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「悲劇」の始まりは何だったのか? その血脈と芸  202306

2023-06-25 10:34:00 | なるほど  ふぅ〜ん

市川猿之助家、「悲劇」の始まりは何だったのか? その血脈と芸
  現代ビジネス より 230625  中川 右介


⚫︎市川猿之助の事件で歌舞伎が注目されている
「世襲」「門閥」「男子のみ」といった旧態然とした方法で、芸を継承していることそのものへの批判も出てきた。

「市川猿之助家」とは、そういう歌舞伎界の旧弊を打破してきた家でもある。それなのに、世襲してしまったことが、悲劇の始まりでもあった。

 当代の役者はいかなる歴史を背負って舞台に立っているのか? 明治から現在まで、歌舞伎座の頂点を目指す七大名家の興亡を描きつくした大著。歌舞伎を観るのが、もっと面白くなる!

⚫︎市川猿之助家も世襲だが
 市川猿之助家も世襲である。初代から4代目まで男系男子で続いている。だが、直系ではない。

 初代の子が2代目、だが、2代目の子は猿之助を襲名せず、一世代飛んで、2代目の孫が3代目となった。ここまでは男系男子の直系である。

 3代目猿之助は女優・浜木綿子と結婚し長男が生まれたが離婚し、子は浜が引き取った。香川照之である。3代目と香川は絶縁状態で、成人した香川が面会を求めても3代目が頑なに会わなかった話は有名だ。

 そして2012年に、3代目の弟・4代目市川段四郎の子・亀治郎が4代目猿之助を襲名した。世襲ではあるが、親から子ではなく、伯父から甥への継承だ。

⚫︎世襲・門閥を否定した3代目
 代々の猿之助は、歌舞伎界では異端だった。

 初代は9代目市川團十郎の弟子だったが破門になり、やがて許されて復帰した。歌舞伎以外の新派や新劇にも出ていた。

 2代目も、新劇に出て、すでに松竹が歌舞伎興行のほとんどを担うようになっているなか、松竹に反旗を翻したこともある。

 3代目は23歳で猿之助を襲名したが、直後に祖父(2代目)と父が亡くなったので、「劇界の孤児」となった。歌舞伎は門閥主義で座組が決まるので、後ろ楯のなくなった3代目猿之助は、大幹部の誰かに頭を下げて一門に加えてもらうしかなかったが、それを断り、自分で独自の公演を始めた。

 3代目猿之助は、他の歌舞伎公演とは異なる、徳川時代にあったケレン味のある、娯楽としての歌舞伎を復活させた。宙乗りや早替わりといった技法で、観客を沸かせた。

 さらに、現代語のセリフ、西洋音楽を用いた、伝統的歌舞伎とは一線を画した「スーパー歌舞伎」も創案した。

 それらは「猿之助歌舞伎」と呼ばれ、興行成績はよかったが、歌舞伎座の「松竹大歌舞伎」には出演できなかった。劇界で、猿之助一門(澤瀉屋)は異端的な存在、一種の独立王国となった。

 その王国には、他の一門にいた役者も加わったが、一般家庭出身の役者も多い。

 3代目猿之助は世襲・門閥にとらわれず、一般家庭出身者を歌舞伎役者として鍛え、登用していたのだ。市川右近(3代目右團次)を筆頭に、市川笑也、市川笑三郎、市川猿弥、市川春猿(現・河合雪之丞)、市川月乃助(現・2代目喜多村緑郎)などである。

 そのひとりが、弟・4代目段四郎の子、市川亀治郎――4代目猿之助である。

 亀治郎は幹部役者の子ではあるが、いわゆる「御曹司」としての扱いはされていない。猿之助一門が異端の存在であり、その当主の子ではなく甥だったからだ。

⚫︎歌舞伎の御曹司
 幹部役者の子は「御曹司」と呼ばれる。猿之助の同世代では、13代目市川團十郎、10代目松本幸四郎、5代目尾上菊之助らが、その代表だ。

 単に「役者の子」ではなく、「一門の長」の子である。

 彼らは3歳くらいで「初御目見得」し、6歳前後で役者としての名をもらい「初舞台」を踏む。そして子役時代を経て、10代後半から「花形歌舞伎」に出て、父の芸を演じる。幼少期から父と同座して、その芸を間近に見て覚える。

 同時に、彼らはいわゆる帝王学も自然と学んでいく。

 大幹部である父は、自分が主役を演じるだけではなく、誰に何の役を当てるかといったことや、何年後に誰に何を襲名させるかといったこと、さらには一座としての財務も担わなければならない。さらに、歌舞伎界全体を率いていく立場にもなる。

 御曹司たちは、父の舞台の外での姿も間近に見て、松竹との交渉の仕方、他の役者との接し方、ご贔屓とのつきあい方などを学んでいく。

 世襲の利点は、このように、幼少期からの徹底した英才教育が可能だということだ。

 大幹部役者の子たちは、芸と帝王学の2つを叩き込まれて育つ。「お前は長男だから」「お前は家を継がなればならない」と言われ続けて育つので、無意識のうちに身につく。

 しかし、亀治郎(4代目猿之助)は、「王家の次男の子」として生まれ、王位継承権はあるものの、現実には王位を継承する可能性は薄かったので、誰かから帝王学を学んだ形跡はない。

⚫︎「舞台あらし」となった亀治郎
 2003年、亀治郎(4代目猿之助)は、父・段四郎とともに、伯父の猿之助一門から出て、フリーになった(歌舞伎界でどの一座にも加わらないという意味)。伯父と衝突したわけではなく、もっと広い世界を経験したいというのが理由だと説明している。

 しかし、フリーになってはみたが、大幹部たちは自分の子を引き立てるので、亀治郎は役に恵まれない。たまに大役をつとめると、段違いにうまいため、他の役者をくってしまい、次は呼ばれなくなった。演劇マンガ『ガラスの仮面』(美内すずえ)でいう「舞台あらし」的な存在となってしまう。
 歌舞伎座からお呼びがかからない亀治郎は、国立劇場を借りて自主公演をしたり、大河ドラマ『風林火山』に出たり、明治座などで自分よりも若い役者を率いて公演するようになっていく。

 一方、亀治郎が一門を出た年の11月、3代目猿之助は公演中に倒れ、舞台に出られなくなった。一門は市川右近(現・3代目右團次)を主役にして公演を続けた。

 3代目猿之助の役を学び身につけている市川右近が、子のいない3代目の後継者になるのではと思われた。

 だが、香川照之が自分に息子が生まれ、その子を歌舞伎役者にさせたいと思い込んだことで、予期せぬ展開となる。
子を歌舞伎役者にするために、香川は自分も歌舞伎役者になると決意した。

 こうして、香川と3代目猿之助の父子は和解した。だがさすがに香川が「猿之助」を名乗ることはできない。

⚫︎「猿之助」と「澤瀉屋一門の長」を継承したはずが
 香川の思いを汲んで、従兄弟である亀治郎は澤瀉屋(猿之助)一門に復帰し、猿之助を4代目として襲名することになった。亀治郎は「ずっと亀治郎でいたい」と言っており、それは「猿之助を継がない」という意味だったが、猿之助になったのだ。

 つまり、世襲・門閥に囚われていないはずの3代目猿之助は、結局は、自分が見出して育てた役者たちよりも、血縁者を後継者に選んだのである。

 2012年6月が、3世代4人の襲名披露公演で、3代目市川猿之助が2代目猿翁に、2代目亀治郎が4代目猿之助に、香川照之が9代目市川中車に、その息子が5代目市川團子になった。

 これで、4代目猿之助は、3代目の「芸」だけでなく、「澤瀉屋の長」というポジションも継承したはずだった。

 実際、襲名からしばらくは、猿之助は一門を率いた公演をしていた。だが、いつしか一門から離れ、自分だけで歌舞伎座に出たり、他の演劇に出たりするようになっていく。

 一門は猿之助抜きに、市川右近(現・右團次)を座頭として公演することもあったし、坂東玉三郎や市川海老蔵(現・團十郎)を座頭とする公演で脇を固めていた。

 猿之助主演のヒット作『ワンピース』には澤瀉屋一門が総出演していたが、一門以外の若い役者も起用されていた。

 この一門の状況に危機感を持ったのか、2016年に市川春猿と市川月乃助が新派へ移籍した。
 2017年には、右近が市川宗家の海老蔵(13代目團十郎)の仕切りで「市川右團次」という名跡を3代目として襲名し、以後は成田屋(市川宗家)の公演に多く出るようになった。
 澤瀉屋一門から、役者が減っていく。

⚫︎「天才役者」と「一門の長」との両立は困難だったか
 4代目猿之助は『ワンピース』などの新作歌舞伎に若手を登用・抜擢し、彼らから慕われていたが、一門の役者たちの面倒を見ることには関心が薄そうだ。

 猿之助襲名前、「ずっと亀治郎でいたい」と言っていたのは、「生涯一役者として生きたい」という意味だ。役者として、「猿之助の芸」は継ぎたかったが、「一門の長」になる気はなかった。

 だが、さまざまな事情で、「猿之助」になってしまった。それが悲劇の始まりだ。

「天才であること」と「組織のリーダーであること」は、ときに矛盾する。両立は至難の業だろう。その矛盾が臨界点に達したのかもしれない。

 現時点では、何があったのかは分からないが、猿之助が、自らの名を冠した「猿之助奮闘公演」に大きな穴を空けたこと、6月、7月、8月、9月も座頭での公演が予定されていたが、それらへの手当も何もせずに、突然の行動に出て、自分の都合で興行に危機をもたらしたのは、紛れもない事実だ。

 澤瀉屋一門の今後も、不安定、不確実となった。
 一門や松竹よりも、自分が優先したのは、芸術家としては立派である。だが、多くの人の生活を預かる立場、リーダーとしては、失格だ。

 帝王学が身についていなかったのだろう。
御曹司として育てられなかった者がトップに立ったことでの悲劇だ。
 日本でいちばん有名な一族もまた、伯父から甥へ継承されようとしている。
つまり、次男の家に生まれた子が、将来トップに立つ運命にある。




💋世襲、伝統継承 …
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🚶〜観月橋…種智院大↩️ 🚶〜JR京都…🍻↩️ 230624

2023-06-24 23:19:00 | 📖 日記
🚶…🚉〜観月橋…(観月橋…旧奈良街道…近鉄向島駅北踏切…種智院大:🎓)↩️…ビデオ1…観月橋〜🚉…>
🚶…JR黄檗〜京都…🍻鮮や一夜ReikIsc同窓会…近鉄京都〜丹波橋//🥮/〜中書島〜🚉…>

🚶13881歩2kg10F

⛅️観月橋30℃、風心地よく

種智院大; 弘法大師空海御誕生1250年記念リレー講座(全6回)企画。第2回目『弘法大師の前世譚』大正大/名誉教授;苫米地誠一先生
たっぷり2時間,聖徳太子が…,次回も楽しみ。梅原猛氏の書籍を読んでなかったら意味不明。

🍻かなり久々の同窓会:14名:Ies,Uen,?Nsj,Mzt,Uede,hsm,Yg,Kws,Nkm,Knk,xxx
 懐かしいメンバーで楽しく久々に🍷4🍺(今年初アルコール)
10数年ぶりで話弾むあっという間の2H
 JR京都改札で散会,Ygと近鉄京阪で帰路に



種智院大正面

講義室にて

仏様曼荼羅

同所より遠望に伏見桃山城と比叡山





 

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🚶…左岸堤防道47km碑↩️…Alp📚 230623

2023-06-23 22:29:00 | 🚶 歩く
🚶…大島…莵道太閤橋…右岸堤防道/河川敷…隠元橋…左岸堤防道47km碑↩️…隠元橋…右岸堤防道…Alp🏧📚…右岸堤防道…>
🚶⇆Alp📚
🚶10283歩2kg+1667歩

☁️⛅️隠元橋28℃,風心地よく,今日も中途半端な天気。

📚ウッカリ重複購入を戻し別本を。
📚古寺行こう:相国寺,CAPA7,なぜ人だけが老いるのか,日本の闇と怪物たち,女ことばってなんなのかしら?,日本史サイエンス弍,時間の終わりまで。

夜)🖨️



昼空

左岸堤防道47.4km碑より



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🚶〜観月橋…大手筋…桃山御陵…桃山南口〜 230622

2023-06-22 21:55:00 | 🚶 歩く
🚶〜観月橋…ビデオ1…桃陵町沿…南浜消防署前…龍馬通り…大手筋通:OS💊…御香宮参道…伏見桃山御陵西参道…伏見桃山御陵西沿…伏見桃山城口…桓武陵参道…桓武御陵🙏↩️…桓武陵参道…明治御陵🙏…昭憲皇太后御陵🙏…桃山御陵南参道…桃山南口〜宇治…大人はズルイ🍞…右岸堤防道…>
🚶11469歩2kg+104歩

🌥️:御陵参拝中🌤️縁起よし(^^)
明治御陵と皇太后御陵を繋ぐ坂道に新しく手摺りが設置された。
早朝は猛雨だったが昼前には止む
 昨日同様に散歩し易い天気に
観月橋&御陵参道=22℃
大手筋にて着物アンケート答える。

夜)🚙⇆観月橋Std👭


涼しい天気で…何となく体調すっきりせず、とは言えしっかりスタコラ歩ける…が今月も寒暖差ありすぎて…



南浜町にて

明治御陵より南方の空

同上

宇治川右岸堤防道50.4kmより西山山系





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「死の誕生」が生物の起源?……自己増殖マシーン「RNA」が「壊れる」ことで全てが始まった! 202306

2023-06-22 10:42:00 | 📗 この本

「死の誕生」が生物の起源?……自己増殖マシーン「RNA」が「壊れる」ことで全てが始まった!
 現代ビジネス より 230622  小林 武彦


 すべての生物に共通である「死」。
つまり、生物の進化の最初から「死」はインプットされていたことになる。

ベストセラー『生物はなぜ死ぬのか』の著者である小林武彦氏が「死の起源」を探る!
(本記事は小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』から抜粋・編集したものです。)

🧬「よどみ」に生まれた生命のタネ「RNA」
 一番最初の生物を作った進化とは、いったいいかなるものだったのでしょうか。これは、コンピュータにたとえると「プログラム」のようなものです。プログラムは、簡単に言うと規則です。たとえば「AとBを足して平均をCとする、それを繰り返す」みたいなものです。

 進化のプログラムの最初は、単純な「物質」からのスタートです。
地球上の生命は38億年前に熱水が噴き出し、温度が高く化学物質が常に供給されるような比較的小さな「よどみ」で起こったと考えられています。このような場所は化学反応が起こりやすいのです。生き物は、昔から温泉が好きだったということです(笑)。

 そこで最初にできたのは、RNAやアミノ酸といった有機物です。有機物とは、生命の材料となる物質の総称です。

 RNAは将来親から子へ受け継がれる情報、つまり遺伝子となる物質(遺伝物質)です。新型コロナウイルス感染症のワクチンができたときによく耳にしたメッセンジャーRNA(mRNA)のRNAです。アミノ酸は、生物の体を構成するタンパク質の材料となります。

🧬RNAの3つの性質
 まずRNAです。RNAには、遺伝子の基となる3つの性質があります(図1‒2)。

図1-2 RNAの3つの性質

 1つ目は、自身を複製して子孫に継承する「自己複製能」です。
RNAは4つのブロック「塩基」(G、A、U、C)がつながったひも状の分子です。さらにGはCと、AはUと結合できます。そのため、図1‒2で示したように一方のRNA鎖を鋳型として、それとちょうど相補的な鎖(鋳物)を、時間をかけて作ることができます。この鋳型と鋳物(G-C、A-U)の結合は弱いので、熱やアルカリで剝がれます。すると、それぞれがまた鋳型として働いて相補的な鎖を作ります。

 このようにして自分のコピーを次々に増やします。「型」にチョコレートを流し込んで、同じ形のチョコレートをたくさん作るような感じです。

 遺伝子として必要な2つ目の性質は、変化することです。
ただコピーを作るだけでは氷の結晶が大きくなるのとあまり変わりませんね。RNAという物質は、都合がいいことに反応性に富んでおり、化学反応を触媒したり自身の分子を切ったりつないだりする「自己編集能」を持っています。この性質によって、G、A、U、Cの順番や長さが変わりいろいろな反応を触媒できるような分子に変化できます。

 つまりRNAは、自分と少し違う多様な分子を作り出すことができるのです。チョコレートの「型」が勝手に変化して、いろいろなチョコレートを作り出していくわけです。

 3つ目の性質は、壊れやすいということです。せっかくできても、時間が経つとまたブロックに戻ってしまいます。チョコレートにたとえると、溶けて形がなくなるような感じになります。これは次に述べるように、変化を加速する上で非常に重要な性質です。

🧬「死」の誕生
 このような変化を生み出す自己増殖可能なRNAが生命のタネ(種)となり、進化のプログラムが動き出します。

 進化のプログラムとは、簡単に言うと「変化と選択」の繰り返しです。「変化」はいろいろな分子ができること、多様性の獲得です。専門用語では変異と言います。「選択」は多様 なものの中で、たまたまその環境で複製しやすい、増えやすいものが選ばれて残ることで す。適応と言ってもいいと思います。

 このプログラムを動かし続ければ、やがてすごく増えやすい分子が誕生することは、容易に想像できますね。

 実際には、もう一つ重要なことがあります。

 それは、新しいRNAを作り出すための材料の供給です。作るだけではやがて材料が底をついてしまい、プログラムは止まってしまいます。

 生命の誕生は、奇跡的に良い条件が揃った小さな温泉の水たまりのような空間で、物質が濃縮された場所での出来事です。
 現在の科学力をもってしても試験管内でゼロから生命を作れないことを考えれば、大元の材料から作るのは大変で、RNAのブロックの恒常的な供給がないところで新しい組み合わせを作るのが難しいことは想像できます。

 そこでブロックを供給する方法は、一つしかありません。それは古い分子が速やかに分解されて、またブロックに戻ることです。つまりリサイクルです。

 RNAは先ほどお話ししたように、壊れやすい性質を持っています。作られては壊されて、次から次へと作り替えられます。その中でより増えやすい分子が自身のコピーを増やしていきます。
 あるいは、いくつかの違う性質を持ったRNA分子が共同で働いたりお互いにつながったりして、単に1本のひもではなく、複雑な構造(立体構造)を作ったのかもしれません。

 たとえば自己複製反応を助けるようなRNAや、切ったりつないだりの「編集」のみを
専門に触媒するようなRNAも登場したと思われます。まさに、RNAによるRNAのた
めの「RNAワールド」が展開されました。

 このように、最初の「生命のタネ」であるRNAは自己増殖マシーンでした。しかもそ
れらの性質は、RNAという「物質」の4つのブロックの並び順による「デジタル情報」で決まります。

 この自己増殖マシーンの進化のプログラムを動かしたのは、多様な試作品ができては壊されて材料を供給すること、つまり「壊れること」です。これが進化の原動力となり、「死の起源」となりました。

「死」はここから始まったのです。

ただし、RNAは物質であり、まだ生物ではありません。



ベストセラー『生物はなぜ死ぬのか』著者・小林武彦氏の待望の最新作『なぜヒトだけが老いるのか』(6月22日発売)は、ヒトだけが獲得した「長い老後」の重要な意味を生物学で捉え、「老い」の常識を覆します!



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