石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 蒲生郡竜王町小口 善法寺宝塔

2008-07-17 01:15:14 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 蒲生郡竜王町小口 善法寺宝塔

先に紹介した島八幡神社宝塔から南西に1km余、町の中心綾戸の西隣が小口で、集落の西寄り、祖父川の堤防に近いところに音響山善法寺(浄土宗)がある。境内西側の墓地の入口、少し高い植え込みの中に石造宝塔が立っている。Photo基礎から相輪まで欠損のなく揃う。花崗岩製で高さ約172cm。植え込みのツツジが基礎を左右から覆い確認しづらいが、切石の基壇をしつらえて基礎を据え側面四面とも輪郭を巻いて格狭間を入れており、格狭間内には南側、北側に三茎蓮、西側に開敷蓮花、東側に散蓮(一弁)のレリーフを刻んでいるという。002格狭間は輪郭内いっぱいに広がり、肩はあまり下がらず、側線は豊かな曲線を描き、脚部は短く、脚間は狭い。輪郭、格狭間ともに彫りは深いものではなく、内面は概ね平坦に調整している。三茎蓮は口縁部だけの宝瓶から立ち上がる左右非対称の意匠で、二面ともほぼ同じ。開敷蓮花と散蓮は植え込みに完全に遮られて見えない。塔身は軸部と首部からなり、その間に縁板(框座)を円盤状の回らせている。軸部には上下に長押状の突帯を回らせ、その間に扉型を四方に平板な陽刻で表現している。亀腹部の曲面は極めて狭く、比較的厚めで高いしっかりした縁板(框座)部を経て首部に続く。素面の首部の立ち上がりは垂直に近く、匂欄の段形は見られない。笠裏には中央に円穴を穿って首部を受け、続く2段の段形は内側は斗拱型、外側は垂木型を表すものであろう。垂直に切った軒口はあまり分厚いものではない。軒反は上端では力強いが下端は平らに近く、厚みのない軒口とあいまってスッキリした印象を与える。四注には隅降棟を断面凸状の三筋の突帯で表現し、露盤下で隣接する左右の隅降棟の突帯が連結する。笠頂部にはやや低めの露盤を刻みだしている。03相輪は上請花と九輪最上部の境に折れているが上手く接がれている。ドーム状の伏鉢、下請花は複弁、九輪は逓減がやや強く凹部は沈線に近づいている。上請花は小花付単弁、宝珠とのくびれが目立つ。宝珠は重心が高く、先端には尖り部が見られる。無銘ながら基礎の近江式装飾文様3種を使い分けるバリエーション、塔身の扉型や三茎蓮に見られる線の細い繊細な意匠、笠の軒口のスッキリした印象など、重厚さや力強さはあまり感じられず、整美で繊細な感じが漂う。全体として非常によく似た構造形式、意匠ながら相輪の形状は正和5年(1316年)銘の島八幡神社塔よりも若干新しく、鎌倉時代末期頃の造立年代が想定される。10なお、佐野知三郎氏は鎌倉後期後半、田岡香逸氏は南北朝前期1350年頃とそれぞれ推定され、池内順一郎氏は佐野氏を支持されている。善法寺はもと天台宗で、西方山中に伽藍を構えていたが天文年間に浄土宗転じ、さらに元禄年間現在地に移転したといい、宝塔もその際、山中から移されたものとされている。無銘ながら近江の石造宝塔としての一典型を示すもので、表面の風化もあまりなく、その上各部欠損なく揃っている点で希少価値の高い存在といえる。なお、墓地の入口に石造物の残欠などが集積された一画があり、その中に変わった一石五輪塔?を見つけた。花崗岩製の小さいもので、基礎の半ばは地中に埋まっている。空風輪が相輪になっており、五輪塔ではなく宝塔と思われる。「一石宝塔」というのは極めて珍しい。一石五輪塔の手法を踏襲した戦国時代頃のものと思われ、その頃の宝塔のあり方を考える上で興味深い。

参考:佐野知三郎 「近江石塔の新史料」(六)『史迹と美術』426号

   田岡香逸  「近江竜王町の石造美術―鏡・薬師・七里・小口―」『民俗文化』125号

   池内順一郎 『近江の石造遺品』(上) 232~234ページ

   滋賀県教育委員会編 『滋賀県石造建造物調査報告書』 173ページ


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