地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

15年後の恐怖心

2013年01月20日 | japan

内容の濃かった今回の大阪の旅。

おばあちゃんに会うだけでなく、

高校の友達とその3週間の新生児に会ったり、

中学・高校と寮生活を共にした仲間たちに会ったり、

新しく立て替えられた真新しいイトマンのプールと寮に行ったり、

名古屋で途中下車して、中高の同級生と日帰り温泉ドライブ。

 

約束していたご飯の約束までだいぶ時間があったので、

後輩に連れられて久々の近大プールへ。

よく考えたら、おそらく15年くらい訪れていなくて。

そんなに経つのに、あの重苦しい雰囲気が、プールが近づいただけで思い出された。

6年間、毎日毎日、朝5時くらいから来て真っ暗なプールの電源を入れて、

先輩たちとコーチが来るのを待った。

年功序列が厳しかったから、先輩より先に来ていなくてはいけなくて、

5分ごとくらいに年の順番に選手は到着していた。

だから一番下のときは、6時からの練習なのに5時5分くらいに着いていたというわけ。

朝から泳いで泳いで、

朝練が終わった後は、次の練習までまだ時間があるから爽快で、

チャリンコに乗って寮に帰って朝ご飯を食べて、

学校に着いてから、午前中はまだいいけれど、

お昼ご飯くらいからもう気分が重くなる。

すぐに重たい足取りでまた戻って、

また泳いだ日々。

プールの底を見て、何千回と往復した。

毎日全力だった。今みたいに、今日はエアロビクスの日(強度は低く、たくさん泳ぐ)、とか、そういう時代ではなかった。

練習が厳しくて、楽しい時間なんてなかった。

自分は何というところで6年間を過ごしたんだ、と、少しぞっとした。

よく耐えたなぁ。

あの頃の辛さに比べると、何でも屁みたいなもんだ、と、当時のチームメイトはみんな言うんだ。

 

練習中は私はいつも怒られ役で。

怒られても全然臍を曲げたりしなかったから、いつも代表で怒られた。

タイムが遅いと、大抵は練習を追加とか、やり直しさせられるんだけれど、

たまに嗜好を変えてコース台の上に正座させられることがあって、

このときは泳がなくていいから嬉しくてたまらなかった。

怒られているのに、笑みが出てしまって。

で、久しぶりに座ってみました。↓

 

しんどかった。その一言に尽きる。

でも、あの辛さに耐えたことは、多分、私の人生でとても大きな価値がある。

 

その後、他の後輩たちの待つ、花園町の『ひげ勝』へ。

ここは、後輩の一人のお家がやっている串カツ屋さんで、ごっつい美味かった!!!

みんなのトークも面白過ぎて、久しぶりに腹を抱えて笑った。

当時、プールではそんなに笑っていないと思うんだけれど、

寮ではいつも大笑い。

むちゃくちゃ仲良かった。

 

私の一つ下のトントンの話。

トン「いもっせんぱいに、中学のときに悪いこと教えられたんですよ」

私「えっ 何やったっけ?炭酸飲むとか?!笑」

トン「ちゃいまんがな。中学校から寮に帰るとき、大通りを通るとたまに先生たちの車とすれ違って見つかるから、すっごいほっそい路地を教えてもらったんですよ。人ひとり通れるくらいの」

私「覚えてない。ほんで何すんの?」

トン「で、その道を歩きながらアイスを食べるんですよ。道が終わるまでに食べ終わらなあかん、って言われて。」

全員大爆笑・・・

 

むちゃくちゃ濃い6年間。

私の人間形成に多大な影響を与えた日々。

みんなとまた会えて良かった。


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2 Comments

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懐かしい (モモンガ)
2013-01-21 20:15:44
私は井本さんより少し年上のイトマンOBです。私もこのプールで来る日も来る日も練習に明け暮れて楽しい事なんて無かった。年功序列が本当に厳しくて。。。井本さんの言葉がとても分かります「。でも本当にあの辛さに比べたら何も怖いものなんて無いですよ。それは人生において貴重な経験。これからもがんばって下さい
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あら (なおこ)
2013-01-22 01:09:29
どなたでしょう?
あの経験を活かしてお互いがんばりましょうね!
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