◆「政治家の資質 専門性より国民感覚」-朝日新聞が3月18日付の朝刊で全国世論調査(政治・社会意識基本調査)の結果、「置き去られた民意」という見出しで、国民の多くが、「社会の将来像も示していないいまの政治への強い不満」を抱いていることを炙り出していて、大変興味深い。これは、いまの日本の政治家が、いかに能力的に優秀な人材ではあっても、国民の多くは、「専門バカ」よりも、「国民感覚」、言い換えれば「国民の真意」をよく汲み取ることのできる「本当の意味の政治家」を求めていることを裏付けている。要するに「本当の意味の政治家」が「不在」という意味である。
◆この様相を中国の聖人・孔子の言葉を集めた「論語」から解析してみるならば、「君子の不在」ということになろう。孔子は、「君子は、器ならず」(為政篇)と述べている。日本の政界では、政治家の品定めをする場合、しばしば「総理大臣の器」という言い方がされるけれど、「君子は、器ならず」(世の中のトップリーダーは、人に使われるような器であってはならない、器を使いこなす懐の大きなジェネラリストであるであるべきである)という孔子の教えによれば、「総理大臣の器」という言い方は、根本的に間違っている。そもそも、総理大臣は、君子であるべきであって、器などといわれるような人間に勤まるはずはない。
漢字の大家・白川静教授によれば、「君子」の「君」は、「聖人が杖を持って立ち、神意を推し量ろうとしている姿」を、「口」は、「祝詞を載せる器」を示しているという。「聖人」の「聖」とは、「神意を聞こうと耳を澄ませて挺立しているまさに聖人の姿」を表している。孔子は、論語のなかで「人民統治の真髄」を示す珠玉の名品である。このなかで使われている「君子」とは、徳のある高潔な貴人を意味し、いわば「聖人による善政」が行われることを政治の理想としている。「小人」とは、「一技一能に秀でた人物」、すなわち、「君子」が使う「器」を意味している。もちろん、器には、そのレベルによって「大器」もあれば、「中器」、「小器」もある。「一技一能」を極めた人物を「その道の専門家」という。
◆国民の多くは、いまの日本の政界には、「器」だらけで、「君子」が「不在」であることを嘆いている。器がいかに優れていても、「神意」を推し量る能力がないのであるから、「社会の将来像」を描くことができないのは、当たり前である。ましてや「進むべき道筋」を国民に示すことはできない。器は、狭い専門分野に閉じこもり、その視点からしか世の中を見ることはできない。だから専門分野の袋小路から、目先のことのみに囚われ、いつも偉そうな顔をして重箱の隅を突くような議論ばかりしている。議論に終始する程度ならまだましだが、文字通り「小人閑居して不善をなす」のでは、「害虫」としか言いようがない。
◆今回の全国世論調査では、国民の「政治参加」について聞いている。「応援したい政治家への選挙ボランティアは?」という質問に「してもよい」(47%)「そうは思わない」(47%)という結果だったのに、「応援したい政治家への寄附は?」の質問には、「してもよい」(26%)、「そうは思わない」(68%)と消極的な人が多数を占めている。「国民の声=真意」に耳を澄ませて推し量ろうとする「小人」を物心ともに応援しようとは、だれも思わないであろう。かたや国民には、「君子を探し求める努力」が求められる。
板垣英憲マスコミ事務所
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◆この様相を中国の聖人・孔子の言葉を集めた「論語」から解析してみるならば、「君子の不在」ということになろう。孔子は、「君子は、器ならず」(為政篇)と述べている。日本の政界では、政治家の品定めをする場合、しばしば「総理大臣の器」という言い方がされるけれど、「君子は、器ならず」(世の中のトップリーダーは、人に使われるような器であってはならない、器を使いこなす懐の大きなジェネラリストであるであるべきである)という孔子の教えによれば、「総理大臣の器」という言い方は、根本的に間違っている。そもそも、総理大臣は、君子であるべきであって、器などといわれるような人間に勤まるはずはない。
漢字の大家・白川静教授によれば、「君子」の「君」は、「聖人が杖を持って立ち、神意を推し量ろうとしている姿」を、「口」は、「祝詞を載せる器」を示しているという。「聖人」の「聖」とは、「神意を聞こうと耳を澄ませて挺立しているまさに聖人の姿」を表している。孔子は、論語のなかで「人民統治の真髄」を示す珠玉の名品である。このなかで使われている「君子」とは、徳のある高潔な貴人を意味し、いわば「聖人による善政」が行われることを政治の理想としている。「小人」とは、「一技一能に秀でた人物」、すなわち、「君子」が使う「器」を意味している。もちろん、器には、そのレベルによって「大器」もあれば、「中器」、「小器」もある。「一技一能」を極めた人物を「その道の専門家」という。
◆国民の多くは、いまの日本の政界には、「器」だらけで、「君子」が「不在」であることを嘆いている。器がいかに優れていても、「神意」を推し量る能力がないのであるから、「社会の将来像」を描くことができないのは、当たり前である。ましてや「進むべき道筋」を国民に示すことはできない。器は、狭い専門分野に閉じこもり、その視点からしか世の中を見ることはできない。だから専門分野の袋小路から、目先のことのみに囚われ、いつも偉そうな顔をして重箱の隅を突くような議論ばかりしている。議論に終始する程度ならまだましだが、文字通り「小人閑居して不善をなす」のでは、「害虫」としか言いようがない。
◆今回の全国世論調査では、国民の「政治参加」について聞いている。「応援したい政治家への選挙ボランティアは?」という質問に「してもよい」(47%)「そうは思わない」(47%)という結果だったのに、「応援したい政治家への寄附は?」の質問には、「してもよい」(26%)、「そうは思わない」(68%)と消極的な人が多数を占めている。「国民の声=真意」に耳を澄ませて推し量ろうとする「小人」を物心ともに応援しようとは、だれも思わないであろう。かたや国民には、「君子を探し求める努力」が求められる。
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