今日も日々是好日

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

夏までにMT車運転

2011-04-12 11:48:33 | 日記(~2023年)

19歳でMT車の免許をとり、24歳になるまではAT車を年に数回運転する程度
25歳で愛車(AT車)を購入し、結婚するまでの6年間は毎日のように運転
結婚してから昨年末までの約6年間は病気の為、車の運転は控えていました

そんな私が今、MT車、練習しています
週1~2回、1回につき10分程度ですが…

乗り始めの頃は、エンストばかりで主人にかなり怒られました

乗っている時は運転する事に必死で、主人に言われた事をすぐに理解・実行する事が出来ず、
家に帰ってきて、2人で復習(反省会)です

そのおかげで、今では発進時にエンストすることはなくなり、だいぶんスムーズに運転できるようになりました
20年ほど前の教習所でいう第2段階レベルでしょうか…

次の目標は坂道発進です


AT車との一番の違いはアクセルの感覚です
AT車ではゆっくり踏み込みますが、その感覚でアクセルを踏むとエンストしてしまいます
クラッチ操作に慣れていない事もありますが…

そして今までのAT車に慣れてしまい、左足と左手が退化していることを実感

夏くらいまでに公道を走れるようになりたいと思います

目指せ!格好いい女性ドライバー

その車はMT車

2011-04-11 16:34:09 | 日記(~2023年)
この不況でかなり家計が苦しいです

この2年ほどで、主人のお給料は年間150万円以上ダウン
いろいろ節約してきましたが、大きな決断を迫られるのも時間の問題かも…

我が家には愛車「セレナ号」があります
私が病気の時は、思うように外出できなかったので、
主人がセレナ号でいろんなところに連れて行ってくれました
また、主人の実家家族と出掛ける事が月2回ほどあり、セレナ号は大変活躍しています

手術後、私自身も車(セレナ号)を運転できるようになり、もともと車の運転は好きですので、
手放すことなんて考えもしませんでした

しかし、手術後、公共交通機関を利用して、自分が行きたい所へ行けるようになったことと、
主人の会社で、数ヶ月前から使用頻度が少なくなった車があることから、
「セレナ号」を手放し、その車をお借りして使用料を支払ってはどうかという案を主人が提示してきました

車の維持費等計算すると、ビックリ

車検(2年に1度) 約200,000円
自動車税(年間)  39,500円
保険(年間)    32,000円(車両保険なし)
駐車場代(月間)  18,295円(マンション敷地内)
ガソリン代(月間) 約7,000円

一ヶ月に約4万円も必要だということが分かりました

主人の会社は我が家から徒歩5分程度の距離なので、
すごく不便になるわけではありません
商用車なので、5人乗ると窮屈ですが、主人実家家族と出掛けるのは近場が多いので、
これも特に問題ではありません

主人の案に賛成ですが、私にとって1つ大きな大きな問題があります

まだ決められない(選挙)

2011-04-10 11:15:56 | 日記(~2023年)
昨日、○川区を歩いていると、

「大阪維新の会の橋下徹です」

という声が聞こえたので、声のする方を見ると、
自転車に乗った男性が私に向かってダッシュしてきました

白い手袋を脱ぎ、握手をされました

維新の会の候補者で、かなりのイケメンでした

「私は○川区の住民ではないので、あなたに投票する事はできないけど…」
と内心思いながら

「頑張ってください。大阪を変えてください」
とだけ言いました

その場に知事はいませんでした

若い男性と手を握られたのって何年ぶりだろう…
余韻に浸っていると、主人が「おばさんをターゲットにしてるんやろな~」と


ともかく、今日は選挙の日

私が住んでいる区では共産党の方の人気が高いです
なぜなら、それだけ我が区で実績を残されているからです

さて、誰に投票しましょうか

来世を楽しみに

2011-04-08 12:32:52 | 日記(~2023年)
また、深夜に東北地方で大きな地震があり、被災されている方々の心中を思うと胸が痛みます。

東日本大震災で被災された方々の中には、自分が助かってしまった事、
傍にいた人を助けられなかった事に罪悪感を持ち苦しんでおられる方も多いようです。

この震災で大切な人を失ったことの悲しみ・辛さだけでなく、
罪悪感と共に生きていくことの辛さは想像するだけでも胸苦しくなります。

どうサポートしたらその心の傷が少しでも癒せるのか…


もしかすると不快な内容になるかもしれませんが、私が思った事を書かせていただきたいと思います。

地震が起きる前の2011年3月1日のブログに書いていますが、
この度の震災でお亡くなりになった方々はそういう宿命だったのだと思います。
生き残った方々は生き残る宿命だったのだと思います。

真面目に生きてきたのに、なぜこんな惨いめに合うのか?
人を蹴落としてきた人が、なぜこんなに長生きするのか?

生きる事に理不尽さを感じた事はありませんか?
それはやはりそういう宿命なんだろうと思います。
(なかなかそんなに単純に割り切れませんが…)

「病気で死ぬのか?」「災害で死ぬのか?」「事故で死ぬのか?」「もしかすると、将来自殺してしまうかもしれない?」「もしかすると殺されるのかもしれない?」

自分はどうやって死ぬのだろうか、何歳まで生きれるだろうかなど考える機会や、
病気や死を小さい頃から身近に感じる機会がほとんどない環境だと、
歳と共に死という現実を受け入れることに抵抗を感じ、受け入れるまでに時間がかかります

受け入れられずに苦しみ、受け入れてなお苦しみ…
人には宿命というものがあることを知れば、苦しみも少しは和らぐのではないかと思います

実母が亡くなった時、なぜかまたいつか会えるような気がしました
たまに母のリアルな夢を見たり、
「前世療法」ブライアン・L・ワイス(著)山川鉱矢・亜希子(訳)
「前世と守護霊がわかる本」 あいはら 友子(著)
を読んで、ほぼ確信に近づきました

現世で深い縁があった人とは、過去にも未来にもつながっていると思うのです
現世ではもう母と会えないけど、来世ではどんな形で再会できるのか私は楽しみにしているところがあります

死んだら終わりではありません
今、日本中、世界中の人が被災された方々のことを祈っているように、
この度亡くなられた方々もあの世からも皆に笑顔が戻るように祈っていると思います

3月読書

2011-04-07 09:58:15 | 感想
今年に入ってから読書ができていません
雑誌のようなものは読んでいるのですが…

3月も1冊のみ
それもマンガコミックです

「30分でわかる マンガあの世のヒミツ」さとうふみやプロデュース

コンビニに立ち寄った時に思わず買ってしまったコミック本です
死後の世界や前世について興味がありますので、これまでにも関連の本を読んだりしていました

題名に惹かれて買ったのですが、家に帰って本に挟まれている広告を見ると、
発行所が“幸福の科学”となっているではありませんか

買ってしまったものは仕方がない…
読んでみると、体験談等がマンガ化されており、
今まで私が読んだ死後の世界の本の内容とほとんど変わらず、
死後の世界の存在をまた少し確信しました

また、本のところどころに見開きで死後の世界の説明や「あの世」を取り上げた映画の説明などもされています

そして、霊的人生観についても書かれています
その中で私が印象に残った部分を紹介します

今日死ぬと思って伴侶に手紙を書くという「最期のアリガトウ」というセミナーの後、
30代の女性が主催者に近づき離婚届を取り出し言った言葉

「離婚するつもりでした。でも、わかったのです。
 足りないのは彼の愛ではなく、私の感謝だったのですね

私も求めてばかりだな~と反省です

地震について思う事(3)

2011-04-05 10:38:32 | 日記(~2023年)
今日は「原発事故」について考えたいと思います

地震や津波は天災ですが、原発事故は明らかに人災だと思うのです

1979年3月28日、スリーマイル島原子力発電所事故
1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故

過去にこれだけの大きな事故が起きているにもかかわらず、
まして日本は世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、
快適な生活を望み、消費電力はますます増え、効率のよい原子力発電に頼らないと生活できないようになってしまった

今回、最初の事故で廃炉にする対応をしていればここまで被害が拡大しなかったと思う
廃炉だけはどうしても避けたいという対応が裏目に出ている
危険性を分かっていながら、諦めきれない人間の欲による災害かもしれません


昔は、使わない電気を消すのは当たり前だった
昔は、テレビは家庭に1台が当たり前だった
昔は、自分の部屋などないから、家族が同じ部屋にいることが当たり前だった

20年位前、“うちは貧乏”だと言っていたお家にお邪魔したことがあった
しかし、各部屋を冷房でガンガンに冷やしていたのにはびっくりした

マンションやビルが多い大阪では夜でも煌々としています
防犯のためとはいえ、夜間はもう少し明るさを抑えてもいいのではないかと思う

2日前に「地球は生きている」と書きました
原子力発電で使用済みの核廃棄物は地中深くに埋めるらしいです
地球からしたら、人間が作った危険な廃棄物を身体(地球)の中に勝手に入れられたということになります

もし、自分の家の中に他人が勝手に爆弾を埋めたりしたらどう思いますか?
誰でも怒りますよね?

人間の欲が人間を脅かすものであることを地球が警告しているようにも思います

快適な生活を望むのは悪い事ではないと思うのですが、
もっともっと…という人間の欲だけでなく、地球全体、生きている動植物、
環境のことも考えた行動を心掛けるだけでも大難は小難になると思うのです

地震について思う事(2)

2011-04-04 09:47:50 | 日記(~2023年)
今日は「津波」について考えたいと思います

1896年 6月15日、明治三陸地震による大津波
1933年 3月 3日、昭和三陸地震による大津波
1960年 5月22日、チリ地震による大津波
2004年12月26日、スマトラ島沖地震による大津波
2010年 1月12日、ハイチ地震による大津波

東北地方は日本の中でも津波の恐ろしさを知っている人が大勢いたはずなのに、
津波警報が出ても避難されなかった人もいたようです

某新聞の読者欄に被災された方からの投稿がありました

「逃げる際、〝早く避難しないと津波がくるよ″と言ったら、
 “俺は泳ぎが上手いから”と言って避難しなかった隣人の行方が分かりません…」


(引用開始)
「此処(ここ)より下に家を建てるな」

1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、
住民が坂の上で暮らしてきた地区では(岩手県宮古市、重茂半島東端の姉吉地区)全ての家屋が被害を免れた。

地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まり、住民たちは改めて先人の教えに感謝していた。
(引用終了)

先人の教えを守るのは簡単ではないと思うのです
人間って、自分の都合のよいように生活したいと思ってしまいがちです

坂の下に家を建てたらもっと日常が便利になるのに…
いつくるか分からない津波のために不便をするのは…
自分だけは大丈夫・なんとかなる(という根拠のない自信)…

先人がどういう思いでその言葉を残したのかを考えることが大切だと思うのです


海外ではあるけれども、2004年、2010年の地震による大津波映像は記憶に新しく、
津波の恐ろしさやその後の悲惨な状態をテレビで通じて知ったにもかかわらず、
どこか他人事のように思い、時間と共にいつの間にか記憶から薄れてしまっていたように思います

地震や津波も避ける事ができないと思います
しかし、心の片隅にでも先人の教え(思い)、過去の映像の記憶があれば、災害は少なくできるように思うのです

地震について思う事

2011-04-03 11:25:18 | 日記(~2023年)
この度の大震災で私が思った事を書きたいと思います

「何を偉そうなこと…」と思われるかもしれませんが、
このブログを読んでくださっている方にも是非一緒に考えていただきたいと思います

2011年3月11日、東北太平洋沖地震、津波による大災害、原発事故が起こりました。

まずは「地震」について…

この度の地震は、地震を研究している専門家でさえ「想定外の大地震」と口を揃えて言っています

88年前、関東地震(関東大震災)が起こりました
16年前、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起こりました
そして先月、東北太平洋沖地震(東日本大震災)が起こりました

どんなに技術が進歩しようとも、どんなに地震のことを研究しても
人間が100%完璧に地震を想定する事なんてできるのでしょうか?
人間が地震を起こらなくすることなんてできるのでしょうか?


日本はプレートの境目が集中しています
プレートとは関係のない場所に住んでいても、直下型地震が起こる可能性があります
日本では地震に遭う確率が他より高いだけで、地球に住んでいる限り地震は起きるのです

地球が生きている限り、地震は起きます
もしここで「地球が生きている」ことに疑問を持たれた方は、地球の歴史を振り返ってください。
地球が生きていなければ、人間は存在していないでしょう…


地震は避ける事ができないことを忘れてはいけないと思います
このことを認識するだけでも災害に対する心構えが変わっていくと思うのです
そうすると地震による災害は小さくする事が出来ると思うのです