地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

友遠方より来る

2006年05月02日 | rwanda
高校の同級生が「ホンマに来てもうた~」といいながら
遥々ルワンダに遊びにきてくれました

ほんとに遥々

彼女がいちいち驚くことが新鮮で
私も最初はそう思ってたなぁと思いながら
いつの間にかいろんなことが当たり前で
「アフリカ化」している自分に気づく

たとえば頭の上にモノを乗せる人たち
すんごい重い おっきいモノも乗せてる
オリンピック競技になったらけっこういい線いくんじゃないかというくらい
恐るべしバランス感覚
そのせいで彼らの背筋はぴんと伸びている

彼らにしてみれば 重たいものを手でかつぐより
頭に乗せることの方が自然で
それこそ「ていうか何で手で持ってんの?」と言われそうなもんだ


たとえば ルワンダにものすごい人がいること
「なんで夜にこんな人おんねん!家帰りーやー」とブツブツいう友達

人口密度が世界有数と言われるこの国では
行くところ行くところ 常に道路に人がうじゃうじゃいる
どんな農村でも 人がいない風景というのがない
その人たちがみんな外に出て
仲間と話してたり
ぼーっと立ってたり
たまに真夜中なのになぜか走ってたり

「しかしめっちゃ多いわ ヒト」と友達
「だって家は電気ないからさ 暇なんだよ だから子どももいっぱいできちゃうというわけよ」と私


たとえば 私たち外国人を見たら じーーーーーっと見つめずにいられない人々
私は今では天皇陛下みたいか どこかのセレブみたいに 
すぐに手を振ってしまう

たとえば 道路を横断するヤギや牛
歩行者は優先しないけど ヤギは優先する


たとえば その貧しさ

土壁の家 ボロボロの服を着た裸足の子どもたち
そういえば 最初は なんて貧しいんだろう
なんでこんなに世界は不公平なんだろうって思った
いつの間にかそんなことも全然考えなくなってて
逆に この間日本に帰ったときはその発展ぶりに唖然としてしまった


そして 使用人の扱い
うちには門番と
掃除・洗濯をしてくれるハウスボーイがいて
仕事で帰りは遅いし 洗濯機もないから いつも甘えてお願いしている
友達は慣れなくて 自分で洗濯していた

私も初めてアフリカに来た頃
日本人の家にメイドさんがいて
「なんで主婦のくせにメイドを雇うのだ?!」と不満に感じた

でも門番は必要だし 
ハウスボーイは この失業率の高いルワンダで
就職口を一個増やしてあげる慈善事業みたいなものだと思って雇った

でもいつからか 私の態度は明らかに「使用人」に対するそれに変わっていった
日本だと 万人が同じレベルで 階層なんて殆どないし
清掃婦のおばちゃんだって もっと言えば乞食だって みんな平等

今では 「仕事をしてもらうのは当たり前
だってお金を払ってるんだもの」と受け入れるだけじゃなくて
いつの間にか このろくすっぽ教育を受けてなくて 
英語もフランス語もできないで
一日中ぼーっとして
私に解雇されたら路頭に迷ってしまう人たちより
自分の方があきらかに崇高な人間だと思っている

もっと怖いのは 彼らに対して
「ありがとう」という感謝の言葉が出てこなくなってしまっていることだ


そんないろんなことを気づかせてくれた友達が
こそっと隠していったお手紙を昨晩発見した
(あまり自分で掃除しないから 危うくいつまでも見逃すところだった)

アフリカを見たいと思ってくれる日本人がすごく少ない中
大切な友達が 遥々来てくれたこと
来てよかったと言ってくれたことが すごく嬉しい
普段 私に対してなんか厳しいけど(笑)
自分を認めてくれてるみたいで嬉しかったです

遥々ルワンダまで来てくれた彼女に私はぜんぜんお金を出させなかったけど
彼女はいろいろ感謝して
壱万円を残していってくれた

日本に帰ってから返そうと思ったけど
なんかそれもかっこ悪いから
大虐殺の孤児の奨学金として寄付することにしたよ じゅんちゃん