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日本人が知らない「感情」が果たす超重要な役割 202306

2023-06-15 21:52:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

日本人が知らない「感情」が果たす超重要な役割
 東洋経済オンライン より 230615 レナード・ムロディナウ:作家、物理学者


⚫︎感情や情動は理性にはできない方法で、私たちの思考や意思決定に役立っています

 かつて、感情は理性による論理的な思考を妨げるものであり、避けたり抑えたりすべきものとされていた。
 しかし、「感情神経科学」という注目を集める研究によって、感情や情動は人間の意思決定などに大きな役割を果たしていることが明らかになっている。感情や情動は直感的で正しい判断を下すために必要不可欠であり、それをコントロールすることは、社会的成功にとっても欠かせないものなのだ。
 今回、日本語版が6月に刊行されたレナード・ムロディナウ氏の著書『「感情」は最強の武器である』より、一部抜粋、編集の上、お届けする。

⚫︎脳による情報処理の方法
人間の脳はよくコンピュータにたとえられるが、そのコンピュータの情報処理は、我々が感情と呼ぶとても謎めいた現象と複雑にからみ合っている。

 誰しも不安になったり、恐れをなしたり、怒りが湧き上がってきたりしたことがある。かっとなったり、絶望したり、どぎまぎしたり、寂しくなったりしたことがある。喜んだり、誇らしく思ったり、興奮したり、安らぎを感じたり、欲情が抑えきれなくなったり、人を愛したりしたことがある。

 このような情動がどのように作られるのか、どうすれば操ることができるのか、どんな目的を持っているのか、私が子供の頃にはほとんど明らかになっていなかった。

 同じ出来事に対して2人の人が、あるいは同じ人でも別のときには、なぜまったく違う反応を取るのか、それも解明されていなかった。

 人間の振る舞いにもっとも強く影響を与えるのは理性的思考であって、情動は望ましくない結果を招く非生産的な役割を果たすことが多いと信じられていた。

 だがいまではもっと解明が進んでいる。思考や決断を促す上で情動は理性と同じくらい重要だが、その作用のしかたは異なる。

 理性的思考は目標や関連するデータに基づいて論理的結論を導き出すが、情動はもっと抽象的なレベルで作用する。それぞれの目標に当てはめる重要度や、データに与える重み付けに影響を与えるのだ。

 そうして築き上げられる評価の枠組みは建設的であるだけでなく、不可欠なものだ。知識と過去の経験の両方に根ざした情動は、現在の状況や未来の見通しに関する考え方を、多くの場合とらえがたいが重大な形で変える。

⚫︎情動に関する伝統的な理論
 現在のように情動の研究が爆発的に盛んになる以前、ほとんどの科学者は、はるばるチャールズ・ダーウィンにまでさかのぼる枠組みで人間の感情をとらえていた。
 情動に関するその伝統的な理論では、直観的に妥当そうに思えるいくつもの原理が示されていた。それは以下のようなものだ。

「恐怖、怒り、寂しさ、嫌悪感、喜び、驚きという少数の基本的な情動が存在していて、それらはすべての文化に共通しており、おのおのの機能は重なり合っていない。
 それぞれの情動は外界の特定の刺激によって引き起こされる。それぞれの情動はいつも同じ特定の振る舞いを引き起こす。それぞれの情動は脳内にある専用の特定の構造体の中で生じる」

 またこの理論には、少なくとも古代ギリシアにまでさかのぼる二分法的な心の見方も取り入れられていた。すなわち、心は競合しあう2つの力からなっていて、一つは論理的で理性的な「冷たい」力、もう一つは情熱的で衝動的な「熱い」力であるという見方だ。

 何千年ものあいだこのような考え方が、神学から哲学、そして心の科学に至るまでさまざまな分野に受け入れられていた。フロイトもこの伝統的な理論を研究に取り入れた。

 1995年のダニエル・ゴールマンの著作で有名になった、ジョン・メイヤーとピーター・サロヴェイによる「情動的知能(心の知能)」の理論も、一部それに基づいている。我々が自分の感情について考えるための枠組みにもなっている。だがそれは間違っているのだ。

 原子の世界を解き明かす道具が編み出されたことで、ニュートンの運動法則は量子論に取って代わられた。それと同じように、情動に関する旧来の理論もいまでは新しい見方に道を譲っている。
 それは、神経画像技術などのテクノロジーのすさまじい発達によって、脳の中を調べたり、脳を使って実験したりできるようになったことが大きい。

⚫︎脳の研究における3つの大きな進歩
 ここ数年のあいだに開発された一連のテクノロジーのおかげで、ニューロンどうしのつながり方をたどって、いわば脳の回路図、「コネクトーム」を描き出せるようになった。

 そしてこのコネクトームの地図によって、以前なら絶対に不可能だった形で脳の中をあちこち調べ回れるようになっている。不可欠な回路どうしを比較したり、脳の特定の領域に絞り込んでその中の細胞を調べたり、思考や感情、振る舞いを生み出す電気信号を解読したりできるようになっている。

 もう一つ、光遺伝学の進歩によって、動物の脳の中にある一個一個のニューロンを「制御」できるようにもなっている。ニューロンを選択的に刺激することで、恐怖や不安、鬱などの特定の精神状態を生み出す脳活動のミクロなパターンを解き明かせるようになった。

 3つめのテクノロジーである経頭蓋刺激法では、電場や電流を用いることで、人間の脳の特定部位における神経活動を活性化させたり阻害したりできる。被験者に永続的な影響は残らないし、これによって各構造体の機能を推定できる。

 このようなさまざまな手法やテクノロジーによって新たな知見と新たな研究が豊富に生まれたことで、「感情神経科学」と呼ばれるまったく新しい心理学の分野が興ったのだ。

 人間の感情に関する昔ながらの学問に現代のツールを当てはめた感情神経科学は、情動に対する科学者の見方を一変させている。
 旧来の見方では、感情に関する基本的な疑問に対してそれらしい答えは出てくるものの、人間の脳の働きを正確に表現することはできない。

 たとえばそれぞれの「基本的」な情動は、実は単一の情動ではなく、ある範囲、すなわちカテゴリーに含まれるさまざまな感情を十把一絡げに表現したものであり、そのカテゴリーどうしも必ずしも明瞭に区別できるものではない。

 たとえば恐怖もそれぞれ微妙に違うし、場合によっては不安と区別するのが難しい。もっと言うと、長いあいだ「恐怖」の中枢と考えられてきた扁桃核は、実際にはいくつもの情動で鍵となる役割を担っているし、逆にすべてのタイプの恐怖に欠かせないわけでもない。

 そこで今日では、5種類か6種類の「基本的」な情動から大きく視野を広げて、当惑や自尊心などのいわゆる社会的情動、さらには空腹感や性的欲求など、かつては衝動と考えられていた感情を含む、数十種類もの情動について論じられるようになっている。

⚫︎今最もホットな「感情神経科学」
 情緒的健康についていうと、感情神経科学では、鬱病は単一の病気ではなくて4つのタイプからなる症候群であり、それぞれ異なる治療が有効で、神経学的特徴もそれぞれ異なるとされている。この新たな知見に基づいて、鬱病患者が自宅で症状を和らげるのに役立つスマートフォンアプリも開発されている。

 さらにいまでは、投薬せずに精神療法だけで有効かどうかを、脳スキャンによってあらかじめ一人一人判断できる場合もある。
 また、肥満から喫煙依存症や拒食症まで、情動に関連したさまざまな病気の新たな治療法も研究されている。
 このような成功によって勢いづいた感情神経科学は、学術研究の中でもいちばんホットな分野の1つとなっている。

 アメリカ国立精神保健研究所の研究テーマの中でも重要視されているし、アメリカ国立がん研究所など、心の研究は対象外であると考えられることの多いいくつもの研究機関でも注目されている。

 心理学や医学とはあまり関係のない機関、たとえばコンピュータ科学の研究所やマーケティング組織、あるいはハーヴァード大学ケネディ政治学大学院などのビジネススクールも、この新たな科学に研究リソースや人材を割いている。

⚫︎情動がなければ決断も思考もできない
 我々の日常生活や経験において感情の果たす役割についても、感情神経科学は重要なことを教えてくれる。
 ある一流科学者は、「情動に関する従来の『知識』がもっとも根本的なレベルで疑問視されはじめている」と言っている。

 この分野を代表するもう一人の研究者は、「ほとんどの人は、自分には情動があるのだから、情動が何であってどうやって働くのかはよく分かっていると思い込んでいる。……だがそれはほぼ例外なく間違っている」と言っている。

 さらに3人目は次のように言う。「いまは情動、心、脳の理解をめぐる革命のさなかにある。その革命によって、精神疾患や身体的疾患の治療法、人間関係の理解、育児法、そして突き詰めると人間観など、この社会の中核をなす教義を考えなおさざるをえなくなっている」。

 もっとも重要なこととして、かつては情動は効果的な思考や決断を脅かすものと信じられていたが、いまでは、情動の影響を受けないと決断をすることも、さらには思考することもできないと分かっている。

 人類が進化してきた環境と大きく異なる現代社会では、情動は望ましくない効果をもたらすこともあるが、それよりも正しい方向へ導いてくれる場合のほうがはるかに多い。それどころか、もしも情動がなかったらどの方向にも容易には進めないだろう。

(翻訳:水谷淳)
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日本語は本当にマイナーな言語なのか――多くの人が気付いていない知られざる実力 202306

2023-06-15 21:13:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

日本語は本当にマイナーな言語なのか――多くの人が気付いていない知られざる実力
  デイリー新潮 より 230615  新潮社


 現在、世界には6000語を超える言語が存在しているといわれている。
その中で、日本語は日本国内で使われているだけだから、極めてマイナーな言語だというのが、一般的な日本人の認識なのではないか。

⚫︎現在、世界には6000語を超える言語が存在しているとわれている
 ところが、そのような認識は正しくないと半世紀も前に指摘したのが、言語社会学者の鈴木孝夫氏。
 1975年当時、日本語は中国語、英語、スペイン語、ロシア語、ヒンディ語、そして、次のインドネシア語に並ぶ6番目に使用者が多い大言語だというのだ。
 その後、インドネシア語、アラビア語、フランス語、ポルトガル語、ベンガル語には抜かれたが、依然として、11位の位置にある。
 鈴木氏によると、さらに特筆すべきは、その使用される範囲が日本国内とほぼぴったり一致することだという。鈴木氏の著書『閉された言語・日本語の世界【増補新版】』(新潮選書)から一部を再編集して、日本語の特殊な立ち位置について考えてみよう。

 ***

⚫︎店員は日本語を話してくれるか
 私たちが日本国内をあちこちと旅行して廻っているとき、誰かに道を尋ねたいと思った場合に、向うから来る人がはたして日本語を話すかどうかと考えてみることがあるだろうか。
 近くの店に入って買物をするときに、店員が日本語を知っているかしらと心配したことがあるだろうか。おそらくこのようなことを考える日本人は多くはないだろう。
 日本語は日本国中どこでも通用するし、日本人なら誰でも日本語を話すということは、自明の理であって、問題にする必要がないのである。

 ところが、このように、自分の国の中ならば、出会う同国人は必ず自分と同じ言語を話すということが、疑うべくもない前提として通用する大国は、世界広しといえども日本くらいのものなのである。
 日本はこのようにおそろしく純度の高い単一言語国家であり、しかもその言語が世界の大言語の上位に位置するという事実が、私たち日本人にとっても、また他の国の人々にとっても、今後いろいろな問題を生むことになるのである。

⚫︎美しいフランス語を話すアフリカの富豪
 日本語と日本人の特異な結びつきを示すために、もう一つの事実をあげてみよう。私たち日本人が国外を旅行しているとき、もしどこからか流暢な日本語が聞えてきたら、そこには本物の日本人がいると思ってまず間違いないということである。

 なにをくだらないと思う人があるかもしれないが、この事実ほど日本人と日本語の固い結びつきを具体的に示すものはないのである。

 日本語の代りに、同じことを英語なりフランス語なりの例で考えてみると、私が何を言いたいかがよく分ってもらえると思う。
 フランス人が国際線の飛行機に乗って旅行しているときに、美しいフランス語を耳にしたとしても、そこにフランス人がいることは必ずしも期待できないのだ。
 フランス以外のヨーロッパ諸国にはフランス語を自由に話せる沢山の人々がいる。それどころか、話し手はアフリカの金持、あるいはベトナム紳士であるかもしれない。

 これが世界のありとあらゆる国の人によって用いられている英語ともなれば、ある人が英語を上手に話すという事実だけからは、その人の国籍、人種、宗教などについての情報を得ることは不可能に近い。
 日本人であることと、日本語を話すということがほとんど同義語であり得るような状況は例外なのである。

 そこで問題を、今度はある国民と特定の言語との結びつきという見地から、一つの国の中で使用される言語が一つか複数か、つまり単一言語か複数言語かという観点だけに絞って、日本以外の国々の言語の実態を概観してみよう。

⚫︎複数の公用語を使う国々
 世界には、国語ないし公用語として複数の言語が用いられている国があると言うとき、多くの人が第一に思いうかべるのはスイスであろう。
 500万ばかりの人口の約74パーセントがドイツ語を話し、ついでフランス語、イタリア語、そしてごく少数のロマンシュ語が使われている。ロマンシュ語を話す人の数はわずか4万人程度であるのに、これまで国語の一つとして認められている。

 アメリカ大陸ではカナダが、英語とフランス語の二言語を公用語としているので有名だ。ことにカナダ第一の都会モントリオールのあるケベック州では、行きずりの旅行者にもそれと分るほどの徹底した二重言語生活が行われている。

 世界一広大な領土を持つソビエト連邦(当時)が多言語国家であることは、むしろ当然のこととして理解されよう。ここでは2億3千万の人々が、なんと130にものぼる異った言語を使っていて、公用語の数も多い。もちろん連邦内の異民族、異言語使用者の間の共通語としてのロシア語の地位はゆるぎないものである。

 南アジアではインドが、あまりにも複雑な言語事情の故に、旧宗主国である英国が押しつけた英語を、独立国民としての根強い感情的反撥にもかかわらず、15種もの公用語の一つとして認めざるを得ないのが現状である。
 ヒンディ語は公用語として勢力を拡大してはいるが、ドラヴィダ系言語の使用者をはじめとする、これに反撥するヒンディ語系以外の国民の力は、政治的不安を作り出すほど強いものがある。

 さて普通に多言語国家と称せられるものは、以上のように、一つの国の中で二つ以上の言語が公用語、あるいは国語としての地位を与えられている場合をさすことが多い。

 日本語が、世界にまれな特徴を持っていることを知っていますか? 日本語を話す人=日本人という事実上の単一言語国家であり、侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。
 言語社会学の第一人者が、言葉と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして私たちの自己像を考える。
📘時代を経ても色あせぬ論考 『閉された言語・日本語の世界【増補新版】』

⚫︎英仏で勢力を増す少数民族言語
 しかしその公用語あるいは国語は一つであっても、国民のある部分が、主として私的な生活の場面では、公式の国語以外の言語を使用しているという、実質的な多言語性を持つ国ということになると、日本の知識人が事情を良く知っていると思っているイギリス本国やフランスでさえ、実は立派な多言語国家なのである。
 いやそれどころか、ある程度以上の大きさを持った世界の国々は、おどろくなかれ、ほとんどこの範疇に入ってしまうことになる。

まず手はじめに、イギリスのことを考えてみよう。
 ここでは大ブリテン島の西部ウェールズ地方においてケルト系のウェールズ語が約65万の住民によって広く使用されている。
 北部にはゲール語を用いる少数の人々が居り、また英本国の一部をなす北アイルランドでは、アイルランド語が話されている。
 これらは、いずれもゲルマン系のアングロ・サクソン民族が大陸から侵入してくるまでは、大ブリテン島の先住民の言語だった。
 したがってケルト系言語は被征服民族の言語として長い間、日の目を見なかったのであるが、最近の世界的な少数民族集団の自立意識の高揚と、民族語の再興の気運に乗って、今やとみに勢力を盛り返している。要するにイギリスは英語だけの国ではないのである。

 フランス本国もフランス語だけではない。
西北部のブルターニュ地方ではケルト系のブルトン語、
西部のピレネー山地にはバスク語、
西南部スペイン国境地方にはカタロニア語、
さらに南部地中海ぞいではイタリア語を使用する人さえいる。
またドイツと長い間帰属を争ったアルザス地方はドイツ語地帯でもある。
 フランス国内にドイツ語の一種を話すフランス国民がいるなどという事実は、私たちの持つフランスのイメージにはそぐわないものではないだろうか。

⚫︎アメリカも「多言語」の国
 一般の日本人に想像もつかないような複雑な状態になっているのが、アメリカ合衆国の言語であろう。アメリカではどこでも英語が通用し、英語だけが話されていると思っている日本人が多いが、肝心のアメリカ人ですら、つい最近までそう信じていたのだから無理もないことである。
 アメリカにつぎつぎと渡って来る移民たちは、2世3世と世代が進むにつれて、かつての祖国からの言語や文化の影響が薄れ、人々はアメリカ英語アメリカ文化という共通のルツボの中に溶け合って行く。これが従来のアメリカ合衆国の言語、文化の姿に対する一般の見方だった。
 ところが1966年に著名な社会言語学者であるJ・A・フィッシュマンが長年にわたる調査を集約して『アメリカ合衆国における言語的忠誠度』という大著を著わし、それまで当のアメリカ人が気付かなかった、いや気付きたくなかった言語的多様性をあばき出したのである。

⚫︎米国内にある1000局以上の外国語放送局
 この本では、英語以外の言語で出される新聞、外国語による国内放送、教会や学校で用いられる外国語など十数の項目にわたって、いかに根強く、いかに広汎に英語以外の多彩な言語が、日常生活に用いられているかが示されている。

 その中の一つにAmerican Council for Nationalities Servicesが行なった外国語によるラジオ放送の調査が出ている。
 これによると、大陸部アメリカ合衆国(つまりハワイなどを含まない)では、
1965年には、驚くなかれ1005局の外国語放送局があり、全体で1週間あたり平均5000時間の放送を行なっていた。
これが4年後には1300局、6200時間強と増大する傾向にあるという。
 外国語の種類別では、スペイン語、イタリア語、ポーランド語、ドイツ語、フランス語の順で上位5番が占められているが、全部で約40種の異った言語による放送があるとう。

 私も1972年にロサンゼルスを訪れた際、市営のバスに乗ったところ、車内の出入口を示す標示や注意事項が、英語とスペイン語で書いてあるのを見て、いまさらのように合衆国西南部が、元来はスペイン語地域だったことを感じたものである。

 前述のフィッシュマンの調査には、北アメリカ土着の、多種多様のインディアン諸語は含められていないが、多言語性という見地からこれをも含めて、改めてアメリカ合衆国の言語事情を見直してみると、様式こそちがえ、アメリカはソビエト連邦につぐ多言語国家だったのだという認識を新たにするのである。

⚫︎一国家一言語という特殊性
 このような主要世界各国の言語事情を念頭に置きながら、我国の現状を見直すとき、そこに見られるあまりの均一性、徹底した等質性はまさに驚異に価する。
 国内のいかなる辺鄙な山村に行っても、方言の差こそあれ、日本語が通用し、また日本語しか通用しないのである。
 駅や道路標識などにおいて、外人観光客へのサービスとしての英語標示がわずかに見られる以外、紙幣も、切手も、公式文書も、教育も、一切が日本語という一言語だけでことのたりる日本は、国家全体の言語効率という見地からは世界最高である。
 日本は言語(そして人種および宗教)の問題が国論を二分するような政治の争点になり得ない数少ない近代国家の一つなのである。

※鈴木孝夫『閉された言語・日本語の世界【増補新版】』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部
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🚶…コーナン宇治…槙島農地… 230615

2023-06-15 17:46:00 | 🚶 歩く
☂️🚶…右岸堤防道/河川敷…宇治橋…JR線北沿…JR宇治駅…ユニチカ宇治南沿…コーナン宇治🪀…迎賓館沿…槙島農地(外…北宇治中沿…蛭子嶋社沿…大町…幡貫…群)…宇治川高架橋…右岸堤防道…>
🚶10692歩2kg+186歩

☂️ポツポツ傘不要雨:梅雨
宇治川で🛶👀
JR宇治駅構内で写真展
コーナン:🪀カプセルトイ,📷👀,抹茶練込たい焼

夜)⚡️稲光雷鳴響くもショボい俄か雨
🚙⇆観月橋Std👭





宇治川50km付近の中洲

飛ぶ鷺と列車

宇治駅構内で複線化記念写真展





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