昨年は、
生きるってどういうこと?
私って誰?
自分って何者?
それに終始した1年でした。
そして、今年の年明けにフッと来たのが。
「私」については、おそらくずっとわからないということ。
幾重にも拡がり続けている「私」という意識は、
どこまで行くのかもわからないし、
そもそも終わりなんて無いだろうし・・・。
だからこそ、この地球(ほし)に生まれた。
だからこそ、面白く「旅」そのものなんだ。
今世限りのこの肉体を使って、
何を表現したいの?
何を創造したいの?
表現するのも、
創造するのも、
他の誰でもない「私」がすること。
人って本来「自由」なんだなぁと(今さらながらだけど)。
不自由にしているのは、他でもない自分。
自分の外側の何かに属していたほうが安心という思い込み。
自分自身が、最高にして一番の相棒なのにね。
さらに、思ったのが。
人って本来自由だから、
逆に何でもあり(多種多様)なんだということ。
いいも悪いも、
正しいも間違っているも、
本当にないんだなぁということ。
ひとそれぞれ。
この想いが内側から湧いてきた。
湧き上がってきた想いがさらに拡がっていった時、
例えようもないほど平安で満たされていることに気づいた。
で、この「ひとそれぞれ」って、
「だから、どうぞご勝手に」ということではなく。
姿かたちも違えば、誰ひとりとして同じ人間はいないのだから、
10人にいれば10通り、
100人いれば100通りあるのが自然だね、ということ。
こうやって文字で書くと、当たり前のことだけど。
結局、これを受け入れていないから、
比較したり、
競争したり、
抵抗したり、
拒絶したり。
ほぼ、無意識に(反射的に)散々あれこれやっていた。
でも、昨年の12月の初旬にエネルギーが大きく変容して、
さらに意識が拡がっていった時、
自分の中でもこの無条件反射のような反応が
なくなっていることに気づいた。
これが、今までとは全く違う建物に移るってことかな?
これからどのようになっていくかも、
わからないからこそ、楽しみ(*^_^*)
生きるってどういうこと?
私って誰?
自分って何者?
それに終始した1年でした。
そして、今年の年明けにフッと来たのが。
「私」については、おそらくずっとわからないということ。
幾重にも拡がり続けている「私」という意識は、
どこまで行くのかもわからないし、
そもそも終わりなんて無いだろうし・・・。
だからこそ、この地球(ほし)に生まれた。
だからこそ、面白く「旅」そのものなんだ。
今世限りのこの肉体を使って、
何を表現したいの?
何を創造したいの?
表現するのも、
創造するのも、
他の誰でもない「私」がすること。
人って本来「自由」なんだなぁと(今さらながらだけど)。
不自由にしているのは、他でもない自分。
自分の外側の何かに属していたほうが安心という思い込み。
自分自身が、最高にして一番の相棒なのにね。
さらに、思ったのが。
人って本来自由だから、
逆に何でもあり(多種多様)なんだということ。
いいも悪いも、
正しいも間違っているも、
本当にないんだなぁということ。
ひとそれぞれ。
この想いが内側から湧いてきた。
湧き上がってきた想いがさらに拡がっていった時、
例えようもないほど平安で満たされていることに気づいた。
で、この「ひとそれぞれ」って、
「だから、どうぞご勝手に」ということではなく。
姿かたちも違えば、誰ひとりとして同じ人間はいないのだから、
10人にいれば10通り、
100人いれば100通りあるのが自然だね、ということ。
こうやって文字で書くと、当たり前のことだけど。
結局、これを受け入れていないから、
比較したり、
競争したり、
抵抗したり、
拒絶したり。
ほぼ、無意識に(反射的に)散々あれこれやっていた。
でも、昨年の12月の初旬にエネルギーが大きく変容して、
さらに意識が拡がっていった時、
自分の中でもこの無条件反射のような反応が
なくなっていることに気づいた。
これが、今までとは全く違う建物に移るってことかな?
これからどのようになっていくかも、
わからないからこそ、楽しみ(*^_^*)
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