奈良県の飛鳥地域の予想される道路を、古代に思いを馳せて研修で学んだ「古い道と遺跡を考える」の資料や文献資料を参考にしながら、たいした根拠もありませんが、何か痕跡が残ってはいないか探しながら「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。
前回は、「飛鳥宮東辺道路」・「宮内道路」でした。
第3回目は、「飛鳥寺周辺の道路」です。
〇飛鳥寺西辺道路
・場所
飛鳥寺西門には南北方面の石敷きがあり、道路状遺構とも推定されるようです。石敷きは、10~20cmの小礫を敷き、東西端には自然石を並べて切り石としているようです。飛鳥寺の西側は「日本書紀」に出てくる「西の槻樹(つきのき)の広場」に該当する地域で、遺構としては確認できていませんが南北道路が通過していた可能性が考えられているようです。
・痕跡
これといった痕跡はないのですが、前回紹介した「飛鳥宮北辺道路」の段差のある南から北への道は、予想される地図をみると古代の道路のようです。
真っ直ぐ北に進むと、飛鳥寺の西門前(西門の礎石)を通過しているようです。さらに、北に進むと、飛鳥寺の寺域の北西限や飛鳥時代の時計台である水落遺跡や迎賓館である石神遺跡がある飛鳥時代の古道と思われる「古山田道」(7世紀前半?)に繋がります。さらに北に進むと、「新山田道」(7世紀中半?)に繋がります。
普段、散歩している道が古代の道路と思うと、何か不思議な感覚に陥ります!
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