goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶‍♀️…十石舟乗船場界隈🌸花見…観月橋〜 210324

2021-03-24 22:39:00 | 📖 日記
🚶‍♀️…右岸河川敷…隠元橋…左岸堤防道…同:47km碑+…左岸沿向島農道…向島東中沿(左岸46km碑+)…向島庚申町…24号線…観月橋…右岸堤防道…🌸伏見濠川沿:宇治川派流沿🌸(…十石舟乗船場🌸…長建寺📕🌸…龍馬碑🌸…であい橋🌸…角倉了以碑🌸)…観月橋〜>
🚶‍♀️13896歩

☀️:隠元橋&観月橋20℃
 洗濯日和.散歩日和,花見日和
🌸桜と雪柳見頃で人出は普通:舟運行
 川沿を彩る,柳の緑も映える。
 昨年同様にいい🌸景色
🎭伏見の名水スタンプラリーが始まっていた!

















十三日月












月齢11.1







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🤖AI ロボットの動作をAIが模倣し推論モデルを生成 プログラミング作業の自動化「AI模倣学習」 210324

2021-03-24 22:16:00 | 気になる モノ・コト

ロボットの動作をAIが模倣し推論モデルを生成 プログラミング知識不要で作業を自動化できる「AI模倣学習」 デンソーウェーブが開発
    ロボスタ より  210324 山田 航也

 株式会社デンソーウェーブはデンソーロボットをAI(人工知能)でリアルタイムに制御する汎用ソフトウェア「AI模倣学習」を4月1日(木)から出荷開始することを発表した。
「AI模倣学習」はAIにロボット動作の手本を見せると、AIが手本を模倣して自律的に動き出すことを実現した汎用ソフトウェア。AIやコンピュータの専門知識を持たなくても、自動化したい作業内容を理解しているユーザーが簡単に利用できるように設計されている。価格はオープンで、業界や用途を問わず幅広い分野での導入を想定する。

⚫︎AI模倣学習 開発の背景
 近年、生産性向上や人手不足を背景にさまざまな分野で自動化やロボット導入が進んできたが、ロボットの制御や動作のプログラミングは専門知識が必要で、実際にロボットに行わせたい作業を理解しているだけでは導入や運用が難しい課題があった。加えて、ロボットを導入して自動化が進んだ場合でも、ロボットの動作が条件によって多様に変化する作業では、それぞれに応じたロボットの動きを設計する必要があり、膨大な量のプログラムが必要だった。
これらの課題を解決するため、デンソーウェーブは2017年に発表したマルチモーダルAIロボット以降、非定形作業をいかに簡単にロボットが実行できるか、商品化に向けて開発を進めてきたのが「AI模倣学習」。

⚫︎AI模倣学習の特徴
「AI模倣学習」はロボットの動きと複数のセンサーの情報をAIが学習し、プログラミングでロボットを制御することが難しかった作業者の勘やコツなどの経験に頼った作業の再現を可能にするもの。構成はシンプルで1台の産業用パソコンで周辺機器からのデータの収集・学習・推論のすべてが完結するため、導入時の初期費用を低減できる。また、従来のAIシステムに多く見られた学習のための都度費用や回数の制限もなく、自由に推論モデルを構築できる。そのため専門のAIエンジニアに依頼しなくてもユーザー自らがPoCを実施し、トレーニングやスキルの習得が可能。

『AI模倣学習の核となるAIは、米国・Google社出身のエンジニアが設立したAI企業のintegral AIが開発。』

■「AI模倣学習」の特長 ・使いやすいユーザーインターフェースを搭載し、トレーニングデータの取得や学習、推論をストレスなく操作できる。 ・プログラムによるロボット動作生成とAIによる動作生成の組み合わせも可能。
 さらに、安定した稼働のために同一のソフトウェアを使い続けたいFA業界と、常に最新のバージョンを提供するAI業界の差異を解消するため、毎年のバージョンアップによる最新AI技術の提供だけではなく、旧バージョンの長期提供やリリース後3年までのバグ対応など、導入時も使い続ける時も安心のサポートを提供し、ユーザーの使いやすさを追求する。

⚫︎データ取得・学習・推論の実行方法
1.トレーニングデータ取得 模倣させたい動きをロボットにさせて、その時の「ロボットの動き」と「環境・状況変化」をトレーニングデータとして取得する。データの取得は各種センサーやカメラを使用する。

2.学習 集めたトレーニングデータから推論モデルを生成する。実行はUI画面のボタンを押すだけ。学習時間を短縮できるテスト学習モードや不要データの除去設定が可能。

3.推論 現在の環境・状況からAIが未来の動作を推論、動作命令を発行しロボットを動作させる。
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📙 社会や国家にとって科学が持つ意味とは何か?科学論の歴史から考える

2021-03-24 03:24:00 | 📗 この本

社会や国家にとって科学がもつ意味とは何か。科学論の歴史から考える
  AllReview より  210324 名古屋大学出版会

『近代日本の科学論―明治維新から敗戦まで―』(名古屋大学出版会)著者:岡本 拓司

 わたしたちは、科学をどう考えてきたのか。
 科学論――科学の知識としての特質や社会との関わりを論じたもの――の歴史をたどると、そこに込められた先人たちの情熱が浮かび上がってくる。人類や国家の行く末を案じ、文字通り生命を賭して、科学について議論する人々が、かつての日本には存在した。

 岡本拓司著『近代日本の科学論』は、そうした個々の議論が「正しい」かどうかを特定の科学観に基づいて判定することなく、多様な科学論の成立と変転を描き出そうと試みる。社会と科学の関係を考えるために、歴史から何を学ぶことができるだろうか。以下、著者あとがきを特別公開する。

 社会や国家にとって科学がもつ意味とは何か。科学論の歴史から考える
 科学論に関する私の関心は、従来、主として、知識としての科学の性格や、そこで採用されている方法がどのように議論されているかという点にあった。必要に迫られて、あるとき、こうした問題が日本ではどのように検討されてきたかを確認してみなければならなくなったというのが、科学論の歴史、科学論史の検討を本格的に始めた際の事情である。

 適切な書籍がすでにあればそれを参照して済ませればよいが、手近には見当たらない。明治期から敗戦に至るまでの時期に、書籍としても雑誌記事としても科学論に関わるものが数多く発表されていたことはすでに知っていたので、それらを直接読んでみることにした。

 ともかくいろいろ当たってみれば、科学が採用している方法に関する議論の系譜を辿る程度のことはできるであろうという当初の見込みは、結局は大きく外れることとなった。

 明治から昭和前期にかけて科学を論じた人々の関心は、社会、政治、国家に対して科学がもつ意味に向かうことが多く、わずかに現れる方法論に関する検討のみを集めて読むのでは、科学論を世に問うた人々の情熱を、歪んだ形で捉えることになってしまう。科学論に関する論文や書籍を発表したところで、学位が得られるわけでもなく、どこかの特別研究員に採用されるわけでもない時代に、彼らは、従来の科学の枠内に収まる研究ではなく、科学そのものを対象とした検討の深化が、人類の進むべき道を指し示すことや、建国の理念の毀損を防ぎながら科学を取り入れることに、直接貢献すると考えて、検討を続けていた。

 このような論者たちの姿を、一端であっても伝えようと試みた結果が本書である。とはいえ、対象とする時期に発表された、科学論を主題とする論文や書籍は数多く、伝えることができたのはまさにそれらの「一端」に過ぎない。取り上げられなかった話題も多く、取り上げた事項についても、当時の論文や書籍の検討を中心に論述を進めたため、関連する歴史研究に充分に言及することは叶わなかった。こうした欠を埋める機会はまた別途求めたいと考えている。

 おおよその骨格のみではあれ、明治維新期から敗戦までの科学論の流れを辿ったのち、現在の状況を顧みると、かつては人類や国家の命運をも左右すると考えられた科学論は、21世紀にはそのような勢いを持つ領域ではなくなっていることに気づかされるであろう。私自身の関心も従来は方法論にあり、また現在、科学と社会や国家との関わりが議論される場合も、その範囲に、既存の政治体制の転覆や擁護、新たな政治体制の確立の可能性までもが含まれるとは思われない。

 わずか80年ほど前まで華々しく展開していた諸思潮に比べれば、現在の議論が勢いを欠くという事実は否みがたく、一片の寂寥感さえ覚える。もっとも、本書で扱えなかった20世紀後半の一時期には、科学論は依然、政治と直結したかたちで展開されており、これを歴史研究の中で取り上げれば、現代の感覚からそれほど隔たってはいない当事者たちの情熱を追体験することは可能である。科学論に込められた情熱は、歴史研究を介して感ずることもできる。

 さらに、天皇制国家の下では、政治的に注目される課題に関わることには対価が求められた点にも注意する必要がある。武谷三男が自然弁証法に関する活動を理由に検挙されたように、政治に直結した科学論に携われば、官憲により拘束されるといった事態に至ることもあった。
 喘息の持病のある武谷の場合、生命を脅かされたとさえいえる。そうした覚悟もなく自由に科学を論ずることが可能な現在の状況には、感謝すべきなのであろう。

 現在、科学論を思うままに展開することが可能であるのは、言論の自由が政治体制と政治理念によって保障されているためである。こうした体制を支える思想は科学や自然に直接的な根拠を求めておらず、またより広く、政治や倫理に関わる基本的理念については、科学の枠内での検討とは異なる領域での熟議が肝要であるとも理解されている。
 つまり、天賦人権論など根拠は薄弱であるが、漠然とした「天」であれば科学の力は及びにくく、仮に科学に基づく攻撃を受けても、政治的価値を科学に基づいてのみ否定することはできないと広く了解されていれば、深刻な問題は生じない。

 ただし、こうした了解は、いつまでも無前提に持続するとは限らない。明治維新の頃にはすでに、政治や倫理と科学が分離していることは常識であったが、ロシア革命後に天皇制国家がマルクス主義の脅威にさらされると、建国の理念と科学の間の齟齬が露呈し、前者の維持を理由に後者が攻撃されるという事態が生じた。科学に依拠する挑戦に、名目的にではあれ神に根拠を持つ国家体制が、対処を迫られたのである。

 同時期、ソ連においては、科学的と謳う政治体制による言論弾圧が生じていた。ソ連における事態と科学論との直接的な関連は薄いものの、科学によって正統性の保障される政治体制には、原理的には自然を支配する神と同様の専制に向かう可能性があるようにも思われる。

 政治理念の検討にあたっては、可能であれば、科学との関わりについても留意しておいたほうが安全なのであろう。
 特定の実在観に依拠するものや、宗教的な理念に基礎を置きながら自然や科学への配慮の可能性を充分に保障しないものは、予期できない自然科学の進展の結果や、自然に関する科学の知見を採用して成立する政治思想の出現によって、思わぬ脆弱性を露わにしてしまう可能性がある。
 新たな統治形態や政治思想が採用される局面に至った時、もし選択の余地があるのであれば、特定の自然観に依拠する余地がなく、また、科学を根拠とする攻撃を受けにくいものを選ぶのが賢明であろう。

 先を見通すのはいつでも容易ではなく、具体的な状況の下では政治理念に関する選択の幅が充分にあるとも考えにくいが、世界の趨勢から離れた特殊なものを、その場の勢いで建国の理念に採用してしまうと、後の諸情勢の変化によっては、民族や国家の独自性の発揮という美点で補うことのできない、大きな困難が生ずる可能性がある。とはいえこれは科学論のみに関わってのことではないが。

[書き手]岡本拓司(東京大学大学院総合文化研究科教授)
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