古代史スペシャルということで「百済歴史散策(扶余・公州・益山・端山)」に、「白村江の戦い」の舞台に歴史散策に行ってきました。
前回は、古代の「百済の地を訪ねて(宋山里古墳群・国立光州博物館)」(4)の様子を、紹介しました。
この日は、光州市にある「熊津城(ウンジンソン)」に行きました。この城は、「泗沘城」と共に「白村江の戦い」の舞台の一つで、今回楽しみにしていた場所の一つです。
今回は、古代の「百済の地を訪ねて(熊津城)」(5)の様子を、紹介したいと思います。
百済時代には「熊津城」と呼ばれていた「公山城(コンサンソン)」は、韓国中部の忠清南道・公州(コンジュ)にあり、朝鮮三国時代の百済(ペッチェ)の時代に造られた城郭です。百済の「文周(ムンジュ)王」が、475年に現在のソウルから首都を移してから64年の間、都を守る役割を果たしました。城壁は東西に約800m、南北に約400m、全長2,660mで、もとは土城でしたが、朝鮮時代に石城に改築されました。城内に各時代別に多くの遺跡や遺物が残っており、すぐそばに錦江(クムガン)が流れています。2015年に、百済歴史遺跡地区としてユネスコ世界文化遺産に指定されました。110mの公山の頂上から西側の峰にかけた稜線と渓谷に沿って、長方形に取り囲むような包谷式の「公山城」は、高さ2.5m、幅3mの城壁はほとんどが改修されており、東西に約800m、南北に約400m、全長2,660mになります。各時代別に多くの遺物が残っている「公山城」は、百済時代には「熊津城」と呼ばれましたが、高麗時代から「公山城」として呼ばれており、史跡第12号に指定されています。
「白村江の戦い」の舞台であったとは思えないほど「熊津城」は、公山の頂上から西側の峰にかけた稜線と城壁の景色と錦江からの歴史的景観がとても素晴らしかったです!如何にも、朝鮮式のお城という感じでした。
丁度紅葉が見頃で、市民のウオーキングで一杯でした。
〇「白村江の戦い」の舞台の一つである「熊津城」の歴史散策、とてもよかったです。昼食は、「熊津城」が見える所でとりました。今回、歴史散策と共に楽しみにしていたのは、韓国料理でした。今回のツアーは、3食付きで、この日のお昼は、ユッケビビンバでした。名物の栗が入ったビビンバは、とても美味しかったですよ!どの料理も美味しかったので、ちょっとだけ紹介したいと思います。(扶余の町・光州の栗が入ったビビンバ・扶余のもち米の入った蓮の葉定食・扶余の松茸入りのイカと豚肉のプルコギと栗のマッコリが、特に、美味しかったです。)
古代の「百済の地を訪ねて」シリーズも、いよいよ後2回となりました。次回は、古代の「百済の地を訪ねて(弥勒寺跡・王宮里遺跡)」(6)の様子を、紹介したいと思います。
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