を出して諦めるのも運命でありまだ見ぬ子への愛情である。
高齢夫婦のもとに産まれて兄弟もなく…
(引用終了)

私も同じことを思っていました。
私は今年40歳、筋腫の再手術の心配もある。
治療費も高額である。

「親はなくとも子は育つ」

と言いますが、昔のように、まわりの誰かが子供を面倒をみてくれたりして、どうにか大きくなっていくということはほとんどありません。
子供を授かり産むことがゴールではなく、そこから20年近くの子育てが親の責任だと私は思う。
堅苦しく考え過ぎかしら?

私は短命家系なので、長生きできる気がしません。
もし、子供を授かったとしても、年齢や筋腫のこともあり一人っ子の可能性が限りなく高い。
母が亡くなった年齢に私がなった時、子供はまだ高校生
父が亡くなった年齢に私がなった時、子供は20代前半
もし、若くして一人ぼっちになった時、子供は大丈夫だろうか?

また、子供を育てるってかなりの体力が必要だと思います。
子供と遊びたくても、何かをしてあげたくても20代、30代の親のように活動的にはできません。
そして子供が思春期の頃は、更年期真っ只中
実母が更年期障害で苦しんでいるのを見ていましたので、子供の思春期の時にそんな状態になれば子供も親も大変…

不妊治療をしながらこんなことも考えていました。
そして私なりの結論として、41歳の正月を迎えるまで頑張ろうと思います。
つまり41歳で母になれなければ区切りをつけようと思っています。

(引用開始)
痛みという痛みを知らずに生きてきた私はきっと人生には頑張っても手が届かないものがあって、どうしようもないことってあるんだよってことを勉強するために今を過ごしているんじゃないかって

子供が生まれたことは、長い夫婦の歴史の中のひとつのエピソードで。
子供が生まれるというエピソードがなくても、夫婦の歴史は空白になるわけではなく…
(引用終了)


確か、里親シンポジウムでも似たようなことを話されていました。

「『血のつながり』『お腹を痛めて産んだ』ということは、親として一つのエピソードになることはあっても必須ではないと思います。」


もし、子供を授からなかったとしても、夫婦二人の生活はこれまでと変わらない。
願いが叶わなかったとしても夫婦にとってマイナスなことではない。


病気や不妊治療が、人生を深く考えるきっかけとなり、辛く苦しかった日々も少しずつ前向きに考えられています。

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