豊かだなぁ・・・。
こう思う時。
それは、外側の「何か」とか「誰か」によってもたらされるものではなく、
ただただ内側から湧いてくるもの。
そして。
この感覚は「至福感」と同様、一時的なものではなく、
「常に」感じられるものだということがわかった。
自分が存在していること、そのものが「喜び」。
そう感じられる「至福感」がもたらす「豊かさ」。
全て連動しているみたい。
これ。
口先でどれほどいいことを言っても、
頭でどれだけわかったフリをしても、
「フリ」は「フリ」でしかない。
それもハッキリわかった。
同時に宇宙に「委ねる」とか、
「応援される」という言葉にも少し違和感を覚え始めた。
実際にガイドや高次の存在がサポートしてくれるし、
他に言いようがない、ということもあるから、否定するわけでない。
でも、今はどちらかと言うと「自然に運ばれている」という感覚。
そもそも「委ねよう」という意識が、既にないからかな?
自分の本質・・・小宇宙として生きることで、
大宇宙と響き合い循環する。
それは、まるで「鼓動」が、「息」がピッタリと合わさっていくような感覚。
「それ」でしかない。
「それ」そのもの。
人は「それ」を識りたくて、思い出したくて、
肉体をまとって「時の旅人」になる。
こう思う時。
それは、外側の「何か」とか「誰か」によってもたらされるものではなく、
ただただ内側から湧いてくるもの。
そして。
この感覚は「至福感」と同様、一時的なものではなく、
「常に」感じられるものだということがわかった。
自分が存在していること、そのものが「喜び」。
そう感じられる「至福感」がもたらす「豊かさ」。
全て連動しているみたい。
これ。
口先でどれほどいいことを言っても、
頭でどれだけわかったフリをしても、
「フリ」は「フリ」でしかない。
それもハッキリわかった。
同時に宇宙に「委ねる」とか、
「応援される」という言葉にも少し違和感を覚え始めた。
実際にガイドや高次の存在がサポートしてくれるし、
他に言いようがない、ということもあるから、否定するわけでない。
でも、今はどちらかと言うと「自然に運ばれている」という感覚。
そもそも「委ねよう」という意識が、既にないからかな?
自分の本質・・・小宇宙として生きることで、
大宇宙と響き合い循環する。
それは、まるで「鼓動」が、「息」がピッタリと合わさっていくような感覚。
「それ」でしかない。
「それ」そのもの。
人は「それ」を識りたくて、思い出したくて、
肉体をまとって「時の旅人」になる。
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