●癌性腹膜炎、手術後化学療法(トータル第4クール) 10、11日目。
4月7日 土 10日目
町内の下水工事に関係し、簡易水道にトラブルがあった。
このトラブルの対応が朝からあり、作業員とお互いの確認がてら、作業内容のチェックをした。
このため、夕方まで時間をとられてしまった。
さらに、選挙の立会演説会の音響操作に21:30頃までかかってしまった。
本当に、この地区は何だかんだと人の時間を使わせる、忌々しい地区である。
これだから、田舎はやりにくいところである。
病院に着いたのは22:00頃になってしまった。
もう、このままこの病室に泊まることにした。
妻にとってみれば、誰かいてくれるだけで気が休まるのだろう。
食欲は、昨日と同じく、あまり無い。
4月8日 日 11日目
妻が買っておいてくれた朝食を病室で食べた。
半分づつ食べたのだから、食欲は、昨日よりはあるようだ。
今から家に帰って、布団を干し、部屋の掃除をする、と意欲満々だ。
うれしいが、私が今度は使われる、と思うといささか気が重い。 やれやれ…
とはいうものの、結構時間ができ、私がやりたいことが少しであるができた。
庭木のみっともないものの剪定ができた。
昼食は、妻が作ってくれた。
久しぶりの手作り料理を妻と一緒に食べる。
ちょっとした幸福感があった。 今までは何でもないことだったのだけど…
庭木の剪定で出てきた枝を捨てに親戚の山へ行った。
ついでに、できたばかりの林道を周った。
ちなみに、私の家は山は全く持っていないが、年間2万円ほどのお金を支払わされている。
これも、田舎だから、とあきらめざるを得ない状況である。
林道を周っていると、妻がタラの芽を発見。
5、6個もある。
さらに先へ進むと、また2、3個発見。
全部で、20個ほど取れた。
早速、テンプラにして、タラの目をつまみにビールを飲みたいところだが、図書館へ本を返さないといけない。
タラの芽のテンプラを母に頼み、妻と出かけた。
夕食は、妻と交際していた頃によく行った、「つるつる」というそば屋へ行った。
雰囲気はちょっと若者向けのような感じになっていた。
メニューは昔のままのようだった。
昔頼んだように、2人別々のメニューを頼み、半分づつ食べた。
とても懐かしかった。
どうも、抗癌剤を入れた後10日間くらいが苦しいようだ。
妻は、もう退院したい、と言っていた。
しかし、まだ夜が寒い。 5度以下の日がある。
そういう意味では、もうしばらく入院していたほうがよさそうだ。
4月いっぱい入院し、後は、抗癌剤を入れた後10日くらい入院するような方向で考えることとした。
●癌性腹膜炎、手術後化学療法(トータル第4クール) 9日目。
会社が終わってから病院へ行った。
相変わらず、食欲なし。
お昼に寿司を買ってきたが食べれずに残ったから、食べよう、ということで食べたが、妻は2切れ食べただけだった。
さて、2日間の外出ということで準備をした。
私も久しぶりなので、何か野菜しゃっきりのうまいものを作って、一緒に夕食を食べようか、とマーケットへ買出しに行った。
甘エビがあった。 これで3回おいしいものが食べられる。
甘エビの刺身、尻尾のから揚げ、甘エビの吸い物だ。
一緒に食べたが、妻はえびの刺身を2切れだけ。
私は、大いにビールを飲んで食べた。
少ししゃっきりした野菜の吸い物も食べれて、大いに満足。
父のプチ介護を済ませて、寝た。
気がつくと、妻が廊下で吐いている。
吐き気がおさまらない。 えびを食べたためなのだろうか。
吐き気が長引くので病院へ戻る、と言い出した。
しかし、私はビールを飲んでいるので、飲酒運転になってしまう。
妻が、私が運転する、と言い出した。 もう、どうにもならないようだ。
そそくさと出かける用意をして、車に乗り込んだ。
途中、2回ほど吐きながらどうにか病院へたどり着いた。
病院の玄関先で車を乗り捨てて、自分の病室へ駆け込んだ。
私は、車を駐車場に止め、荷物を持って病室へ行った。
めげていた。 先生から、それ見たことか、と言われそうだと。
私も飲酒運転で帰るわけにいかず、病室へ泊り込むことにした。
今の状態では外泊は不可能だ。
せいぜい、外食をする程度しかできないことがわかった。