第4日目 12月31日(月) 続き-1
部屋でホームスティの準備をして、ランチを食べたあと午後3時には出発する。
雪道を走るので、今度はトヨタのマイクロバスで一路郊外のタイガの中の小さな村へ向かって市内から車で約4時間の旅を続ける。途中2~3度休憩を取るが、バス停にあるトイレは氷の穴だったので、男性はトイレの外の周りで放尿する。
目的地へ到着すると、先ず村長宅へ寄り紅茶をすする。宅ではロシアビスケットを貰ってかじりながら、村長父子で射止めたという見事な鹿の角を拝見する。この村長宅で、私が幼児時代(私は、中国東北地方安東で出生し、幼稚園まで現地で過ごす。)経験したペチカで暖を取りながら談笑。ペチカの燃料は安東では石炭だったが、ここハバロフスク郊外では薪オンリーだった。
いよいよ、10時を告げると村民との楽しい親睦会を開くために近くの集会所へ赴く。集会所では3~40人の若者が既に集結して私たちの訪問団を暖かく迎えてくれた。しかも、この日をターゲットにクリスマスの寸劇を初め、福笑いゲーム、ダンスパーティーなどいろいろ面白い企画が用意され、何時までも思い出に残る親睦会だった。福笑いゲームでは、私が優勝して賞品にキャンデーを貰う。
また、ダンスパーティーには心憎い程のプログラムが用意されていた。
先ず、ペアはロシア側と日本側でくじ引きを引き、同じ数字の札を取った人がペアに決まるのである。幸運にも私は絶世のロシア美人(高校生位かな?)とペアになり踊りまくるのである。しかも、楽屋から流れる曲が終わる度にライトが5秒位消灯され二人だけの世界を演出してくれたのには驚きと感動の連続だった。
確かに、ロシア人は背が高く、スリム、美肌で、美人が多く、白人という名にふさわしかった。
この時、私はふと「このような出会いは、最初にして最後の機会」と捉えたのも無理はない。自画自賛したのは当然だ。
写真は、ロシアの絶世の美人と仲良く手を取り合って踊る筆者です。
今日は、ここまで…。
部屋でホームスティの準備をして、ランチを食べたあと午後3時には出発する。
雪道を走るので、今度はトヨタのマイクロバスで一路郊外のタイガの中の小さな村へ向かって市内から車で約4時間の旅を続ける。途中2~3度休憩を取るが、バス停にあるトイレは氷の穴だったので、男性はトイレの外の周りで放尿する。
目的地へ到着すると、先ず村長宅へ寄り紅茶をすする。宅ではロシアビスケットを貰ってかじりながら、村長父子で射止めたという見事な鹿の角を拝見する。この村長宅で、私が幼児時代(私は、中国東北地方安東で出生し、幼稚園まで現地で過ごす。)経験したペチカで暖を取りながら談笑。ペチカの燃料は安東では石炭だったが、ここハバロフスク郊外では薪オンリーだった。
いよいよ、10時を告げると村民との楽しい親睦会を開くために近くの集会所へ赴く。集会所では3~40人の若者が既に集結して私たちの訪問団を暖かく迎えてくれた。しかも、この日をターゲットにクリスマスの寸劇を初め、福笑いゲーム、ダンスパーティーなどいろいろ面白い企画が用意され、何時までも思い出に残る親睦会だった。福笑いゲームでは、私が優勝して賞品にキャンデーを貰う。
また、ダンスパーティーには心憎い程のプログラムが用意されていた。
先ず、ペアはロシア側と日本側でくじ引きを引き、同じ数字の札を取った人がペアに決まるのである。幸運にも私は絶世のロシア美人(高校生位かな?)とペアになり踊りまくるのである。しかも、楽屋から流れる曲が終わる度にライトが5秒位消灯され二人だけの世界を演出してくれたのには驚きと感動の連続だった。
確かに、ロシア人は背が高く、スリム、美肌で、美人が多く、白人という名にふさわしかった。
この時、私はふと「このような出会いは、最初にして最後の機会」と捉えたのも無理はない。自画自賛したのは当然だ。
写真は、ロシアの絶世の美人と仲良く手を取り合って踊る筆者です。
今日は、ここまで…。