


8月22日(土)

長崎県端島。
通称・軍艦島。
炭鉱採掘の為、この島には5,000人以上の人間が住んでいた。
日本最古の鉄筋コンクリートアパートがあったり、学校や病院や神社があった。
映画館もビリヤード場も飲み屋も遊郭もあった。
唯一無かったお墓と火葬場は、となりの無人島に作った。
とにかく、この島で全てが賄えた。
高度成長期を代表する産業革命。
エネルギー資源が炭鉱から石油へ急速に移り変わり、軍艦島から人が去って行った。
退島が決まって約3ヶ月で軍艦島は無人島に。
まだ僅か約40年前の話だ。
軍艦島に入った瞬間の圧迫感。
でもスッと引き込まれる様な感覚。
「島に呼ばれた」と言ったら大袈裟だけど、そんな感覚だった。
廃墟のマンモスアパートや学校や作業場から、今まさに人の声が聞こえてきそうだった。
人が確実に住んでいて、生活していたパワーがまだ残っていた。
霊とかそういう悲観的なモンじゃなくて、ちゃんと生きていた人間の存在感がちゃんと残っていた。
因みに軍艦島は三菱が佐賀藩から買収し、本格的な産業島に変貌させた。
退島が決まった時の
退職金は全員満額支払われ、再就職率は100%。
無念さで退島していく人達よりも、心機一転新しい旅立ちとして退島して行った人達が多かったと聞いた。
だからこの感覚があるんだな、この島は。
40歳最後に本当に良い時間を過ごせた。
ありがとう。
今日は40歳最後の日。
いつも通り芝居の打ち合わせして、いつも通り芝居の稽古。
でも積み重なって僕は生きている。
to be continued…