Facebook、2022年5月30日にあげた記事。
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彼(自分以外の誰か)に愛されることで、ようやく自分の価値を認められる。
これだと、その「誰か」次第で自分の価値が上がったり下がったり、平安とは程遠い。
ずっと振り回され続ける人生になる。
誰かを好きになることは素敵だと思う。
でも、彼に愛されることイコール自分には価値がある、という思考だと。
「彼が全て」になってしまう。
気づくと、生活の全てが彼を中心にまわっている。
それが幸せ!ならいい。
でも、何かが違う、苦しい…。
私の頑張りが足りないから?
私の〇〇が駄目だから?
彼の為にもっと〇〇をしなきゃ。
そんな状態に陥ると、さらに苦しくなる。
人生の主導権を彼に渡して(押し付けて)しまっていると。
時間が経てば経つほど、我慢と犠牲で埋め尽くされる。
対等ではない関係は本当に苦しくなっていく。
この依存と執着から解放されると。
私は私。
彼は彼。
彼から愛されても。
愛されなくても。
私の価値はなんら変わらない。
そして同時に、相手に対してもそれは同じ。
彼が私を愛しても。
愛さなくても。
彼の価値はなんら変わらない。
これは、人間関係全般に言えるだろうな~と思う。
でも踊らされてる時には、それがデフォルトだから、なかなか気づきにくい。
そう言えば。
靴を履いたら、死ぬまで踊り続けなきゃいけない?というような物語があったと思うけど…。
フッと出てきたので、調べてみたら。
アンデルセンの「赤い靴」だった。
原作では、赤い靴を履いた両足を切り落とすことで、
ようやく踊ることを止められたという内容になっている。
赤い靴が何の象徴なのか…。
色々な解釈があるようだけど。
私は、赤い靴を脱ぎ捨てることは出来ると思う。
そして、脱ぎ捨てても。
人生という舞台で踊る為に必要な靴は用意されると思う。
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彼(自分以外の誰か)に愛されることで、ようやく自分の価値を認められる。
これだと、その「誰か」次第で自分の価値が上がったり下がったり、平安とは程遠い。
ずっと振り回され続ける人生になる。
誰かを好きになることは素敵だと思う。
でも、彼に愛されることイコール自分には価値がある、という思考だと。
「彼が全て」になってしまう。
気づくと、生活の全てが彼を中心にまわっている。
それが幸せ!ならいい。
でも、何かが違う、苦しい…。
私の頑張りが足りないから?
私の〇〇が駄目だから?
彼の為にもっと〇〇をしなきゃ。
そんな状態に陥ると、さらに苦しくなる。
人生の主導権を彼に渡して(押し付けて)しまっていると。
時間が経てば経つほど、我慢と犠牲で埋め尽くされる。
対等ではない関係は本当に苦しくなっていく。
この依存と執着から解放されると。
私は私。
彼は彼。
彼から愛されても。
愛されなくても。
私の価値はなんら変わらない。
そして同時に、相手に対してもそれは同じ。
彼が私を愛しても。
愛さなくても。
彼の価値はなんら変わらない。
これは、人間関係全般に言えるだろうな~と思う。
でも踊らされてる時には、それがデフォルトだから、なかなか気づきにくい。
そう言えば。
靴を履いたら、死ぬまで踊り続けなきゃいけない?というような物語があったと思うけど…。
フッと出てきたので、調べてみたら。
アンデルセンの「赤い靴」だった。
原作では、赤い靴を履いた両足を切り落とすことで、
ようやく踊ることを止められたという内容になっている。
赤い靴が何の象徴なのか…。
色々な解釈があるようだけど。
私は、赤い靴を脱ぎ捨てることは出来ると思う。
そして、脱ぎ捨てても。
人生という舞台で踊る為に必要な靴は用意されると思う。
