昨夜、長野・高遠の珍しいヒガン桜を紹介しましたが、今日はついでに高遠にまつ
わる話題を一つあげたいと思います。
ご存知の方も多いことと思いますが、ほんとうに江戸時代は「切り捨てごめん」の武士の特権が横行していたようですね。
題名の話は、大奥女中、絵島が、家継の母月光院にせっせと仕え、大奥と絡んだ幕府の勢力争いに巻き込まれた大事件である。ある日たった1度の芝居見物の帰りに歌舞伎役者生島新五郎との逢引が発覚して、生島は三宅島に遠流、処罰は1500人に及んだと言われる。また、問題の絵島が高遠で流刑生活を送った屋敷を見取り図をもとに復元したのが「絵島囲み屋敷」である。格子や矢来(竹や丸太の囲い)で厳重に囲まれた質素な屋敷で、28年間も絵島は昼夜10人近く(ガイドの話では、6人)の武士・足軽に見張られていたと言う。食事もたしかおかゆで日に2回、まったく生き地獄そのもので可愛そうでたまらない。しかも絵島にとって、これが「情けの判決」と聞いては、また2度ビックリだ。
現代に生きる我々は自由恋愛は普通で特に若者は思うままに青春を謳歌出来て幸せだ。
そんなことを頭に巡らしながら撮ったのが、残念ながらピンボケだったがこの格子窓である。
私はこの「囲み屋敷」のことを「座敷牢」と呼んでいるが.....。
わる話題を一つあげたいと思います。
ご存知の方も多いことと思いますが、ほんとうに江戸時代は「切り捨てごめん」の武士の特権が横行していたようですね。
題名の話は、大奥女中、絵島が、家継の母月光院にせっせと仕え、大奥と絡んだ幕府の勢力争いに巻き込まれた大事件である。ある日たった1度の芝居見物の帰りに歌舞伎役者生島新五郎との逢引が発覚して、生島は三宅島に遠流、処罰は1500人に及んだと言われる。また、問題の絵島が高遠で流刑生活を送った屋敷を見取り図をもとに復元したのが「絵島囲み屋敷」である。格子や矢来(竹や丸太の囲い)で厳重に囲まれた質素な屋敷で、28年間も絵島は昼夜10人近く(ガイドの話では、6人)の武士・足軽に見張られていたと言う。食事もたしかおかゆで日に2回、まったく生き地獄そのもので可愛そうでたまらない。しかも絵島にとって、これが「情けの判決」と聞いては、また2度ビックリだ。
現代に生きる我々は自由恋愛は普通で特に若者は思うままに青春を謳歌出来て幸せだ。
そんなことを頭に巡らしながら撮ったのが、残念ながらピンボケだったがこの格子窓である。
私はこの「囲み屋敷」のことを「座敷牢」と呼んでいるが.....。