滋賀県 甲南市信楽町上朝宮 仙禅寺道中宝篋印塔
上朝宮は信楽町の南端近く、南の山向うは京都府和束町の湯船である。近江グリーンロード国道307号の北に平行する旧道を上朝宮集落の中程から岩谷川沿いに北に入り山手に行く道は県道522号田代上朝宮線で、岩谷観音こと仙禅寺に通じている。県道が集落を抜け茶畑にさしかかると右手(道路東側)の道沿いに立派な石造宝篋印塔が目に入る。長方形に自然石を組んで一段高くし、直接地面に宝篋印塔を据えている。周囲には小形の五輪塔や石仏がいくつか寄せてある。小石仏と塔身の四仏に赤い前掛があっていかにも”路傍のいしぼとけ”然としたシチュエーションを醸し出している。宝篋印塔は全体に表面の風化が進み古色溢れる佇まい。真新しい相輪は明らかな後補。基礎は四面とも素面で2段式。塔身は側面四方に二重円光背を比較的深く彫り窪め、風化が進み像容・印相は判然としないが肉髻があり如来像と思われる坐像を半肉彫りする。笠は上6段、下2段、厚めの軒と区別して二弧輪郭付の隅飾は大きめで若干外傾する。隅飾輪郭内は素面のようである。表面の風化のせいもあって銘は確認できない。後補の相輪を除く高さ約139cm。元は6尺半ないし7尺塔であろう。四方素面の基礎は近江系ではなく大和系の意匠であり、塔身の四仏に種子と半肉彫像の相違はあるが笠や基礎の雰囲気は隣町の和束町湯船の弘安塔や金胎寺正安塔に通じるものがある。いまひとつ造立年代判断の決め手に欠けるが、鎌倉後期初め頃のものとして大過ないと思われる。近江にあって山城・伊賀に接し大和にも近い交通の要衝信楽は、近江系と大和系の石造文化の流れを考える時、抜きに語れない土地であるが、その信楽でも古く大きい宝篋印塔として注目すべき優品といえる。
参考:池内順一郎 『近江の石造遺品』(下) 110ページ
川勝政太郎 『歴史と文化 近江』 96ページ
※岩谷観音は山深い渓流沿いの巨岩に観音堂を配した非常に趣のあるお寺で、鷲峰山金胎寺別院で行基が開き中世の戦乱で退転したという仙禅寺の奥院跡とのこと。建長元年(1249年)銘の地蔵磨崖仏があるというが冬の日は短く夕暮れ迫りとても像容を観察し写真を撮れる状況になかったのでこれは別の機会ということで。