女性会館で講演会を聴いた後、午後から歩いて知ろう会「名古屋市港防災センター」を36名で見学に
出かけた。
防災指導員のもと、1Fでは「見る・知る」ということで、7名ずつのグループで震度7の地震体験をした。
発生と同時に机の下にもぐり、少しおさまったら
①ガスの元栓を切る。
②電気のブレーカーを落とす。
③ドアは開けっ放しに。 など指導を受ける。
次に「伊勢湾台風を知る」ということで、当時の様子を再現したレトロな雰囲気の座敷の部屋に
入り、3D映像や音響、照明などで演出された中で、自然災害の恐ろしさを疑似体験し
昭和34年9月26日の大変だったあの日を思い出す。
次に火災発生時に煙の中を逃げる避難体験を3名ずつのグループで迷路のような部屋に入り行った。
火はなく煙だけの暗闇の想定だったので楽だったが、実際は熱さの中、ホテルやビルの中では
どこが出口だか、方向音痴の私が指導されたとうりに果して行動出来るだろうか。
すぐにパニックになりそうだ。
H7.1.17「阪神・淡路大震災」や H23.3.11「東日本大震災」をふまえ、防災に関する意識を
もっと強くし、我が家の非常持ち出し品も1箇所に纏めておかなければと反省した。
「備えあれば憂いなし」だが、大きな自然災害では、人間の力は及ばないし・・。
午前中、女性会館の後期主催講座「心のバリアフリーへの一歩~女性の就労問題と職業差別から~
(全5回)」のうちの「“死”の現場から」と題した公開講座を聴きに出かけた。
講師は3人の子どもを持つシングルマザーで、前職の会計事務所から転職、湯灌業を起業した
岡崎市在住の中村典子さん。
納棺する前に亡くなった人を清め、旅立ちの支度を整える「湯灌師」「納棺師」という職業が
一躍知られるようになったのは、やはり本木雅弘主演映画「おくりびと」だろう。
彼女が起業した時、数年は殆ど仕事がなかったそうだが、この映画が上映されてから
少しずつ、葬儀社を通じて仕事の依頼が舞い込み、今では多い時は一日5~6件もあり、
今までにお世話した遺体は数千体とか。
365日お休みはないそうだ。
職業の特殊性もあるが、「死」の現場を見つめてきたさまざまなドラマ、エピソードや
この仕事に就こうと思ったきっかけや仕事に就いたときの周囲の反応、
遺体を送り出す中で出会った心温まる話、悲しい話、自殺、孤独死、死後硬直、死斑など
泣いて聴いている人もいた。
定員100名となっていたが、それ以上の聴衆でホールはほぼ一杯で、30分に亘って
魂はあると考えますか? 依頼するとどの位の費用がかかるのか?など多くの質問が会場から
あった。
「大往生」とは? どんな意味? どんな亡くなり方?
辞書では臨終に際して、苦痛の様子(心の乱れ)がなく安らかに死ぬこと。
寝たきりにもならず、十分に長生きして天寿をまっとうすることとなっている。
彼女は人生を振り返った時、ああ、いい人生だったと思えれば、大往生と言えるのでは・・。
と言う。
ご遺体は息をしていないだけ。どちらかと言えば「介護」に近い仕事。
物扱いではなく人として扱う。だから殆ど素手で行う。とも・・。
つい、昨日も練炭自殺があったそうだ。
「ただ生きているだけで幸せ。自分を愛している人のためにも大切に生きて欲しい」と
結ばれた言葉が印象に残った。
出かけたついでに時間が余れば、いつも内容に構わず一人で映画館に飛び込むことが多いので
当り外れがあり詰まらない時は、居眠りしてしまうこともある。
その点、今週の2本は全く異なるストーリーだったが、もう一度見ても良いと思えた良い映画だった。
「屋根裏部屋のマリアたち」(星ヶ丘三越映画劇場)
1960年代、フランス・パリに住むブルジョワと彼の屋根裏部屋に暮らす陽気で情熱的なスペイン人の
メイドたちとの日常生活が織りなす物語。
メイドたちとの出逢いによって、味気ないモノクロームの生活を送っていた中年男性が情熱と
好奇心に満ちた毎日へと変化して行く様子は、人は何歳になっても人生をやり直すことが出来、
たった一度きりの人生を後悔なく楽しむ秘訣を教えているように思われる。
ユーモアと優しさに満ちた心温まる映画だった。
「桃(タオ)さんのしあわせ」名演小劇場
結婚もせずに60年間、同じ家族に仕えてきたメイドの桃(タオ)さんがある日、脳卒中で倒れた。
ごく当たり前に身の廻りの世話を任せていた雇い主はその時、桃さんがかけがえのない人
だったことに気づき、多忙な仕事の合間に献身的に介護する。
この作品のプロデューサーでもあるロジャー・リーさんの実体験を元にした実話のもつ説得力が
人生の老い支度をする年齢になって「老い」について、「幸せに逝く」とは、「悔いなく人をおくる」には・・。
誰にも訪れる老いの現実が温かく描かれていて、人と人の絆の尊さがストレートに伝わってきた。
深まりゆく秋の一日、高年大学20期卒業の今枝幸一氏のガイドで、地下鉄・瑞穂区役所駅をスタートし、
「塩付街道と桜のみち」を史跡散策した。
駅から東へまっすぐ進むと、塩付街道のなごりがしのばれる「名残の松」と呼ばれる古い二本の
大きな松が細い道筋の脇に立っていた。
説明によると、江戸時代の中頃まで、南区本星崎町一帯でさかんに塩が作られていて、ここで
とれた塩が俵に詰められ千種区古出来町に集荷されて、信州まで運ばれ、
本星崎町~古出来町までの約10Kmが塩付街道と呼ばれているそうだ。
街道沿いには「馬頭観音」が祀られており、塩を馬で運び、道中の無事を祈る当時の人々の
様子がしのばれた。
次に、瑞穂区内に現存する数少ない古墳の一つの集落跡地に建てられていた「村上神社」を
見て、進むと山崎川の風情溢れる桜並木の道へ。
川の水は綺麗で大きな鯉が泳ぎ、鴨の姿も。
昔、この辺りは萩がたくさん咲いていたそうだ。
約300年の歴史を持ち、徳川家康公を祭神とする「正及神社」をみてまわり、静かな町並みを
歩くと、萱葺きの門が見え、大正初年から10数年かけて築造されたという「東山荘」へ。
広大な敷地に美しい樹木、苔むした庭園に種々の植物、数寄屋風書院作りの建物で
個人所有から昭和11年に名古屋市に遺贈され、14年から市民に開放されているそうだ。
静かな街並みを歩き、名古屋市博物館まで約2時間余りのコースを終え、皆で昼食を楽しんで散会。
この辺りは初めて訪れた場所だが、今度は桜の満開の頃、ゆっくり歩いてみたい。
約3,600坪「東山荘」庭園地図 塩付街道・2本の「名残の松」
「村上神社」 桜の季節に訪れたい「山崎川」
「正及神社」 入母屋茅葺屋根の「東山荘」正門
11/15(木)~11/17(土)の3日間に亘って高年大学「第27回 文化祭」が開催された。
テーマは「つづけ鯱城学園 輝けシニアの力」
15日の開会式では副学長、学生会会長挨拶に続き、アトラクションで第10期生~21期生までの
文化学科の有志16名によるオカリナ演奏があった。
平素は演奏会や老人ホームへのボランティア活動を行っているそうだ。
さまざまなクラブの展示行事は7~9Fにて書道、絵画、水墨画、写真、将棋、囲碁、古文書、
広報研究、万葉クラブ、短歌、園芸、天文気象、郷土誌研究、重要文化財、陶芸、国際文化研究 etc.
5Fのホールでは28のクラスの演目、ダンス、民謡、太極拳など多彩なパフォーマンスが繰り広げられた。
私たちは最終の最後から3番目、4つの場面からなる寸劇「新・名古屋紀行」と、最後に出演者全員による
合唱「お座敷小唄」の替え歌で「鯱城小唄」を歌った。
マイクの使い方に慣れていないことや、3個の固定スポットライトの位置がつかめず練習時は苦労したが、
本番は何とかうまく行ったようだ。
15分と限られた時間を1分20秒もーバー。
練習では時間内に収まっていたのに、本番ではセリフを間違えたり、詰まったりのハプニングがあり
会場ではそれが、受けていたのだが、ぎりぎり唄の終わりあたりで幕が閉まって・・・・。
ああでもない、こうでもない、意見を出し合い、場所を変えては練習を重ねて
やっと、今日で終了。やっと安心して眠れる?
出来はどうだったのか、意見をお聞きしたいところだが、目標に向かってクラスの全員が一つになり、
この年齢にして、久しぶりに子どもの頃のような達成感を味わった。