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瞑想すると…夜、お風呂で爆発しない!?

2016年11月26日 | 日記
突然ですが。

皆さま、お風呂に入っている時、何を考えていますか?

今日1日あった出来事?
楽しい予定や計画?
次の日のあれこれ?
何も考えず…ただボーッ…という方もいらっしゃるかな?

私は、以前はお風呂に入ると「感情のデットクス」とも言える現象がおこり
様々な感情…中でも特に「怒り」が勢いよく出てくることが多かったです。

1日の終わり、せっかくお風呂に入って、さあリラックス~といういう時に
ためていた「怒り」の感情がドドーン!

「ためていた」とも言えるし、「押し殺していた」とも言えます。

やっかいなことに、怒りはさらに別の怒りまでご丁寧に(笑)引っ張って来て
時空を超えて、関連する昔の出来事の際の怒りまで再度感じることになり…あぁ大変。
わざわざ、自ら疲れることをしていました。

そして、お風呂上がりには、その怒りを夫にぶつける…ということを繰り返していた時期がありました。
彼にすれば、本当にいい迷惑ですよね(^_^;)

でも、彼は鷹揚に「はい、はい、また始まった」と軽く流してくれていたので
ある意味助かりましたし、時折…お風呂に入る私の背中に
「あまり、あれこれ考え過ぎるなよ~」と声もかけてくれていました。

怒りの原因は、主に職場でのあれこれでした。

特に、今の部署の立ち上げ当初は1人で何役もこなしていたので、
頭からは湯気が出そうだったし、
鼻からは鼻血も出そうだったし、
口からはゴジラの如く、炎と雄たけびが出そうでした。

私の机に貼られた付箋紙の数がすごくて、まるで七夕の短冊状態でした(笑)。

社員に聞いても「わからない」と調べることもせず
判断を仰いでも「僕にそんなこと言われても」と逃げ腰になり
お願いごとをしても「それ、俺の仕事じゃない」と開き直られ

逆に、クレーム対応を「できる社員がいないから、頼む」と課長自らが持ってきて
断ると「安心と安全!これ以上、お客様を怒らせないように」と頭を下げられ
「っざけんなよっ!」と内心叫びつつ、対応もしていました。

それまでの部署で、さんざんお客様対応をしてきた私ですから
クレーム対応そのものに怒りを覚えたわけではありません。

役割を決めておきながら、自分たちがやることをやりもせずに
都合のいい時だけ、そうやってお願い事をすることにモーレツに腹が立ったのです。

言ってみれば、常に怒りながら仕事をしていたような…。

人数が足りなくて、派遣スタッフを募集して、せっかく来てもらっても
あまりの業務のすさまじさに、「無理です」と1日で辞めてしまった人が
立て続けに2人…というのもその時期のことです。

その当時の派遣スタッフは、全員辞めてしまって残っているのは私だけ。

そんなわけで。
ぷりぷり怒っていても、営業さんからはどんどん電話は入ってくるし
とにかく次々と取り掛からないと進まない状態だったので、
1日の終わりにお風呂で爆発!!していました。

長らく在籍していた前の部署には、
仕事が出来て、頼りになって、信頼できる素晴らしい社員さん達、
私もあんな風になりたい!と憧れの存在の方たちもいらっしゃって、
仕事をするうえで本当に恵まれた環境にいたので、
同じ会社とは言え…
部署によってこんなに社員の意識とスキルの違いに雲泥の差があっていいのかーーー!と
怒りがおさまらなかったのです。

正直、今でもざっくり言えば…まあ、あまり変わっていません。

むしろ、今年の7月にロケーションが変わってから
あらたな不協和音が鳴り始めて、状況はさらに悪化しているかもしれません。

特定の派遣スタッフの方に対する社員の陰湿なイジメが発覚したり、
私たち派遣サイドに立って闘ってくださっていた社員さんが、
心の病にかかってしまわれ休職されてしまったり、
ストレスで過呼吸になり救急車で搬送された派遣さんがいたり。

気持ちがざわつくことが多発しています(-_-;)

ただ、以前のようにお風呂場で爆発することが激減しました。

ひとつには、8月に腎盂炎になり、オーバーワークを自覚して
意識的に業務量を調整するようになったこともあります。
余裕がないと、どんどん攻撃的になることがわかっていますから(笑)。

また、「怒り」という感情への接し方、捉え方がずい分変わりました。
瞑想を始めて一気に加速した感があります。

そもそも、「怒り」は「悪者」「厄介者」というベースがどうしても自分の中にあって
だから、怒ってしまった自分に対してもさらに怒るということをやっていました。

怒りを覚えた「人」や「出来事」に対して出ている怒りのベクトル、
プラス、その怒りを覚えた「自分」に対しても怒りのベクトルを向けて
とても苦しくなっていました。

持っていき場のない「怒り」でパンパン…。あ、夫にぶつけていた(^_^;)

理屈では「怒り」も感情のひとつで、「良い」も「悪い」もないとわかっていても
結局、字面だけしか頭に入っていなくて、不確かで曖昧な状態が長らく続いていました。

でも、子供を見ればわかりますが、
笑ったり、泣いたり、時には顔を真っ赤にして怒ったり…
そのどれもが、その子の「感情のあらわれ」でしかなく、
喜怒哀楽に関して、別に子供だからとか、大人だからとか関係なく
人間だったら、誰しも一緒だよなぁと、フッと腑に落ちた瞬間がありました。

あと、どれだけ怒っても、相手が変わることなんてほとんどないし、
状況も変わらないものは変わらない。
だったら、怒っている時間が無駄だなぁとも思え始めました。

もちろん、怒らなくなったということとは違います。
今でも、怒りの感情は出てきます。

ただ、大きく違うところは、
「怒り」を「厄介者」として見なくなったということ。
見て見ぬふりをしなくても、「怒り」も私の感情のひとつと、捉えることが出来たこと。

「厄介者」として見ていたからこそ、
抑えなきゃ、消さなきゃ、とやっきになっていたけれど、
他の感情と何ら変わりなく、その一部でしかないとわかれば、
デトックスという言葉を使うことも、実はおかしいことがわかります。

子供が「今日は怒っちゃったから、その感情を取り除かなきゃ」って言わないよな~。

また、その感情を味わい続けるか…やめるかは、「自分で選択できる」ということ。

当たり前と言えば当たり前のことですが、ストーンと腑に落ちることによって、
明らかに「あぁ、そうなんだ!」というスッキリとおさまった感覚がありました。

朝の瞑想タイムを持つことによって、バラバラだったパズルのピースが
次々とつながっていくような感覚です。

長くなってしまったので、今日はこのあたりで(^^♪
読んでいただき、ありがとうございます♡