奈良県明日香村大字立部(たちべ)に存在する「定林寺」跡は、法隆寺式伽藍(がらん)配置の飛鳥時代の寺院址です。
今回は、「聖徳太子」建立46ヶ寺の一つという伝承を持つ「定林寺」跡について、紹介したいと思います。
寺伝によると「聖徳太子」建立46の一寺とされていますが、その創建や沿革についてはよく解っていないようです。一説には、渡来系氏族の氏寺の「立部寺」との説もあるようです。
寺跡は、明日香小学校から100mほどの南の立部集落のはずれに位置しています。 石碑の所から奥の進むと道の途中で、右手に春日神社という小さな社があります。この神社はもともと定林寺跡に鎮座していましたが、寺址が国の史跡に指定されたため、この場所に移転をされたとのことだそうです。
1953年(昭和28)に塔址の発掘が行われ、心礎が地表下約2メートルよりみいだされた。金堂址は削平(さくへい)されて不明、講堂址は基壇の一部を残し、回廊址は塔の東および西回廊の一部が調査されました。塔心礎上方から塑造(そぞう)菩薩(ぼさつ)像の頭・足部の残片、金銅環、鉄鋲(てつびょう)、土師器(はじき)、須恵器(すえき)の破片などが出土しました。発掘調査によって塔跡・土壇・礎石などの遺構が確認されています。昭和41年国史跡に指定されました。
ところで、 「定林寺」跡に不思議な「立石」を見ることができます。飛鳥には、謎の石と呼ばれるものが多くありますが、ここの石も不思議な形をしています。
この「立石」は、高さ約1m程で頭・首・肩等の加工の痕跡があり、人面相である可能性が高いとされているようです。あらゆる角度から見ましたが、頭・首・肩等の加工の痕跡はもちろん人面相も確認できませんでした。
ところが不思議なことに、肉眼ではわからなかったのですが、カメラで撮ったものを整理していると、なんと人の形にみえる姿が写っていました。
とても、不思議でした・・・
また、「高市村史」では、伝承として「聖徳太子」が三歳までの遊び道具であったとか、「聖徳太子」の馬を繋ぐものであったとかという伝承がありますが、実態は不明です。
「定林寺」跡は、飛鳥の観光スポットではありませんが、とても不思議な「立石」等に興味をそそられる場所ですよ!
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