内容の濃かった今回の大阪の旅。
おばあちゃんに会うだけでなく、
高校の友達とその3週間の新生児に会ったり、
中学・高校と寮生活を共にした仲間たちに会ったり、
新しく立て替えられた真新しいイトマンのプールと寮に行ったり、
名古屋で途中下車して、中高の同級生と日帰り温泉ドライブ。
約束していたご飯の約束までだいぶ時間があったので、
後輩に連れられて久々の近大プールへ。
よく考えたら、おそらく15年くらい訪れていなくて。
そんなに経つのに、あの重苦しい雰囲気が、プールが近づいただけで思い出された。
6年間、毎日毎日、朝5時くらいから来て真っ暗なプールの電源を入れて、
先輩たちとコーチが来るのを待った。
年功序列が厳しかったから、先輩より先に来ていなくてはいけなくて、
5分ごとくらいに年の順番に選手は到着していた。
だから一番下のときは、6時からの練習なのに5時5分くらいに着いていたというわけ。
朝から泳いで泳いで、
朝練が終わった後は、次の練習までまだ時間があるから爽快で、
チャリンコに乗って寮に帰って朝ご飯を食べて、
学校に着いてから、午前中はまだいいけれど、
お昼ご飯くらいからもう気分が重くなる。
すぐに重たい足取りでまた戻って、
また泳いだ日々。
プールの底を見て、何千回と往復した。
毎日全力だった。今みたいに、今日はエアロビクスの日(強度は低く、たくさん泳ぐ)、とか、そういう時代ではなかった。
練習が厳しくて、楽しい時間なんてなかった。
自分は何というところで6年間を過ごしたんだ、と、少しぞっとした。
よく耐えたなぁ。
あの頃の辛さに比べると、何でも屁みたいなもんだ、と、当時のチームメイトはみんな言うんだ。
練習中は私はいつも怒られ役で。
怒られても全然臍を曲げたりしなかったから、いつも代表で怒られた。
タイムが遅いと、大抵は練習を追加とか、やり直しさせられるんだけれど、
たまに嗜好を変えてコース台の上に正座させられることがあって、
このときは泳がなくていいから嬉しくてたまらなかった。
怒られているのに、笑みが出てしまって。
で、久しぶりに座ってみました。↓
しんどかった。その一言に尽きる。
でも、あの辛さに耐えたことは、多分、私の人生でとても大きな価値がある。
その後、他の後輩たちの待つ、花園町の『ひげ勝』へ。
ここは、後輩の一人のお家がやっている串カツ屋さんで、ごっつい美味かった!!!
みんなのトークも面白過ぎて、久しぶりに腹を抱えて笑った。
当時、プールではそんなに笑っていないと思うんだけれど、
寮ではいつも大笑い。
むちゃくちゃ仲良かった。
私の一つ下のトントンの話。
トン「いもっせんぱいに、中学のときに悪いこと教えられたんですよ」
私「えっ 何やったっけ?炭酸飲むとか?!笑」
トン「ちゃいまんがな。中学校から寮に帰るとき、大通りを通るとたまに先生たちの車とすれ違って見つかるから、すっごいほっそい路地を教えてもらったんですよ。人ひとり通れるくらいの」
私「覚えてない。ほんで何すんの?」
トン「で、その道を歩きながらアイスを食べるんですよ。道が終わるまでに食べ終わらなあかん、って言われて。」
全員大爆笑・・・
むちゃくちゃ濃い6年間。
私の人間形成に多大な影響を与えた日々。
みんなとまた会えて良かった。
あの経験を活かしてお互いがんばりましょうね!