石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府南丹市日吉町四ツ谷 威音寺宝篋印塔ほか

2016-12-30 08:58:36 | 宝篋印塔

京都府南丹市日吉町四ツ谷 威音寺宝篋印塔ほか
威音寺は谷筋に沿って展開する海老谷の集落を見下ろす小高い尾根の中腹にある。寺への登っていく参道の途中、石造物が集められた一画に宝篋印塔がある。基礎から相輪まで完存する。塔高は約145cm。基礎高31.5cm、幅41.5cm、塔身高20.5cm、幅21.5cm、笠の高さ33cm、幅36.5cm、相輪高59cm。基礎上端はむくりのある複弁反花式で、側面3面は輪郭を巻いて格狭間を入れ、一面を素面として陰刻銘を刻む。塔身は蓮弁月輪内に金剛界四仏の種子、笠は上6段下2段、軒からやや入ってから直線的に外傾する二弧輪郭の隅飾で、相輪は、請花上下とも覆輪付で上を単弁、下を複弁とする手法。10行の陰刻銘は割合よく残るが肉眼では判読が難しい。昭和48年5月に調査された大鳥居総夫氏によれば「右意趣者逆/修善根奉造立□/…去歳/…入□/浄寛出往…/所…/□早□□菩提□法/界有情同成正覚/応永十一年
七月五日/大施主敬白」だそうで、応永111404)年に造立された逆修塔とわかる。花崗岩製とされるが、硬質砂岩か安山岩のように見える。傍らにある自然石に種子を刻んだ自然石塔婆も面白い。蓮坐上の月輪内に中央に「キリーク」、向かって左に「サク」、左に「バイ」の三尊。中尊は阿弥陀ないし千手観音、普賢、薬師だろうか、尊格の特定は難しい。小さい方は同じ蓮座月輪内に「カ」が3つ、地蔵菩薩と思われる。後ろのは「アク」。いずれも宝篋印塔と同じような石材。種子の感じや月輪下の蓮弁の形状から宝篋印塔とあまり隔たりのない時期の造立と思われる。このほか境内の一画にある小型の石仏には「応永十二(1405年乙酉九月五日/願主正現」と読める陰刻銘がある。長方形に近い自然石の表面を彫沈め、立体的な蓮座に坐す二重円光背の定印如来像を半肉彫する。像容は小さく全体に稚拙な印象だが、温和な童顔の面相で衣文や蓮座の表現に丁重さを見て取れる。室町時代初めの紀年銘は貴重。
参考:大鳥居総夫「丹波威音寺の宝篋印塔その他」『史迹と美術』445


宝篋印塔の隣のは経塚の標識でしょうか、大乗妙典石字塔の文字。天保の紀年銘があります。



基礎から相輪まで完存、願文&紀年銘があり史料的価値が高い。


刻銘があるのは明らかですが、肉眼ではいくつかの文字を拾い読みできる程度です。


おもしろい自然石塔婆。小さいものですが「ぬぬぬ…おぬしなかなかできるな…」


応永銘の石仏。薬師?阿弥陀?

文中法量値、宝篋印塔の銘文は大鳥居総夫氏の報文によります。参道は最近重機で掘削拡幅されたようで、山肌の地山が大きく露出し、風情が損なわれているのは少々残念です。中世墓や坊院跡などがあった可能性もあり心配されます。石仏について、一見すると膝上で組んだ掌上に薬壺があるようにも見えますが、よく見ると指で輪を作る定印のようで阿弥陀と考える方が自然です。案内看板には耳の病に効験のある薬師如来で紀年銘が応永
二年1395)とありますが、小生の目には十二年に見えます。薬師石仏はこれとは別にあるのでしょうか、よくわかりません。


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2 コメント

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自然石塔婆の三尊種子について (佐藤誠)
2024-04-21 23:39:31
自然石塔婆の三尊種子bhai(バ―イ)、hri-h.(キリーク)、sah.(サク)は、薬師(新宮)、阿弥陀(本宮)、で(サク)は観自在菩薩(観音)の種子でもあり、その場合は(那智)に該当します。熊野権現本地仏を表現したものと考えられませんでしょうか。
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なるほど (猪野六郎)
2024-04-22 18:47:46
ご案内のとおりそうかもしれません。現地は山間の別天地で、なんとなく修験の匂いが漂ってました。
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