1周年だからって、特別な日ではなく、いつもいつも心を痛めて、心を寄せているのは皆同じだろうけれど、
写真や映像を見たり、当時の気持ちを思い出しながら、
改めて述懐。
以下が私のバージョン。
日本に居なかったから、映像もオンタイムで見ていない。
震災発生2週間後くらいに現地に入って見たその荒廃した姿は、
私の目には戦後の映画みたいに映って、
なかなか心にずしんと落ちていかなかった。
ほんとうの恐怖と悲しみは私には一生わからない。
そして、こういう衝撃に対する私の感受性は普通の人より鈍くなっているのも確か。
毎日ハイチの状況を目の当たりにして、
常にナイーヴな自分と慣れてしまった自分が共存している。
世界のあちこちで起こっている事実は、
常に心に痛ましい。
それにしても、あの状況下での日本人の冷静さ、我慢強さに言葉にならないほどの衝撃を受けた。
避難所は常に、しーんと静まり返っていた。
いつも海外の現場で対応しているカオスはどこにもなかった。
怒鳴り合ったりするような場面に一度も遭遇したことがなかった。
想像を絶する深い悲しみの中、誰もが自分を後回しにして、周りを思いやって、淡々と自分の持ち場を守って働いていた。
あの東北の人々の強さは、何よりも心に響いた。
人間という生き物はここまで強くなれるのか。
原発に対する日本全国の冷静さも、もっと大騒ぎしている外からみると奇妙に映った。
ルワンダや、ハイチの、絶望の中でもただ生きることに貪欲な、野性的な resilience とも、
スリランカでの、恐怖と悲しみを口にすることも許されない沈黙の中の resilienceとも違う。
他人を思いやり、一瞬にして周りと一つになり、個ではなく集団で確実に前に進もうとする、極めて崇高な resilience。
おそらく、民族としては、世界で唯一の能力。
その土台に経済力とテクノロジーが融合する、スピード復興。
仮設住宅、道路、瓦礫除去と、次々と物事が動き始める。
なんという国、と舌を巻いた。
こんなときに私はまたハイチに戻っていいのかと葛藤したけれど、
エゴイストではいられない。
ここは私が居なくてもと自分に言い聞かせた。
今でもその葛藤は消えないけれど、
今はハイチで一生懸命働くことで、その葛藤を消そうとしている。
少しでも辛くなって、甘えそうになったら、
東北の彼らを思い出して、
自分を奮い立たせる。
だからお手伝いするどころかすっかり支えられている。
いつか恩返しする日が来ることを願って。