誰かに認められたいという承認欲求は誰にでもあると思う
私もある人(Iさん)に認められたいと思って頑張ってきた
でも、ある日気がついてしまった
薄々は分かっていたことだけど…
これまでも何回もあったけど、自分の中で否定していた
だけど、今回ではっきりした。
Iさんは私に嫉妬している
私のことを応援していると言ってくれていたが、内心は違うのだと…
私のことを「娘のように思っている」といつも言ってくれる
これまでは、そんなIさんに少しでも認めてもらいたいと頑張っていた。
でもある日、決定的な出来事があり私の糸は切れた
私は誰のために生きているの?
Iさんに認められなかったから私の人生は終わるのか?
誰かの言いなりになって、うまくいかなかったとして、その人は私の人生の責任をとってくれるの?
恫喝され、どうしようもなく誰かの言いなりになったとしても、それに逆らわなかったという選択をしたのは自分だ。
自分の人生は自分しか責任をとれない。
「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」
これは、ユダヤ教の教えだそうです。
このことに気づいた時、勇気が湧いた。
断る勇気はまだまだ小さいですが、自分の人生に責任を持つためにも自分自身を見つめなおし強くなりたいと思う
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