フランス人も注目の「ニッポン後退論」、日本が目指すべき独自の進化とは
ダイヤモンド onlain より 220128 永田公彦
世に氾濫する「ニッポン後退論」は軽く聞き流し、「諸外国に抜かれまい、抜かれたら抜き返す、そのためには変わらなければ」との力んだ発想は捨てるべきです。むしろ日本人は自分たちを再認識し、無理せず自然体で独自の進化を遂げればいいのです。そうすることで、人々の生活と地球環境を豊かにする、持続的で高付加価値かつ高貴な社会モデルができ、世界もこれに注目するでしょう。(Nagata Global Partners代表パートナー、フランス国立東洋言語文化学院非常勤講師 永田公彦)
⚫︎百害あって一利なしの 「ニッポン後退論」
ここ数年フランスをはじめ海外でも日本の後退が注目されています。例えば、「20歳になった日本の若者、ここまで少ない成人式はない。破滅的な人口動態の罪」…これは去る11日(成人式の翌日)、フランスの公共ラジオ放送「フランス・アンテール」が、朝の解説番組で伝えたものです。新成人数が、統計が開始された1968年以降で最少となり、総人口の1%に満たない等、日本の少子高齢化と人口減少を伝えていました。
一方、日本国内でも、失われた30年、日本の衰退、日本は既に後進国、ニッポン沈没…こうした「ニッポン後退論」が、年々勢いを増しながらまん延しています。その多くは、次の3つについて指摘しています。
(1)経済の低迷(低い成長率、賃金が上がらない、続くデフレ、GDPの相対的地位低下、1人当たりGDPが他国に抜かれる、低い生産性、財政悪化、デジタル後進国…)
(2)企業の衰退(国際競争力の低下、技術革新の停滞、時価総額の低迷、海外企業への身売り…)
(3)社会の老朽化と劣化(少子高齢化、人口減、貧困の拡大、富裕層の海外逃避、内向き志向、増える引きこもり、低い幸福度、政治不信、教育レベル低下…)
こうした指摘の中には有益で注目すべきものもありますが、多くはそうではありません。ノスタルジー、自虐、焦り、怒りなど複雑な感情が入り混じり合ったトーンで、「日本は、昔は上位だったのに、今はここまで順位を落とした」というものです。
ここでいう「昔」とは、たいがい戦後の経済的繁栄期(高度経済成長~バブル経済のわずか三十数年)のことです。
この時代は、国際情勢はもちろん、国内環境も今とは大きく異なっていました。ODAや輸出に有利な固定相場制など世界に助けられた経済基盤の上で成り立っていました。経済発展をけん引したのは、耐久消費財中心のモノの大量生産と大量消費でした。企業には、土地神話をもとに銀行が容易に貸してくれる借金と財テク資金が多くありました。
これに加え、物質的な豊かさを求め、身を粉にして働く大量の若き労働者に支えられました。こうした労働者の多くは男性です。家事・育児・家計をしっかり担う奥さん、または前線で戦う企業戦士をしっかり後方で支える女性社員に助けられ、事業の拡大と本業以外の儲けにまい進で
このように、今とは異なる時代背景を前提に「日本は後退した、やばい」というのは、ナンセンスです。また、複数の国際比較調査が示すように、平均的に日本人は、ただでさえ自信も自己肯定感も低いのですから、「ニッポン交代論」はこれに輪をかけるだけです。奮起を促すことにもつながらず、百害あって一利なしです。
⚫︎良くも悪くも 日本は簡単には変わらない
日本は、諸外国と比べ簡単には変わりません。日本人は変化に対する抵抗が強いのです。このことは、複数の国際比較研究でも示されています(Hofstede、GLOBE研究等)。こうした日本の不変性は、良くも悪くも歴史的に日本人社会に深く根差す次の9つの文化特性に起因していると思われます。
(1)スローな世代交代サイクル(豊富な経験と組織内人脈が重視される年功序列社会のため、権力の世代間移転がゆっくりとしか進まない)
(2)強いリスク回避願望(特に前例や経験のないことに取り組むための心理的ハードルが高い)
(3)強い失敗回避願望(自分に対する周囲からの批判・攻撃・出ていけ要求を避けるための自己保身)
(4)厚いウチとソトの壁(文化的に同質性が高い内輪の人たちでコミュニティーをつくり、異なる文化や考えを持つ人への許容力が低い。そのため異質との接触によるイノベーションが起きにくい)
(5)「社会の和を大切に」という言葉の負の側面(たとえ理不尽とか問題ありと思われることでも、周りと波風を立てず同調する方が楽と考え、それを放任、または自分も加担する)
(6)細部まで気にする完璧主義(周到な準備をして全てがうまくいくと確信しないと決断しない、動かない)
(7)ルールの三重構造(周囲の目や空気・こうあるべき論や常識・法律や規定)に縛られる
(8)なんでも「はんこ」に象徴されるように、ルールが機能不全を起こしたり合理性に欠けても、それに気づかなかったり、惰性で従う(変えるのは大変、従う方が楽)
(9)利害調整によるコンセンサス型の意思決定(責任者個人による合理的決断ではなく、多くの関係者間の人的関係、パワーバランス、忖度、空気読み等による利害調整をもとにした集団的決断)
このような文化的特性により、進取の気性を持って素早く動く一部の人たちを除き、多くの日本人には、変わることへの決断と行動に長い時間が必要です。
したがって日本が、素早く変化する他国と同じ土俵で、彼らに「抜かれまい、抜かれても抜き返そう、そのために変わらなければ」と頑張っても勝ち目はないのです。
⚫︎自然体で独自の進化をすれば 日本はおのずと再浮上する
そこで発想の逆転が必要です。「昔と比べたニッポン後退論」は軽く聞き流します。そして、ライバルひしめく土俵の上で無理して世界と張り合うのではなく、自然体で独自の進化を遂げることです。
なにも鎖国のススメではありません。ここでいう「独自の進化」とは、歴史の中で蓄積されてきた既に知っていることや経験のあることを組み合わせるだけです。
方法論としては、まず原点回帰です。古くから日本人が育んできた文化(価値観、自然観、ライフスタイル等)と得意技(応用技術、改善力、自然を生かした芸術性、繊細さと実用性へのこだわり等)を再認識します。
次に組み合わせです。この文化や得意技にある要素の中から、社会(ヒト)と地球環境(自然)が共に生き生きと共鳴し合うことに役立つものを選び組み合わせます。
選ぶ際には、以下のいずれかのキーワードに当てはまるかどうかを意識します。「無駄なく、シンプルで、質素であるが故のぜいたく」「物質や金銭ではなく、精神的な豊かさ」「人と自然の温もりを感じ、共助、連帯、笑いのあるコミュニティー」「多様な人と生物が互いに尊重しながら共生できる環境」「伝統・モダン・芸術性の3つが融合した生活空間」などです。
幸いにして世界は今、このようなサステナブルな社会づくりを模索しています。筆者の目には、その実現に大いに役立つ原石が、日本人が持つ文化や得意技の中に多くあるように映ります。既に自らの手中にあるこれら原石を磨くだけで、日本は、世界に先駆け、こうした高貴な持続可能な社会モデルをつくれると確信しています。
また、この社会モデルは日本だけでなく、世界的に応用できる普遍性の高いものになるはずです。つまり、世界的な模範となり、欧米をはじめ他国に広がる可能性が大いにあります。
その結果、日本の世界的な存在感も増します。また先駆者として経済的な優位性も得られます。「理念+テクノロジー+ライフスタイル」の高付加価値なセットで世界に展開できるからです。
また、こうした日本を体験しようと多くのインバウンド旅行者が訪れることでしょう。これに加え、この社会モデルの進化と世界展開に参画しようとする輝く人材(研究者、技術者、芸術家、起業家、投資家等)を世界から呼び込むこともできるはずです。
読者の中には、これは「夢物語のお花畑」「日本が世界の模範になれるとは信じ難い」…このように思われる方もいるかもしれません。ただ、国にも人生にもビジョンが必要です。
今の日本には、それがあるとは思えません。ビジョンであるからには、壮大であると同時に実現性があることが肝要です。長年外から世界と日本を俯瞰してきた筆者の目には、この実現に向けた環境が最も整っているのは日本であると、はっきり見て取れます。