石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 奈良市春日野町 若草山地蔵石仏

2011-09-24 17:29:07 | 奈良県

奈良県 奈良市春日野町 若草山地蔵石仏

若草山の山麓、土産物店の並ぶ道から少し東に入った場所にある。01(若草山の入山料を支払わないと近くには行けない。02_2南側の入山口からすぐ東の木立の下に見える。)高さ、幅とも3m余の岩塊の平滑な西側面に地蔵菩薩立像を線刻する。像高約183cm。「カナンボ石」と称される安山岩の石材は、三笠山周辺に普遍的に見られるため「三笠安山岩」と呼ばれる。硬くきめが細かいが打撃には脆いところがあり、古来奈良近辺では古い寺院の礎石などの石材として利用されてきたものである。真新しい割面は滑らかで鮮やかな黒色だが表面が風化するとざらついた茶褐色になる。同じ安山岩で石器の材料となったサヌカイトにちょっと似ているがあれ程は緻密でない。線刻の跡が黒々としているのはそうした岩質のためで、観察には好都合である。

像容は蓮華座に立つ真正面を向いた声聞形の地蔵菩薩像である。胸前に上げた右手は錫杖を執らず人差指と親指で輪を作る。左手はみぞおち辺りで横にして中指を曲げ親指の先にあてて輪を作っているように見える。05あるいは曲げた中指と見たのは掌にある宝珠かもしれない。07_308錫杖を持たないこの印相の地蔵菩薩像は矢田寺式の地蔵とも呼ばれる。矢田寺(金剛山寺)の本尊と同じ形であることからこのように呼ばれる。指で輪を作る印相は阿弥陀如来の来迎印と同じで、地蔵と阿弥陀の両性を具有する像容と考えられる。地蔵菩薩に引接され阿弥陀如来の西方浄土に迎えられたいと願う信仰の現れなのだろうか。像容表現に優れ、蓮華座の形状も概ね整い、均整のとれた体躯、重なり合う衣文表現は極めて写実的で、端正な面相とあいまって洗練された絵画的な趣きを示している。一方でどことなくぎこちなく線に元気がないようにも感じられる。フリーハンドで奔放に描いたというより下絵をトレースしたような感じというと伝わりやすいかもしれない。また、光背が表現されていない点も迫力が感じられない一因と思われる。

像容の左右に造立銘がある。向かって右側に「天文十九年(1550年)庚六月日好淵敬白/南無春日大明神」、左側に「奉造立供養地蔵菩薩/勧進衆等乃至普利」と達筆な書体で陰刻されているのが肉眼でも確認できる。03_2春日大社の主祭神のひとつ天児屋根命の本地仏が地蔵菩薩であることから、春日明神を供養するための作善で、好淵という法名の人物が関わり勧進の手法により造立されたことが知られる。地蔵、阿弥陀そして春日明神への信仰が混然一体となって少々複雑な様相を呈する神仏習合のひとつの現れであろう。

04_2石造物も粗製乱造の時代と言える室町時代も後半の作であるが、流石に藤原氏の氏神、春日大社のお膝元にふさわしい洗練された典雅な表現で、この時代の一般的な石仏とは明らかに一線を画する優れた作品と言えよう。恐らく石工のフリーハンドではなく絵師の描いた下絵を元に丁寧に鏨を当てていったであろうと推測される。作風優秀で造立紀年銘が貴重ではあるが、こういうケースでは蓮華座の形状、衣文の表現など一般的な石造物の様式観はそのまま当てはまりにくいだろう。

また、岩塊の向かって右側面にも「南無阿弥陀佛」の六字名号が陰刻されており気になるが、筆致がやや拙く恐らく後刻と思われる。さらに背面には支えになるようにしてふたまわりほど小さい石があり、そこにも刻銘があるがこれは新しいものである。倒れていたものを立て直した際の記念か何かであろうか、詳しくは後考を俟ちたい。

なお、"元の木阿弥"の逸話で有名な筒井順昭が亡くなったのがちょうど天文19年の6月であるが何か関連があるのだろうか。

 

 

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』

      清水俊明『奈良県史』第7巻 石造美術

 

写真左下:写真では今ひとつ伝わりませんが若草山の鮮やかな芝の緑をバックにした素晴らしいロケーションです。写真右中:刻銘、肉眼でもぜんぜんいけます。右下:後ろから見たところはこんな感じです。画面左手の小さい石にも刻銘があります。

 

自由奔放な表現と対極にある没個性的で型にはまった表現がちょうどこういうお顔なのかもしれません。同じように写実的な地蔵像でも、程近い場所にある鎌倉中期の"洞の地蔵"のお顔と比べると、端正ですが何というか覇気、迫力がない気がします。これは感覚的な印象なのかもしれませんが実物を前にするとわかると思います。実測図や写真、拓本等ではなかなか伝わりにくい感じだと思います。

ただ、こうした「感覚的」なものを「非科学的」と決め付けて一概に排除してしまう風潮はいかがなものかと思います。むろん「客観性」や「合理性」は非常に重要ですが、「モノに対する感受性」というものはやはり養ってしかるべきかと思います。そのために石造美術においては「標準的なものをなるべくたくさん見る」ことだと川勝博士は書かれています。その言葉を胸に精進していきたいと思います、ハイ。