菅野臣太朗の携帯メール日記

演劇で日本を元気に。そして、健やかに

僕を救ってくれた人

2017年09月03日 | Weblog
9月3日(日)





今から。
17年前。
あるコンクールに。
僕の書いた。
戯曲を。
出した。
結果は。
落選。
落ち込まなかった。

正直言うと。
自信は無かった。
むしろ。
自分の実力を。
試したかった。
だから。
落選すると。
思ってた。
予想通りの。
結果だった。
唯一の予想外は。
落選者のみの。
演劇セミナー招待。
場所は。
名古屋。
交通費と。
宿泊費は実費。
迷わず。
参加した。
直感で。


名古屋での。
数日間。
名だたる。
脚本家さん。
演出家さんの。
講座が続いた。
最終日。
夜の懇親会で。

「良い演出家になる為にはどうすれば良いですか?」

と聞いた僕に。

「良い演出家になりたければ、僕の稽古場に来なさい」

と言ってくれた。
演出家さんが居た。

それが。
僕の演出の師匠。
青井陽治さん。

それから。
沢山の稽古場を。
見学させてくれた。
沢山の演劇を。
観劇させてくれた。
沢山ワークショップに。
行かせてくれた。
僕の演劇を。
何十本と。
観てくれた。
その度に。
沢山アドバイスを。
してくれた。
明け方まで。
芝居の話で。
長電話した事も。
沢山あった。


独学でしか。
勉強してこなかった。
演劇の概念を。
根底から。
変えてくれた恩人。
博学で。
優しくて。
お茶目で。
情熱的で。
何より。
演劇を。
愛してた。


「僕は演劇人である前に、演劇ファンで居たいんだよ」


銀座の珈琲店で。
言ってくれたのが。
昨日の事みたい。
他にも。
沢山。
沢山。
数え切れない。
言葉を。
伝えてくれた。


最後に。
観てもらったのは。
白蛇伝。
お逢いしたのも。
あの時が最後。
月並みだけど。


あれが最後になるなんて。


昨日。
関係者から。
連絡を頂き。
正直まだ。
実感がわかない。
今でも。
電話が鳴って。
演劇話を。
朝までしそう。


「臣太朗、僕が君に伝えた事を、いつか君が若き者に伝える日が来るから。その時は宜しく」


やっぱり。
早いです。


でも。
伝えていきます。


そして。
演劇好きの。
師匠は。
また。
僕の芝居。
観に来ますもんね。


毎日。
観に来てると。
思って。
演劇を。
創ります。


今日は。
浸ります。


出会った。
あの日から。




to be continued…
コメント (2)
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