Facebook、2022年8月18日にあげた記事。
~~~~~~~~~~~~~~~
パートナーに進められた本の中で「想いの窓」という言葉に出逢った。
要約すると…。
****************
誰もが、それぞれ持っている「想いの窓」を通して外の世界を見ている。
それ自体にいいも悪いもなくて。
これまで生きてきた中で培ってきた想いや信念の集まりで出来上がった窓。
また、自分の「想いの窓」には、何が書かれているかを自分で見ることはなかなか難しい。
****************
この本の著者は、自分の息子と接する時。
「君の『想いの窓』に何が映し出されているかを一緒に考えてみたいんだ」
そう言って。
まず父である自分と息子の「想いの窓」は別の物として接している。
また、「窓」の中にある「想い」と、
1人の人間として愛している「君」は同じではないということ。
君の行動は君そのものではない、ということも伝えている。
父と子のやり取りが進む中、
それまでの「想いの窓」に「新しい想い」が映し出された。
そこから、息子が「心のやすらぎ」を得るという癒しのプロセスが描かれている。
これを読んで感じたのは。
「自分を愛する」って。
この著者が子供に対して行ったことを、
自分自身に対して行うのと一緒だな~ということ。
著者も、表現は違えど同じことを言っている。
「想いの窓」を通して、自分が本当に見たいものを映し出す為に。
この著者の言葉を借りれば。
「自分の想いの窓に映す新たな想いを常に発見するとともに(…略…)
それらの想いを今まで持っていた想いと調和させなければならない」
ただし「簡単なことではない」ので、
「信頼できる人の助けを得ていただきたい」とも伝えている。
自分の顔は、どうやったって直接自分で見られないのと同じだなぁ。
それに、そもそも、本当に見たいものって何よ…ってこともあるけど。
これって頭で考えていても、きっとずっとわからない。
動くことによって見えてくる…というか、
それでしかわからないんじゃないかなと思う。
だから、変わっていくだろうし。
実際に、大きく変わっていっている。
一方、映し出される世界は変わっても、自分の中に変わらない大切な想いもある。
色々な方の力と助けをお借りして。
その大切な想い…湧き上がる純粋欲求を再発見している。
「目覚めてからが本番」というメンターの言葉が、ジワジワと拡がっていっている。
~~~~~~~~~~~~~~~
パートナーに進められた本の中で「想いの窓」という言葉に出逢った。
要約すると…。
****************
誰もが、それぞれ持っている「想いの窓」を通して外の世界を見ている。
それ自体にいいも悪いもなくて。
これまで生きてきた中で培ってきた想いや信念の集まりで出来上がった窓。
また、自分の「想いの窓」には、何が書かれているかを自分で見ることはなかなか難しい。
****************
この本の著者は、自分の息子と接する時。
「君の『想いの窓』に何が映し出されているかを一緒に考えてみたいんだ」
そう言って。
まず父である自分と息子の「想いの窓」は別の物として接している。
また、「窓」の中にある「想い」と、
1人の人間として愛している「君」は同じではないということ。
君の行動は君そのものではない、ということも伝えている。
父と子のやり取りが進む中、
それまでの「想いの窓」に「新しい想い」が映し出された。
そこから、息子が「心のやすらぎ」を得るという癒しのプロセスが描かれている。
これを読んで感じたのは。
「自分を愛する」って。
この著者が子供に対して行ったことを、
自分自身に対して行うのと一緒だな~ということ。
著者も、表現は違えど同じことを言っている。
「想いの窓」を通して、自分が本当に見たいものを映し出す為に。
この著者の言葉を借りれば。
「自分の想いの窓に映す新たな想いを常に発見するとともに(…略…)
それらの想いを今まで持っていた想いと調和させなければならない」
ただし「簡単なことではない」ので、
「信頼できる人の助けを得ていただきたい」とも伝えている。
自分の顔は、どうやったって直接自分で見られないのと同じだなぁ。
それに、そもそも、本当に見たいものって何よ…ってこともあるけど。
これって頭で考えていても、きっとずっとわからない。
動くことによって見えてくる…というか、
それでしかわからないんじゃないかなと思う。
だから、変わっていくだろうし。
実際に、大きく変わっていっている。
一方、映し出される世界は変わっても、自分の中に変わらない大切な想いもある。
色々な方の力と助けをお借りして。
その大切な想い…湧き上がる純粋欲求を再発見している。
「目覚めてからが本番」というメンターの言葉が、ジワジワと拡がっていっている。