石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府南丹市日吉町四ツ谷 海老坂峠宝篋印塔

2016-12-29 00:21:02 | 宝篋印塔

京都府南丹市日吉町四ツ谷 海老坂峠宝篋印塔
海老坂峠は、標高約470m、旧北桑田郡美山町と旧船井郡日吉町の境、現在は通る人も途絶えた山深い場所であるが、往昔は洛北と若狭方面を結ぶ街道で、大正頃まで峠を越えて人や牛馬による物資輸送が行われていたという。峠の途中には八百比丘尼の伝説が伝わる玉岩地蔵堂があって往時を偲ばせる。この玉岩地蔵堂下に車を停めてから九十九折の急な山道を登っていくと、20分余で着く峠の切通には「従是南船井郡」と刻まれた石柱があり、露出した岩盤には石造如意輪観音(折損する。近世以降か)を祀る小祠が残る。宝篋印塔は峠の切通の西側、尾根上の緩斜面に雑木に囲まれてひっそりと建っている。数枚の板状の石材を組み合わせた二重の方形切石基壇を設え、下の基壇は一辺約152cm、下端が埋まって高さは不明。上段は一辺約112cm、高さ約21cm。塔高は約245cmと大きく、八尺塔と考えられる。全体に保存状態が良く、欠損や表面の風化は少ない。花崗岩製とされるが、褐色に変色したきめの細かい表面の感じからは硬質砂岩か安山岩のように見える。いずれにせよ峠付近の岩石とは異なり離れたところから運ばれたと考えられる。基礎は高さ約62.5cm、幅約73cm。側面高約46.5cm、上端はむくりのある複弁反花式で、反花の上にある塔身受座は幅約46cm、高さは約5cmと高い。基礎は各面とも素面。南面に5行、左から「願主円石/歳次八月/応安七年(1374)/甲寅十日/大工法覚」の陰刻銘が確認できる。塔身高は約36cm、幅約37cmと幅が若干勝る。各面とも蓮座上の月輪内に薬研彫りの金剛界四仏の種子を配する。各四仏の方位はあっている。種子はやや小さめで迫力に欠ける。月輪の径は約24cm。月輪下の蓮弁はまずまずの出来。笠は上6段下2段の通有のもので、高さ約63cm、軒幅約65cm、下端幅約44.5cm、上端幅29.5cm。笠全体に幅に比して高い(縦に長い)印象。隅飾は二弧輪郭式で、軒口から約1cm入って直線的に外傾する。隅飾下端幅約22cm、高さ約26cm。相輪は高さ約84cm、上請花が単弁、下請花は複弁で、九輪の凹凸は浅く、宝珠は重心が高く側線がやや直線的になっている。彫整は丁重でエッジが効いており、保存状態の良さと相まって全体にシャープな印象を受けるが、基礎、笠ともに背が高く、塔身が笠や基礎に比べて小さ過ぎるためか、全体としては重厚さや安定感に欠ける印象のフォルム。
基壇から相輪まで欠損なく、保存状態良好で紀年銘があることは史料価値が高い。加えて大工名がある点が貴重。
参考:川勝政太郎「丹波海老坂の応安宝篋印塔」『史迹と美術』445号


彫整は非常にシャープでエッジがきいている。写真ではあまり大きく見えないのはフォルムのせい?


基礎は背が高い。笠上も縦長、基礎上の複弁反花もちょっと平板な感じになってきている…。



側面いっぱいに…とまではいかないけど種子と蓮弁はまぁまぁ時代相応といったところ。


LEDライトに浮かび上がる応安7年の銘。

法量値はコンべクスによる実地略測によりますので多少の誤差はご容赦ください。自然に溶け込んで素晴らしいシチュエーション、墓地や寺院の境内で見る石塔とはまた違った感覚です。周辺には寺院や墓地の存在を示す徴候はうかがえないので墓塔というより旅の安全を祈念するため供養塔でしょうか。基壇下に舎利容器とか礫石経とかが埋納されているかもしれません。それにしてもこれだけの規模の石塔を、わざわざ険しい峠の上まで運んでくるのはたいへんだったと思います。ほぼ手ぶらの小生は情けなくも息も切れ切れでした。峠の美山側には車が通れる林道が通じていてちょっと拍子抜けでしたが…。


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