福田康夫首相以下、「ボンクラ」ばかりであり、「真の将帥」に恵まれない日本国民は不幸だ 

2008年02月22日 18時07分35秒 | 政治
◆福田康夫首相、石破茂防衛相、吉川栄治海上幕僚長、船渡健1等海佐(イージス護衛艦「あたご」艦長)は、「真の将帥」だろうか。
こういう疑問を抱きながら「将師についての名言」(『統帥の源流』より)を改めて読み直してみた。そのなかから、以下、ピックアップして、それぞれに当て嵌めて検討すると、「何だか違うなあ」という感覚になり、暗澹たる気持ちに陥ってしまう。「どいつも、こいつも偽の将帥」であり、日本国民を不幸のドン底に陥れる「ボンクラ」「愚か者」ばかりであることに気づかされる。

●将師に必要な「感情の強固(ゲミューツ。ステルケ)」とは激情のことではない。激情の中にあっても心の均衡を失わず、遠謀と深慮を働かし得ることが大切で、心の中に不動の羅針盤をもたねばならない。
●事の真相を正しく見極めることは困難である。事は予想どおり現れているのに、全然予想が外れたように見えることが多い。目前の幻影を取り去って、真相をつかむことが大切である。
●戦争において確実なのは、将師自身の意思と実行力だけである。
●大胆は全将兵に必要であるが、上級の将師になるに従い、この大胆に熟慮を付加しなくてはならない。将師の大胆には目的があり、計算がともなわなくてはならない。興奮に駆られた暴進ではいけない。
●地位の進むに従って無能になる者が少なくない。地位ともに理性と洞察力が進まないからである。単純で勇敢なだけでは将師にはなれない。
上級指揮官になるとともに決断力を失う者がある。恐ろしさがわかるようになるからである。
最高の地位にあって、胆力のある将師は稀である。
●危険と責任は名将の判断力を活発にするが、凡将の判断力を駄目にする。(クラウゼウィッツ)
●指揮官が全能力の発揮を躊躇すれば、たとい指揮官として優秀なる能力をもっていても役に立たない。また自己の企図を実行するにあたり、その能否を疑うようなことがあれば、いかなる妙案も実現させることはできない。指揮官の最高の能力とは、現行を一致させ得る意志力である。最善の決心も、責任感にもとづく信念がなくては実現できない。(フランス軍参謀総長デブネー)
●軍みだるるは、将重からざるなり。(孫子)
●将は理官(判断役)なり。
●将、愛するが故に、下、二心なし。威あるが故に、下、上を犯すことなし。将たるもの、愛と威を兼備し、偏すべからず。
●勤労の師は、将必ず己を先にす。暑にも蓋を張らず、寒にも衣を重ねず、険には必ず下りて歩し、軍井なりて後に飲み、軍食塾して後に飯し、軍塁なりて後に舎し、労伕必ず身をもってこれを同じくす。かくの如くなれば、師久しといえども老せず弊せず。(将師が率先して苦労に当たる軍は長期戦にたえ、いつも士気旺盛である)。
◆36年前、海上自衛隊幹部候補生学校に入校したとき、「統率科」の教官(2等海佐)が「何を教えていいかわからない。どうしてよいか迷ったら教育参考館へ行け」と言って嘆いていたのが思い出される。海上自衛隊はいまでもいい加減な「指揮官教育」しか行っていないのであろうか。
◆「ああ、情けなや」というのが、本日の結論である。
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