泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥資料館での 「実験考古学 玉枕制作」

2017年08月17日 17時36分15秒 | 歴史

「実験考古学」とは、発掘調査で出土した遺物や遺構の持つ性質を探るために、その遺物や遺構の製作方法や使用方法を復元し、それらを使用したときの効果や有効性を確かめたり、ある考古学上の考え方や仮説に対しその考え方や仮説が正しいかどうかを確かめるために行われるものとされています。

過去、飛鳥において「実験考古学」として「川原寺裏山遺跡の塼仏」や「弥生式土器」の制作を体験しました。

8月中旬に、飛鳥資料館において「阿武山古墳」の貴人用の棺から発見された「玉枕」の制作の講座がありましたので参加しました。

今回は、飛鳥資料館での「実験考古学 玉枕制作」について紹介したいと思います。 

「阿武山古墳」(あぶやまこふん)は、大阪府高槻市奈佐原・茨木市安威にある古墳で、国の史跡に指定されています。

阿武山(標高281.1メートル)の山腹に位置します。地下から古代の貴人の埋葬遺体が発掘され、被葬者を大化の改新の中心人物である「藤原鎌足(中臣鎌足)」に比定する説が知られています。また、「阿武山古墳」の貴人用の棺には、遺体とともに「玉枕」と冠がありました。

1934年に京都大学の地震観測施設の建設中、土を掘り下げていて瓦や巨石につきあたったことから偶然に発見されました。通常の古墳にあるような盛り土はなく、浅い溝で直径82メートルの円形の墓域が形成されていました。

墓室は墓域中心の地表のすぐ下にあり、切石で組まれて内側を漆喰で塗り固められており、上を瓦で覆われ地表と同じ高さになるように埋め戻されていました。内部には棺台があり、その上に、漆で布を何層にも固めて作られ外を黒漆・内部を赤漆で塗られた夾紵棺(きょうちょかん)が日本で初めて発見されました。

棺の中には、60歳前後の男性の、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骨がほぼ完全に残っていました。鏡や剣、玉などは副葬されていなかったが、ガラス玉を編んで作った「玉枕」のほか、遺体が錦を身にまとっていたこと、胸から顔面、頭にかけて金の糸がたくさん散らばっていたことが確かめられました。

飛鳥資料館での「実験考古学 玉枕制作」は、最初に「阿武山古墳」や「玉枕」について帝塚山大学の先生の説明が行われ、その後、飛鳥資料館のスタッフや帝塚山大学の生徒さんの協力を得ながら約2時間半くらいかけて、手のひらサイズの「玉枕」を作りました。夏休みのせいか、親子の参加が多かったです。

1本の糸に小さなビーズをつけながらの作業は、とても難しかったですが、なんとか完成することができました。

飛鳥時代を想い浮べながらの「玉枕」の制作、とても貴重な体験をさせていただきました!

                                            

 

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