①「今、この身で生きる」大河内 大博(著)
著者は浄土宗願生寺副住職、つまりお坊さんです。
私は常々疑問に思っていたことがありました。
キリスト系の病院はあるのに、仏教系の病院がない(知らない)。
私が子宮筋腫の変性で入院した病院はホスピスあるキリスト系の病院でした。
院内には教会があり、定時になると仏教でいうところの法話のようなものが院内放送で流れていました。
また、入院してまもなく牧師さんが挨拶にこられました。
医師、看護師、スタッフ含め院内全体が温かい雰囲気で、癒されたことを今でも覚えています。
お坊さんも人の心を癒すという点では牧師さんと同じ
それなら、お坊さんが人の苦しみを聞いたり、癒したりする病院があってもよいのでは?と思うようになりました。
この本を読んで初めて「ビハーラ」というものを知りました。
ビハーラ(vihāra)とは、サンスクリット語で僧院、寺院あるいは安住・休養の場所を意味します。
末期患者に対する仏教系「ホスピス」または苦痛緩和と癒しの支援活動をさします。(ウィキペディアより)
医療や福祉の現場では、「老い」や「病い(けが)」に直面し、自分の存在に関わる「根源的な痛み(スピリチュアル・ペイン)」 に苦しむ人が多く存在します。また、家族や近親者の「死」に直面し、「喪失による悲嘆(グリーフ)」にくれる人も数多くいます。そうした苦しみ・悲しみに寄り添いケアを行う仏教者の活動をビハーラと呼んでいます。(NPO法人ビハーラ21 HPより)
著者は病院で末期患者さんの苦しみや悩みを聞くそうです。
病院スタッフに言えない苦しみなどを話してくれることもあり、それがフィードバックされて治療に役立つこともあります。
結論は言わない、自分の考えは言わない、ただひたすら聞くのだそうです。
患者さんは話すことによって、患者さん自身が心の整理をしていく。
患者さんの意志を尊重し、患者さんの心の整理のお手伝いをする。
消極的な活動に思えますけれども、それで患者さんは納得し、癒されていくのです。
日本にはまだまだビハーラを併設した病院は少ないです。
葬式仏教というイメージから、生きている人間にとってお坊さんは縁遠い存在なのかもしれません。
でも、本来は生きている人間を救うためにお坊さんが仏(お釈迦さま)の教えを広めていたはず
「ホスピス」と同じくらい「ビハーラ」が広まるといいなと思います。
著者は浄土宗願生寺副住職、つまりお坊さんです。
私は常々疑問に思っていたことがありました。
キリスト系の病院はあるのに、仏教系の病院がない(知らない)。
私が子宮筋腫の変性で入院した病院はホスピスあるキリスト系の病院でした。
院内には教会があり、定時になると仏教でいうところの法話のようなものが院内放送で流れていました。
また、入院してまもなく牧師さんが挨拶にこられました。
医師、看護師、スタッフ含め院内全体が温かい雰囲気で、癒されたことを今でも覚えています。
お坊さんも人の心を癒すという点では牧師さんと同じ
それなら、お坊さんが人の苦しみを聞いたり、癒したりする病院があってもよいのでは?と思うようになりました。
この本を読んで初めて「ビハーラ」というものを知りました。
ビハーラ(vihāra)とは、サンスクリット語で僧院、寺院あるいは安住・休養の場所を意味します。
末期患者に対する仏教系「ホスピス」または苦痛緩和と癒しの支援活動をさします。(ウィキペディアより)
医療や福祉の現場では、「老い」や「病い(けが)」に直面し、自分の存在に関わる「根源的な痛み(スピリチュアル・ペイン)」 に苦しむ人が多く存在します。また、家族や近親者の「死」に直面し、「喪失による悲嘆(グリーフ)」にくれる人も数多くいます。そうした苦しみ・悲しみに寄り添いケアを行う仏教者の活動をビハーラと呼んでいます。(NPO法人ビハーラ21 HPより)
著者は病院で末期患者さんの苦しみや悩みを聞くそうです。
病院スタッフに言えない苦しみなどを話してくれることもあり、それがフィードバックされて治療に役立つこともあります。
結論は言わない、自分の考えは言わない、ただひたすら聞くのだそうです。
患者さんは話すことによって、患者さん自身が心の整理をしていく。
患者さんの意志を尊重し、患者さんの心の整理のお手伝いをする。
消極的な活動に思えますけれども、それで患者さんは納得し、癒されていくのです。
日本にはまだまだビハーラを併設した病院は少ないです。
葬式仏教というイメージから、生きている人間にとってお坊さんは縁遠い存在なのかもしれません。
でも、本来は生きている人間を救うためにお坊さんが仏(お釈迦さま)の教えを広めていたはず
「ホスピス」と同じくらい「ビハーラ」が広まるといいなと思います。