奈良県 奈良市川上町 若草山十国台出世地蔵石仏
奈良奥山ドライブウェイを上っていくとやがて十国台と呼ばれる尾根のピークに達する。ここを過ぎるとすぐ道路は下り坂の急カーブになる。この急カーブの途中、道路の北側に面してひっそりと地蔵石仏が立っている。十国台からはほぼ真南、直線距離にして約200m程のところである。
オーバーハングした馬酔木の葉陰に隠れるように立っており、よほど注意していないと見落とす。川上町と雑司町の町境で道路の南側は雑司町である。上面が平らな自然石の上に約40cm×40cmの平面を粗く方形に整形した高さ約15cmの台石を置き、その上に現状高約99cm、最大幅約47cmの光背と一体成型の厚肉彫りの石仏を載せている。台石は当初から一具のものかどうかは不詳。花崗岩製、ほぼ南面し、像高は約75cm。像容は右手に錫杖を執り、左手に宝珠を載せる通有の地蔵菩薩立像で、下端には覆輪付単弁八葉の蓮弁を並べた蓮華座を刻む。光背上部は一見すると円光背のように丸くなっている。これは光背上部の周縁が欠損しているためで、頭頂上の光背面が前方にせり出していることから当初は舟形光背形であったと考えられる。さらに上から1/4ほどのところ、ちょうど像容の肩から首にかけての辺りで折損している。幸い面相部の遺存状態は良好で、眉の線から鼻筋の処理の仕方、まぶたや頬から口元にかけての表情の作り方は市内伝香寺の永正12年(1515年)銘地蔵石仏に通じる作風である。光背面、向かって右下寄りに「良源房」と陰刻銘があるが、紀年銘はない。衣文表現は簡略化が進み、頭部がやや大きめで袖裾が蓮華座に達するなど室町時代も後半の特長が現れている。造立時期は16世紀前半から中葉頃と見て大過ないと思われる。出世地蔵と呼ばれているようだがその所以については不詳。なお、傍らにも高さ40cm程の小型の地蔵石仏がある。
参考:太田古朴・辰巳旭 『美の石仏』
清水俊明 『奈良県史』第7巻 石造美術
正倉院展に行ったついでに再訪し、やっと見つけましたのでUPします。どうでもいいのですが出世地蔵が見つからないままというのもちょっと気になるもんです。十国台に駐車し徒歩での探索に切り替えて見つけました。先にご紹介した三体地蔵のように特に標識もなく木陰に隠れて自動車では非常にわかりづらいお地蔵さんでしたが、道に面しているので徒歩なら難なく見つけられると思います。光背上半の欠損が目立ちますがそれ以外の残りは悪くありません。なかなかいい表情のお地蔵さんでした。付近には十国台以外に適当な駐車スペースはなく、たぶんこれが唯一のアクセス方法ですが、ドライブウェイの名のとおり基本的に自動車向けの道路で徒歩向きではありません。しかも下り急カーブの途中にあり見通しも良くないので歩かれる場合は自動車の通行に十分注意してください。