おばさんの落書き部屋

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人権について考える ②

2011-12-10 00:47:04 | 日記

名古屋市女性会館で気づくことからはじめよう~さまざまな立場の女性の人権を考える
  「私にできること」〈差別のない社会のために〉と題して公開講座があった。
       講師はソプラノ(オペラ)歌手 渡辺千賀子さん

講座の直前に一番前の座席に座っていた男性が突然、会館側スタッフの対応への怒りと
それに対する謝罪を求める発言があり、険悪なムードから始まった。
「こんな講座をやる前に自分たちがもっと研修を積んだらどうなんだ!」と。
皆、何があったのかわからずに会場から事情の説明を求める声があがった。
会館スタッフの説明によると、最前列は障がいのある方、その次に託児を必要とする人の席が明記されており、
男性が障がい者席に座ろうとしたので、一般席へ座るようお願いをしたところ、彼は障がい者であるとの
事だった。
障がい者と言えば車椅子の人や目の不自由な人をすぐにイメージしてしまうが、外見からは判断できない
障がいを持った人もいて、そこからのトラブルと思われる。
スタッフは何度も謝罪の言葉を述べられたが、納得されずせっかく来たのに席をたって帰って行かれた。
ちょっとした行き違いではあるが、人権と関連して考えさせられる出来ごとだった。

講師の渡辺さんは声は言うに及ばす、容姿もとても美しい人で自分自身の被差別出身者としての
体験を通して人権について語られた。
私はと言えば、若いころ奈良を舞台にした住井すゑ著「橋のない川」を読んで「」の存在を知った。 
しかし、小説の上だけでなく、現代に至っても形は表面化していなくても、なお脈々と被差別が
息づいているのは何だろうかと考えさせられた。

〈要旨〉
三重県名張市赤目町で生まれた。
山椒魚で有名なところで、一ノ井というところがありここは(上・下・西)と三つの地域に分かれており、
西は行政区に存在しない被差別となっていた。
西と下は区別して登校していたが、自分は20歳までという事を知らずに育った。
母親は「寝た子を起こすな」という考えで松阪の高校の音楽科から武蔵野音大に進み、
九州久留米出身の友人から「」という言葉と、世間で汚くて怖い地区があると初めて聞いた。
人からあなたも民と聞かされ驚いて、泣くだけ泣いた。
母からは「人はわけ隔てがあってはいけない」と、夫からは「自分を卑下するのはやめなさい」と
言われた。
自分は音楽の道に進む事ができたが、一般的に出身の人は職業も限られてしまう。
自分の子どもも学校でいじめに合い、トイレで用を足している時、頭上からオシッコをかけられたことも。
結婚がダメになり、自殺した友人も。小学校の音楽教師を1年契約で引き受け人間不信になったことも。
いろいろな辛い経験を語られたあと、どうすれば差別は無くなるかと。
人権として差別はおかしい。大切なのは「教育」。
まわりの大人は差別はおかしいと知ってはいながら、わざわざじぶんの感情をプラスして人の悪口を言う。
差別はいけないと言いながら、自分の娘や息子が被差別の人との結婚は絶対に許さない。
言われなき差別、意識は深いところでは心に残っていて、建て前ではわかっていても消して行くのは
難しい。

差別をする人には、勇気ある一言で注意を促すことが差別をなくして行く一歩になる。
こどもたちにもわかりやすい言葉で人間の平等を訴え、人権の大切さを伝えるフォークソング
中心の「小さな手のひらコンサート」を全国各地で展開しているとのこと。
世界のどこにも差別がなくなればどんな時代になっても、みんなが幸せになると。