このごろのピューリタン信者増殖の風潮は、基本的人権侵害の横行を許し危険だ!

2009年04月29日 22時49分47秒 | 政治
◆「企業・団体献金」を全廃し、「個人献金」にチェンジしようという動きが、とくに民主党内で主流になりつつある。しかしながら、「個人献金」1本に切り換え、しかも収支を透明化した場合の危険性について、政治家もマスコミも、ほとんど触れようとしないのは、一体、どういうことであろうか。
そこで、思い出されるのは、戦前、特高警察を動かしていた旧内務官僚出身だった奥野誠亮元法相が旧自治省政治資金課に提出していた政治資金収支報告書の記載ぶりである。政治資金課に設置してあった棚から報告書の簿冊を抜き出して、閲覧、一頁ずつめくりながら、驚嘆させられた。献金者の氏名、住所、献金額、献金日時が何ページにもわたって細かく、ビッシリと書き込まれていたからである。「さすがに旧内務官僚」とその正直さ、透明さを絶賛したものである。
◆しかしである。奥野元法相の選挙区内における支持者の多くが、献金し、その金額の多寡にかかわらず、正直に収支報告書に記載されていたのは、透明さの観点では、確かに望ましいことであろう。だが、反対に、この記載によって、「献金していない有権者」が、結果的に炙り出されていたのではないかという疑問が、遅まきながら、今日このごろ、やっと湧いてきている。
これは、実に恐ろしいことである。狭い地域社会で、献金していないことが分かれば、「差別」されたり、「迫害」されたりしかねないからである。献金行動そのものが、投票行動を推察される根拠になる可能性が、大である。さらに今日は、そうした危険性がさらに深刻さを増している。政治献金が税控除の対象となっており、有権者は、具体的にどの政治家の資金管理団体か「その他の政治団体」かに献金し、税控除を受けようとした場合、選挙管理委員会から献金証明書を発行してもらい、それを税務署に届けなくてはならない。これは、政治献金を通じて、「投票行動」まで国家権力に捕捉されることに他ならない。
◆日本国憲法は、基本的人権の章にある第15条第4項において「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない」と規定していることを忘れてはならない。この規定の立法趣旨を踏まえて、政治資金規正法は、収支報告書への「大雑把」な記載を許している。政治資金の収支報告に「透明さ」をあまりにも求めすぎると、国民の基本的人権を侵すことになりかねない。マスコミが当落予想を急ぐ目的で、投票所入り口に待ち構えて、誰に投票したかを聞いている「出口調査」も、本当は、憲法違反の疑いが濃厚である。
 ちなみに、最近のマスコミ、検察、警察は、どうもあまりにも潔癖なピューリタン信者になっているのではないかという気がする。東京地検特捜部が民主党の小沢一郎代表の公設第1秘書を、刑事訴訟法上の原則である「任意捜査」を省いていきなり逮捕・起訴してしまうとか、警視庁赤坂警察署が、タレントの草なぎ剛氏を「公然わいせつ容疑」でいきなり 逮捕し、おまけに家宅捜査まで敢行してしまうとか、「基本的人権の砦」である東京地裁の裁判官まで令状請求に対してほとんど「盲目的」に判子を押して令状を発給してしまうとか、国家権力による人権侵害が横行している。これらに輪をかけて最悪なのは、本来、国家権力に対峙して国民の基本的人権を守るために戦わなければならないのに、その使命を忘れて、一緒になって人権侵害し続けている。暗黒社会が視界に入ってきている。これは誠に由々しき事態である。こんな状況下で、国家権力の側から憲法改正をリードされてはたまらない。「愚民の上に苛き政府あり」(福沢諭吉翁)の言葉を思い出そうではないか。
板垣英憲マスコミ事務所

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