goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

 奈良 談山神社・観音講祭  202206

2022-06-27 23:49:00 | 〽️ 行事・新案内等 控え

談山神社・観音講祭
 奈良テレビ より 220627


 桜井市にある談山神社では、秘仏の如意輪観音像に祈りを捧げる観音講まつりが行われました。
 この如意輪観音像は、談山神社の前身で妙楽寺と呼ばれた寺を開いた僧、定恵が唐から持ち帰った像を元に作られたと伝えられ、足腰の健康に御利益があるとされます。

 青々としたもみじに囲まれた観音堂で行われたまつりでは、談山神社の金子清作宮司が、人々の健康などを祈る祝詞を読み上げました。
 また、今年からは、同じ桜井市にある長谷寺の僧侶が参列して法要も営まれまさに、神仏習合の時代をうかがう行事となりました。
 談山神社観音堂の如意輪観音像特別公開は、7月31日まで行われます。

談山神社権禰宜・土居三純さん
ー「唯一、残っていただいた如意輪観音像を神道と仏教の両方の形、おそらくこれが日本人の信仰の本来の形と思いますが、そういった形で年に一度のおまつりを行うことが出来たのは、とても意味があることだと思います。」
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🚶‍♀️…天ヶ瀬ダム前…網代の道…福寿園🍵… 220627

2022-06-27 18:10:00 | 🚶 歩く
🚶‍♀️…右岸堤防道…太閤堤跡公園…朝霧通…観流橋…右岸路…天ヶ瀬吊橋…左岸路…白虹橋:天ヶ瀬ダム前…第一志津川橋…山吹橋…右岸路…天ヶ瀬吊橋…左岸路…松嵐橋…白川浜橋網代の道…福寿園🍦🍵🥮…平等院前…平等院表参道…宇治橋…右岸堤防道…>
🚶‍♀️10449歩

🌤:天ヶ瀬ダム前32℃:風があって心地よいが,時折止まり暑さ痛感

🍦福寿園で抹茶ソフトと,つい各種茶製品購入。

夕食)面倒くさいので、魚缶詰🥫🥫,即席カレーメシ+生卵,豆類 




太閤堤跡公園にて,気がつけば2羽写る

現れの滝前に倒木

天ヶ瀬吊橋と彼方に白虹橋

福寿園から(橘島他)悠々抹茶ソフト堪能








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学校で教えない「日本神話」現代にも影響力凄い訳 202206

2022-06-27 00:25:34 | なるほど  ふぅ〜ん

学校で教えない「日本神話」現代にも影響力凄い訳
  東洋経済オンライン より 220627  島田 裕巳:宗教学者、作家


アマテラスが祀られている伊勢神宮

 神話の大きな特徴は、世界や人間のはじまりを含め、さまざまな事柄の起源について語るところにあります。日本の神話は「古事記」「日本書紀」に記されていますが、中学や高校の古文の授業で取り上げられることはほとんどありません。
 ただ「神話には日本人らしさが示されている可能性がある。そう考えると、私たちが日本の神話に無知であることは、決して好ましいことではない」と指摘するのが、宗教学者の島田裕巳氏です。島田氏の新著📗『教養として学んでおきたい古事記・日本書紀』から一部抜粋・再構成し、神話の持つ意味を解説します。

⚫︎神話、おとぎ話、伝説はどこで区別されるのか
 神話とは神々の物語である。古事記でも日本書紀でも、とくに前半の部分は日本の神々の物語になっている。ただ、神々が登場する物語は、古事記・日本書紀に限られない。おとぎ話や伝説のなかにも、人間を超えた、あるいは人間と異なる存在が登場するものがある。

 では、神話とおとぎ話や伝説はどこで区別されるのだろうか。次にあげる物語のなかで、古事記や日本書紀に含まれるものはどれだろうか。

・浦島太郎
・因幡(いなば)の白兎(うさぎ)
・海幸彦と山幸彦
・かぐや姫
・牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)

 このうち、古事記と日本書紀に出てくるのがウミサチヒコ(海幸彦)とヤマサチヒコ(山幸彦)の物語で、古事記だけに出てくるのが因幡の白兎の物語である。浦島太郎の物語は日本書紀に登場するが、ウミサチヒコとヤマサチヒコの物語を下敷きにしているとも言われる。

 古事記・日本書紀とかかわりがないのが、かぐや姫と牽牛・織女の物語で、かぐや姫は「竹取物語」に出てくる。牽牛・織女は中国の伝説だが、神話とされることもある。
 浦島太郎の物語も、中世から近世にかけて広く読まれた「御伽草子(おとぎぞうし)」にも含まれており、その点ではおとぎ話としても扱われていたことになる。

 因幡の白兎やウミサチヒコ・ヤマサチヒコの物語も、それだけ取り出せば、伝説、おとぎ話に見えてくる。その点では、神話と伝説、あるいはおとぎ話の境界線はあいまいだということになる。
 浦島太郎もそうだが、因幡の白兎やウミサチヒコ・ヤマサチヒコの物語が古事記や日本書紀に含まれているのだとしても、これらを神話の枠のなかに含めるには、何か物足りないところがあるような気もする。
 因幡の白兎の物語には、オオクニヌシノミコト(大国主命)が登場する。そこでオオクニヌシは、かわいそうな兎を慈しむ優しい存在として描かれている。

 しかし、オオクニヌシの重要性は、スサノオノミコト(須佐之男命)の子孫としてスクナビコナノカミ(少名毘古那神)と協力し、葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りをしたことにある。
 さらに、高天原(たかまがはら)からアマテラスによって遣わされた神々に対して国譲りを行ったことも、古事記においてはそうとうに重要な部分となっている。なお、国譲りの話は、日本書紀では本文では取り上げられておらず、一書(いっしょ)のなかで扱われている。

『広辞苑(第五版)』の「神話」の項目には、次のように記されている。
 現実の生活とそれをとりまく世界の事物の起源や存在論的な意味を象徴的に説く説話。神をはじめとする超自然的存在や文化英雄による原初の創造的な出来事・行為によって展開され、社会の価値・規範とそれとの葛藤を主題とする。

⚫︎神話が問題にするのは「国のあり方」
 表現は難しいが、神話とは、世界のはじまりや、世界に現れてきたさまざまな事物がどういった意味をもっているかを語る物語であり、そこには、神々や英雄たちが深くかかわってくる。しかも神話は、社会のあるべき姿を示し、ときに神々や英雄は、そうした社会規範とぶつかり合うこともあるというのだ。
 要するに、神話が問題にするのは、国のあり方ということになる。その神話を伝える民族が住む国がどのようにして誕生し、発展してきたのか、神話はそれを語り出すことを目的としている。

 国を作る、あるいは国を広げるということでは、必ずやそこに対立が生まれ、それは戦争にも発展する。英雄が活躍する余地が生まれるのも、神話がそうした性格を持っているからである。
 そのなかには、因幡の白兎のような物語も加えられてはいるが、それは神話の主たる筋書きを構成するものではない。あくまでサイドストーリーであり、本筋ではない。だからこそ、そうした物語は、伝説やおとぎ話としてもとらえられるのである。

 記紀神話では、後半は神武天皇からはじまる代々の天皇のことが語られている。古代の天皇は日本の支配者であり、まさに国の根本的なあり方と深くかかわっている。
 しかも、天皇は神々につらなる存在として描かれている。古事記にも日本書紀にも、「天孫降臨」の物語が記されている。

 アマテラスなどに命じられて高天原から降臨するニニギは、オオヤマツミノカミ(大山祇神)の娘であるコノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)と結婚し、何人かの子どもをもうける。
 古事記と日本書紀ではどういった子どもが生まれたかが異なるが、古事記では、第3子ホノオリノミコト(火折尊)がワタツミノカミ(海神)の娘であるトヨタマヒメ(豊玉姫)と結ばれ、ヒコナギサタケウガヤフキアワセズノミコト(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)を産んだとされる。

 さらに、ウガヤフキアワセズはやはりワタツミの娘であるタマヨリヒメ(玉依姫)と結ばれ、その間に産まれたのが初代の天皇、神武天皇ということになる。
 もちろん、神話は架空の物語であり、神々だけではなく、神武天皇も実在したとは考えられない。なにしろ、その祖母にあたるトヨタマヒメはヤヒロワニの姿で出産したとされる。ヤヒロワニが何かは議論があるが、サメやワニ、ウミヘビのたぐいと考えられる。

⚫︎現代の常識からすればありえないことだが…
 そもそも代々の天皇をさかのぼると神々に行き着くということが、現代の常識からすればありえないことである。しかも、ニニギの父であるアメノオシホミミノミコト(天忍穂耳尊)は、アマテラスとスサノオが誓約をしたときに生まれたものである。
 その際にスサノオはアマテラスから八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)という珠を受け取って、それを噛み砕く。その際に噴き出した息の霧からアメノオシホミミなどが生まれたというのだ。生まれ方は超自然的である。

 そんなことはとうてい事実とは考えられないわけだが、古代の天皇が日本の支配者となり、現行の日本国憲法で「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされているのも、究極の根拠は、神話に求めるしかない。
 憲法では、天皇が国の象徴であるのは、「主権の存する日本国民の総意に基く」とはされていても、総意がどのようにして形成されたのか、具体的な経緯があるわけではない。その点では、記紀神話は現代の日本社会にまで強い影響力を発揮していることになる。

 神話は国の成り立ちと深くかかわっている。そこにこそ神話の特徴があり、その点で、おとぎ話や伝説の類とは異なる。古事記と日本書紀を見ていく際に、そこが決定的に重要なのである。
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二千年前から外国で高く評価されていた日本。その理由とは? 202206

2022-06-27 00:18:25 | なるほど  ふぅ〜ん

二千年前から外国で高く評価されていた日本。その理由とは?
  幻冬社ゴールドライフオンライン より 220627徳永 圀典


※本記事は、徳永圀典氏の書籍『日本を哲学する――国に徳あり――』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

第一章 日本の原理は大自然の原理に合致する
 一節 神の前の無私

 神様の御前には「無私」で「心を込める」のが神道の神髄です。
学べば学ぶ程に、知れば知る程に、日本文化の素晴らしさ、物すごさ、奥の深さに感動します。外国人の来日が増加するにつれ、日本文化が世界に滔とう々とうと流れて広まり、「クールジャパン」と評価されているのはご存じの通りです。

 本書は文化論ではありませんが、私に言わせれば、それは当たり前のことなのです。
日本文化の本質は神道に起因し、原点は神道にあると思っています。

 例えば、伊勢神宮をはじめ神様にご奉納する絵画、彫刻等々に、天下一流の作者でも作品には歴史的に絶対に氏名を入れません。
 それに何も感じないのは知性の貧困です。神様の御前には、「無私」であり「心を込める」のみ、これが神道の神髄です。この精神が日本文化の素晴らしさの根底にあります。

 それが「日本人の物づくりの原点」なのです。この蓄積が無意識ながら日本人の遺伝的原点であり、二千年の文化の精神的基点と申せましょう。これがある限り日本人は外国には負けないのではないでしょうか。
 二千年前から今日に至るまで、日本は諸外国から歴史的に高く評価されています。その例を歴史書からざっと挙げてみましょう。

・『魏志倭人伝』二千年前の中国人の来日感想です。「(日本人は)盗まない、風俗は淫らではない、婦人は焼きもちを焼かない」

・孔子(紀元前五百年前の人)『前漢書』に「東夷とういの天性従順、日本に行きたい」

・『晋書』(中国正史の一、唐の時代、三~四世紀)「婦女は淫らではなく、嫉妬もしない」

・ザビエルの言葉(室町時代)「日本人は盗みの悪習を大変憎む」

・鎖国前の徳川初期、ロドリゴというスペイン人は日本の都市の清潔さ、食料が豊かなことを見聞して「日本に住みたい」

・幕末明治初期の来日外国人・フロイス宣教師は、日本の子供の聡明さに驚いて、それは親の躾しつけにあると見抜き、シーボルト(ドイツ人)は「日本は中国と類似性はない」と述べた

・阪神大震災の時、火事場泥棒がなく世界が驚いた

・東日本大震災。助け合いに世界が感動したこれらは全て、日本人の清廉性を外国では見られない特異なものとして驚嘆しているのです。

 もう一つ現代的な特異事例を挙げてみましょう。テレビ報道などで選挙の投票風景が映されます。
 外国の選挙投票用紙の大きさに違和感を覚えたことはありませんか。日本の用紙は小さい紙切れなのに、諸外国の用紙は格別に大きいのに気付きます。日本人は漢字、平仮名、カタカナを国民全員が読み書きできますから投票したい人のみの氏名を書けば済みます。
 ところが字の書けない国民の多い国は、大きな投票用紙に候補者全員を記載しチェックさせて投票するしかないのです。
 日本のような識字率の高い国は世界にないのです。

 仏教はインドに発しました。中国経由と東南アジア経由があり、最終の仏教最高蓄積地は日本です。仏像を見ますと、日本の天平勝宝時代に開花した日本仏像彫刻の素晴らしさ、芸術性は、経由国のそれ等を断然圧倒するものになっています。
 日本人にはそれが当たり前で気が付かない人が多いのでしょう。

 一事が万事。日本は古代より外国から取り入れたものを咀そ嚼しゃくし,全く新しい,人間の生活に役立つものをつくり続ける能力が他国を断然圧倒してきていることが分かります。

「日本文明は八世紀から独自の文明である」とハンチントン教授も指摘しているのです。
この伝統は近現代でも発揮されています。

英国の女王が讃嘆(さんたん)したという便座ウォシュレット。洋式便器は元々輸入したものでしたが、TOTOが開発発明し、世界を圧倒しています。現在の日本文化は本家本元の西洋あるいは中国を遥かに凌駕しており、彼らが改めて日本文化を"すごい"と称しているわけです。これは日本人の優秀さ、"手の工夫の文化"に依拠していると思います。
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