「大和の古道(やまとのこどう)」とは、日本の古代道路のうち、大和国内に設置されたものをいいます。 奈良盆地の東、平地と山地の間を縫うように南北に通る道を、「山辺の道(やまの べのみち)」・ 奈良盆地の中央より東を南北に平行する三本の縦貫道を、「上ツ道(かみつみち )・中ツ道(なかつみち)・下ツ道(しもつみち)」と呼び、これを「大和三道」と呼ぶようです。
今回は、奈良県橿原市に残っている「下ツ道」を歴史散策してきましたので紹介したいと思います。
古道のうち、「下ツ道と中ツ道」は平城京とも深いつながりがあります。「下ツ道」は、平城京の朱雀大路(すざくおおじ)へとつながり、平城宮朱雀門(すざくもん)にまで至ります。また、「中ツ道」は平城京の東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)となっており、平城京の都市設計を考えるうえでも非常に重要な道路となっています。なお、現在でも橿原市には、「横大路・下ツ道・阿倍山田道」が残っています。三道の敷設年代については、『日本書紀』 (653年) 六月条に「処処の大道を脩治(つく)る」とあることなどから、7世紀半ば頃に敷設されたと推定されています。
「下ツ道」は、 約2.1kmの等間隔 で「中ツ道」・「上ツ道」が奈良盆地を南北に貫いています。道幅は、両側にある側溝の中心間で22.7メートルです。橿原市大軽町と五条野町の所にある「丸山古墳」の周濠の西端をかすめて南進しています。
今回は、橿原市の近鉄八木駅近くの「札ノ辻」から「おふさ観音」の所までの「下ツ道」を歴史散策してきました。約1時間位の道程でしたが、古い家並みを見ながらの趣きのある道で、とても楽しく歴史散策することが出来ました!
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