MAKO’s日記

身の回りでの出来事

地震 災害対策派遣

2011-03-18 22:31:53 | お仕事
●東北関東大震災で災害派遣が会社から指示された。
3/12(土)
  7:35 会社から、地震の災害対策に行ってくれるか、と電話。
    ・今日は、明日の本番の最終練習がある。
     が、そんな事は言ってられない…
    ・会社で説明を受ける。
     災害対策車を現場に設置、メインテナンスをする。
     車種は、災害対策本部車、衛星通信車、照明車の3台。
     7名で約1週間。
    ・出かける準備で帰宅。
    ・もう一度会社へ行くと、支店長から現金20万円を受け取る。
     これで、全員の食事の準備をせよ、と。
    ・慌てまくって買出しに行く。
     水、レトルトのご飯、レトルトのカレー・丼などを購入。
     水って一日どれくらい使うの?
      一人1日3ℓ、との事。現場代理人が教えてくれた。
     しかし、ご飯が足らない。
     しようが無く、カップ麺を多めに購入。
     ほとんど買占めに近い状態。
     ゲンキーに事情を話して、協力してもらう。
 12:35-15:00 福井IC → 尼御前SA
    ・弟に災害派遣の連絡をしたら、行くな!、との返事。
     原発が危ない!、との事。
     国交省の職員も一緒なので、大きな問題はないと思うが…
 16:19-21:33 米山IC 休憩、給油
    ・弟より、もし原発がメルトダウンしたら風上に逃げるようにと。
     常にラジオを聞け、と言われる。
    ・国交省の職員によると、原発の情報によってはひき帰す事もある、と言われる。
    ・私が吹奏楽に復帰するきっかけを作ってくれた、アカデミーのトランペッターの女の子は、残念がっていた。
     彼女と初めてのアンサンブルが出来るはずだった…
    ・国交省の職員から、目的地が郡山市から変更になった。
     会津磐梯山SAから約200km北の位置だそうだ。
 22:40-
3/13(日)
  - 3:55 磐梯山SA  車中泊、給油
  8:48- 9:27 安達太良SA 休憩、給油
  9:55-11:27 菅生SA   休憩、給油
    ・国交省の職員から、目的地が岩手県一関市になったととの事。
 11:45-12:47 長者原SA  休憩、給油
 13:52-14:40 一関IC
    -14:55 あいぽーと・北上川学習交流会館
    ・信号が全部 消えていた。
     携帯は電波が弱く、かつ、トラフィック量も少なくなっているようだ。
     電話がかかりにくい。
     メールも送信しにくい。
    ・18:30頃には、町は真っ暗…
     まるで、ゴーストタウンのようだ…
     星がやたらと眩しく感じる。
    ・19:00頃、携帯の電波は強くなっていた。
     が、相変わらず、電話がかかりにくい。メールも…
    ・余震が多数発生している。
     車に乗っていると、留っているのに揺れている。
    ・明日、どこへ派遣されるのか…。
     不安だ…
3/14(月)
    一日 待機
    ・燃料が確保されていないので、夜は暖機運転を節約。
     寒い。
    ・相馬市への派遣依頼。
     皆で抗議。
     身の安全は確保する、ということで。
     国交省の職員は、検討する、との事。
    ・手持ちの現金が10万円ほどしかなく、燃料補給に支障が出る。
     しかし、どうやって会社から現金を得るか… 皆、途方にくれる。
     ゆうちょ銀行に入金してもらって、こちらで引き出す方法を提案。
     運良く、ゆうちょ銀行のカートを持っている社員がいた。
     会社に連絡し、入金を確認後、郵便局へ行ってみる。
      が、端末が動いていないので対応できない、との事。
      端末が動いている郵便局を紹介してもらう。
    ・会社へ、近くのお風呂屋さんを検索してもらう。
    ・日中は天気が良く、暖かかった。
    ・18:15頃。町の灯りが昨日より少し多い。
     灯りが見えると安心感がある。
     相変わらず、余震で車が揺れる。
    ・今晩から施設の中で寝ることにする。
    ・1:00頃、「原発が爆発、100km圏外に逃げよ!」、と案内あり。
     施設内の全員、総立ち。
     東京の長男に、逃げたら、と連絡してみる。
    ・1:30頃。
     「爆発はしていない。退去せよとは指示していない。」
     「デマである。皆さんの名誉のためにもここに留まるように!」
     一時は館内が騒然としたが、この一言で全員安心し、寝た。
     東京の長男からは、200km離れているから何とかなりそう…
      2号炉の燃料棒がむき出しのようで、国やマスコミは何か隠しているかも知れず、信用していない…
      お父さんの方が原発に近いので、注意して…、と。
      これは意外だった。
      ちなみに、長男は原子力が卒業研究のテーマだった…
    ・施設の中で、暖房もついているが寒い。
     寒さで何回か目が覚めた。
     余震もあるが…
      それでも、手足を伸ばして寝ることが出来るので、車中よりましだ。
3/15(火)
  7:00 2班出発 ①災害対策本部車…大船渡市へ
         ②衛星通信車  …宮古市へ
         ③照明車    …待機(私)。
    ・21:00頃。
     自宅にたっぷりのご飯があるのを思い出し、隣の谷口君に連絡。
    ・22:30頃、大き目の地震。
     長男に、連絡すると、震度3との事。
3/16(水)
    一日待機
    ・外は一面銀世界。
     また冬に逆戻り。
    ・10:00頃、近くのマーケットへ行った。
     30人程度の行列
     待っている間、近くのおばさんと話してみる。
      電気と水道は回復したとの事。
      しばらく停電だったので助かった…、と。
      いきなりテレビの映像を見たら、気がおかしくなってしまっていたかも知れない… 
      今は、とっても音楽を聴けない…
       そう。大きなショックの後は本当に音楽を聞けない…
       私も体験している。
       この人の気持ちが、痛いほど良く分かる…
       悲しい……
     後ろの30代?の男性にも話を聞いてみた。
      家は立っているが、傾いている。
      中は、食器棚などが倒れて、むちゃくちゃだ。
      古いしょっきが無傷で、新しいものばかりが割れているので、腹が立つ…
       こんな状態なのに、私は待機しっぱなし…
       無性に……
     入ってみると、50m位Uの字に商品が置いてある。
     無い商品は店員に伝えて持ってきてもらう。
     レトルトの雑穀米とカレーを購入。
3/17(木)
    一日待機
    ・13:00頃、この日もマーケットへ行った。
     やはり、30人程の行列。
 17:00頃 帰福
    ・後ろ髪を引かれるようだ。
     待機していただけで、被災者たちに何の貢献も出来なかった…
3/18(金)
  7:00頃 福井到着
  9:00頃 自宅到着。
    ・当然だが誰もいない…
     無気力…
     とりあえず風呂に入る。
      この一週間、結局風呂に入らなかった…
3/19(土)
 ・なぜか肉が食べたくなり、すき焼きをすることにした。
  すき焼きとビール。 一週間ぶりの酒。
   うまいが…
  叔母さんに写メールしてみた。