おばさんの落書き部屋

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人権について考える ①

2011-12-02 22:24:07 | 日記

12/4~10の「人権週間」を記念して名古屋市・名古屋市教育委員会主催「講演と映画の会」が
中区役所ホールで開催され450席がほぼいっぱいになるほどの入場者だった。
  演題「21世紀は人権の世紀になるか」
  講師:数学者 ピーター・フランクルさん

〈要旨〉
ピーターさんは1953年、ハンガリー生まれ。
最初に、棍棒を使った得意のジャグリングを披露。
日本のすべての都道府県、世界110ケ国を訪れたと言いながら、ユーモアと出会った人達とのエピソードを交え、
自分の名前にまつわる話から始まった。

父母の両親が強制収容所で殺害され、ユダヤ人という差別で悲しい体験を語った。
両親は大学の准教授の職を追われたが、ドクターであった為、どうにか生き残る事ができた。
6歳の時に一緒に遊んでいた女の子に「臭いユダヤ人野郎」と言われ泣いて帰宅し、
初めて自分がユダヤ人であるという事を知った。
それを聞いた母親も泣いたそうだ。
どんな人種でもいい人、悪い人はいる。「・・人はこう」「・・人はこう」と決めつけない。
人間を整理整頓することが差別を生むことになる。
日本の「差別」はひどいと思うが、こうした差別はヨーロッパにもあった。
ハンガリーでユダヤ人が市民権を得たのは明治の始めであった。
マスコミには直接的な表現は出ない。差別は親から子へ、子から孫へとつながる。
経済状況は人に影響を強く与える。
宇和島で、若い女性とのことについて話した時、「昔から続いているのだからそれなりの
理由があるのではないでしょうか。」と言われ驚いた。
「因循姑息」という言葉があり、これは何も改めようといないことを意味し、この考え方がある限り、
差別の連鎖は断てない。
イギリスでは異人種を動物扱いし、全世界に植民地があったのでこの国が一番ひどかった。
オバマ大統領を黒人と言うが、彼は黒人ではなく「ハーフ」である。
黒人の血が1%でも入っていればアメリカでは黒人と言う。これはアメリカの人種差別の強さを物語っている。
日本では朝鮮人、中国人への差別があり、フランス、イギリスも排他主義。
さまざまな社会の整備は進んでいるが、もっと大事なのは心の整備。
バブルの頃の日本人は前向きであったし、好奇心を持って関わりを持って来た。
だが、今は顔から笑いが消えており、自分の事だけを考え携帯電話ばかりやっている。
体はそこにあっても心はそこにない。
国際化には英語以上に大切なものがある。それは「寛容」。大切なのは心の状況。
どんな心持で相手に臨むのか。異人種に会ったときに心を閉ざさない。
豊な国の一部を物質消費ではなく、知的消費に注げば知的財産は世の中に広がる。
子どもたちはいろいろな人種、宗教の人とふれあって欲しいと述べられた。

講演終了後、人権啓発アニメ映画「ボクとガク あの夏のものがたり」(40分)上映

人権課題として「女性」「子ども」「高齢者」「障がいのある人」「同和問題」「アイヌの人々」「外国人」
「犯罪被害者等」「HIV感染者・ハンセン病患者等」「刑を終えて出所した人」「インターネットによる人権侵害」
「ホームレスの人々」などさまざまな問題があると言う。
一人ひとりの人権が尊重され、差別・偏見のない社会になるにはこのような啓発運動を通して、
個人の意識を変えて行く事が望まれる。