62年前の今日、この日本では終戦が宣言され世界が一変しました。
今となっては予測もつかない
正直なところ、私もそう思います。
でも、体験した人が少なくなっている今、このときを節目として、当時の事実として語られることに耳を傾け、想像力を働かせて追体験すること。
そして、先の時代へと教訓を受け継いでゆくこと。
それが自国の戦争を知らない時代に生まれ、かつ世界のどこかではいまだに戦争の続いている時代に生きる私たちに課された使命なのではないかと思います。
使命というとたいそうすぎるでしょうか
でも、小さくとも、きっとそうした思いをたくさんの人が持てば、きっと大きな力となるに違いない、そう信じたい
戦時下の世界の中で、将来への夢を抱いたまま、一瞬にして、まったく不合理に、命を奪われ、散っていった多くの人々の報われない思いを、無駄にしてはならない
今を生きることがいやになることも
無意味に感じられて投げ出したくなることもあるけれど
悩みながら、立ち止まりながら、懸命に生きなければならない
今日の正午の黙祷とともに、そんなことを思いました
これからさらに先の時代になれば、実際に戦争の体験をした人から、直接話を聞くことのできた今の私たちのような世代も少なくなっていく時がやってきます
そうなったとき、一定の風化は避けられないのでしょうが、どこまで歴史の教訓を身にひきつけた形で伝えていけるのか
大きな挑戦だと思います
むろん、そんなことに注目が集まらないくらい、争いがばかげているということに世界中が同意している、そんな夢のような世界になっていればいうことはないのですが。
世界に対して鈍感にならないで
日本人として、8月6日・9日とならび、特別な日である今日、
自省とともに、メッセージを発信していく日として大切にしたい
そう、私は思います
今となっては予測もつかない
正直なところ、私もそう思います。
でも、体験した人が少なくなっている今、このときを節目として、当時の事実として語られることに耳を傾け、想像力を働かせて追体験すること。
そして、先の時代へと教訓を受け継いでゆくこと。
それが自国の戦争を知らない時代に生まれ、かつ世界のどこかではいまだに戦争の続いている時代に生きる私たちに課された使命なのではないかと思います。
使命というとたいそうすぎるでしょうか
でも、小さくとも、きっとそうした思いをたくさんの人が持てば、きっと大きな力となるに違いない、そう信じたい
戦時下の世界の中で、将来への夢を抱いたまま、一瞬にして、まったく不合理に、命を奪われ、散っていった多くの人々の報われない思いを、無駄にしてはならない
今を生きることがいやになることも
無意味に感じられて投げ出したくなることもあるけれど
悩みながら、立ち止まりながら、懸命に生きなければならない
今日の正午の黙祷とともに、そんなことを思いました
これからさらに先の時代になれば、実際に戦争の体験をした人から、直接話を聞くことのできた今の私たちのような世代も少なくなっていく時がやってきます
そうなったとき、一定の風化は避けられないのでしょうが、どこまで歴史の教訓を身にひきつけた形で伝えていけるのか
大きな挑戦だと思います
むろん、そんなことに注目が集まらないくらい、争いがばかげているということに世界中が同意している、そんな夢のような世界になっていればいうことはないのですが。
世界に対して鈍感にならないで
日本人として、8月6日・9日とならび、特別な日である今日、
自省とともに、メッセージを発信していく日として大切にしたい
そう、私は思います