滋賀県 犬上郡甲良町正楽寺 勝楽寺の石造美術(その2)
勝楽寺本堂左手墓地の奥、山裾に五輪塔の部材を長方形に並べ囲んだ一画に3基の重制無縫塔が並ぶ。いずれも花崗岩製で高さ90cm前後。中央が開山(雲海)塔で、向かって右が二世(深渓)塔、左が三世(九岩)塔とされる。中央塔は、前後二石を組み合わせた平面八角形の切石基壇上に立ち、基礎、竿、中台は八角形で基礎底部の各角に短い脚を設け左右に持送りをつけ、各側面に輪郭を巻いて内に格狭間を配する。上面は低い一段を経て抑揚感のある複弁反花とし、さらに受座につなげて竿を受ける。竿は正面に「開山」の2字を陰刻し、側面には1つおき(「面取」に相当する面)に蓮華座上の舟形背光の前に3連如意宝珠を積み上げたレリーフを中央に配する。中台は薄い受座底を設け、単弁請花で無地の薄い側面を受け、上面には複弁反花座を刻みだす。その上に単弁二重鱗葺の蓮華座を載せ卵形の塔身を置く。丁重な彫りと細部までいきとどいた意匠・表現は典麗かつ温雅で、塔身の曲線も素晴らしく3基中最古と考えられる。開山塔にふさわしいが、竿正面の「開山」銘については川勝博士、田岡香逸氏ともに後刻と推定されている。なお、開山の雲海正覚(or意?)和尚は暦応4年(1341年)の示寂。没後間もない頃の造立と思われる。田岡香逸氏は1370年ごろと推定されており、33回忌にでも造塔したのだろうか。小生は賛同しかねる。右塔には切石基壇は見られず直接地面に基礎を据えている。中央塔と同じく基礎、竿、中台は平面八角形。基礎各側面に輪郭を巻き内に格狭間を配す。基礎上面は中央塔に見られる一段は省き反花を経て竿受座に続ける。反花は基礎側面中央に通常の複弁を、左右(基礎側面各角に当たる)に覆輪付単弁を配し、隙間には根元まで延びる間弁(小花)を入れている。複弁と単弁を交互に配す珍しい意匠である。竿は正面に「昭塔」の2字を陰刻し、「面取」に相当する各面の中央に開敷蓮花のレリーフを飾る。1つおきにレリーフを飾るのは中央塔と同じである。中台は下底に竿受座を設け繰形に持ち送り一段張り出して側面を素面にしている。中台上面は平らに切って椀状の単弁二重鱗葺の請花座を挟んで卵状の塔身を載せる。中央塔に比べると細部の意匠に簡略化が見られ、基礎側面の格狭間の肩が下がるなど新しい要素が見て取れる。左塔も直接地面に基礎を据え、同様に基礎、竿、中台は平面八角形で、基礎側面に輪郭を巻いて内に格狭間という意匠は他塔と同じで、そこから一段を経て反花、竿受に続ける手法は中央塔と同じである。反花は基礎各角に細長い間弁(小花)を入れる。これは大和系の五輪塔の反花座の隅弁によく見られる手法である。竿は正面中央に「穆塔」の2字を陰刻し、「面取」相当面に1つおきのレリーフを入れる手法は他塔と同様である。レリーフは中央塔と同じく舟形背光に3連如意宝珠を蓮華座上に積む意匠である。中台は下底から側面は右塔と同じく繰形の持ち送りの上下に一段を設け、側面は素面とする。中台上面は中央に薄い複弁反花座を刻みだし、シャープな小花付の覆輪付単弁の蓮華座を載せる。この蓮華座の上面に低い塔身受座を刻みだす。その上の塔身は他塔に比べ側面のカーブに硬さが目立ち円筒状に近い。基礎の輪郭や格狭間、竿のレリーフ、塔身を受ける蓮花座の蓮弁など細部の彫りが深くシャープな印象を受ける。3基ともよく似た感じの無縫塔だがよく見ると微妙にそれぞれの個性があり、最古と見られる中央塔の構造・形式や意匠を基本的に踏襲しつつ細部の意匠に少しずつ個性を主張する部分を交えている。右塔が南北朝末期、左塔が室町初期の造立されている。無縫塔は卵塔とも呼ばれ、鎌倉前期、京都泉涌寺開山塔として大陸から導入採用され、主に禅宗の高僧の墓塔として普及し、その後宗派を越えて広がり、今日も僧侶の墓塔として多く造立されている。塔身と基礎を基本とする単制のものがほとんどだが、竿と中台、請花を備えた本格的な重制の無縫塔は、近江でも珍しく、欠損のない優品が3基並ぶ様子はまさに壮観、見るべきものである。
なお、勝楽寺に程近い若一神社には鎌倉後期の完形石造宝塔があり(2007年2月1日記事参照)、裏山の勝楽寺城はハイキングコースとして整備されている。静かな境内に立ち文武に優れた乱世の奸雄の不敵な生き様に思いをはせるのも一興、石造マニアならずとも訪れたい場所である。
写真上左右:立ち並ぶ様子、中左:中央塔(開山)、中右:右塔(2世)、下、左塔(3世)
参考:『滋賀県の地名』平凡社日本歴史地名体系25 787~788ページ
川勝政太郎 『歴史と文化近江』 176~177ページ
川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 133ページ
田岡香逸 「近江彦根市と犬上郡の石造美術」―北野寺・唯念寺・念称寺・勝楽寺―
(後) 『民俗文化』188号