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本番が始まる

2022年10月22日 | 目覚め
Facebookをしていると、時折「〇年前 この日の思い出を見る」と
以前に投稿した記事が出てくる。

これが、1年前もあれば、2年前、3年前と色々。

しかも、毎日出てくるわけじゃないので、
何が基準になっているかもわからないけど。

今日は、午前9時からオンラインセッションだった。

2時間近くのセッションを終えてから、Facebookを見たら…いきなり出てきた。
目を通したら、まさにセッションで話したこととかぶる内容でちょっとびっくり。

以下になる。
(2021年10月22日の記事)

~~~~~~~~~~~~~

★本番が始まる★

ここ数か月、「死」について考える機会が何度か訪れている。

また色々なことが「他人事」から「自分事」へと変化している。

夫の死別体験直後であれば無理だと思えた話でも、
今であれば耳を傾けることが出来るし、
だからこそ、様々な機会が訪れているのかなと感じている。


「死」を忌み嫌うのではなく。

誰もがむかえる最期に意識をむけることは、

同時に今の「生」についても、向き合うこと。


といっても。
しかめっ面になって難しく考えたり捉えたりはしていない。

むしろ、逆。
目覚めの過程を経て、喜怒哀楽以外の「至福」を識った。



自分は本当は何もので、どうしてそれが始まったのか。  


いっぺん死んでみて(いくつか前の記事)仕組みが視えた。


空(くう)そのものが私達の本質で、最初からそれしかない。 
無限の私が、有限が体験できるこの世界を用意した。


・・・で、どうする?


どうしたい?


「思考による良しあし」の判断に基づいたものではなく。
純粋意識の顕れである「私」を通して、
純粋動機の実現の為に、
本当にやりたいことを、
本当にやりたい人達と、
本気でやっていく。


シンプルだけど、これに尽きるのかな、と。


夫が目の前で倒れて、あっけなくこの世を去ってから。
どこかで自分だけがまだ肉体を着ていること。

その肉体を通して様々なことを享受していることに対して、
申し訳なさのようなものが、まだ微かにあった。

でも、多くの体験をしたくてここに「在る」のが私達で、
夫という存在も、夫の死も全体性の顕れのひとつ。

申し訳なさを感じていてもいいし、
感じなくなってもどっちでもいい。

どうこう出来るものではないし、しようという気持ちも消えた。

夢から覚めて正気になってからが、
本当の意味での体験が始まるのかなと思う。


本番はこれから・・・。



人と同じでなくていい

2022年10月22日 | 目覚め
人と同じでなくていい。

いや、むしろ。
同じになるはずがない。

昨日の朝、フッと流れてきた言葉。

本当に、そうだな~と思う。


一昨日は、ある方達とランチをご一緒させてもらった。
初めましての方も含めて4人。







美味しくて楽しくて、その場の空気が本当に心地よかった♡
で、そのあと場所を変えて打ち合わせ。

…の予定が、恋愛の話しでめちゃくちゃ盛り上がった。

何度も大笑いしながら、すっごく楽しくて。
なんだろ?って振り返った時。

その場にいたのが(自分も含めて)、「私は私」という人達だったからかな…と。

それは、境界線をバチッと引いて、他人を立ち入らせないということとは全く違って。
それぞれが、自分の辿ってきた人生を自分ごと「まるっ」と愛している、受容している。

他人に興味がない…というと、これまた語弊があるけど。
他人を「詮索する」という感じが全くなかった。

一見同じような会話でも、「探る」エネルギーって肌で感じるし、色々なものを含んでいる。
(いい悪いではなく)


昨日は「人にドラマありですね」と話しながら、
お互いのユニークさや違いが、めちゃくちゃ面白かった。


自分自身の中に阻むものが何もなく、
そのまんまの人達との関わりは、どこにも力が入っていなくて本当にラクちん。


「完璧な自分」でなければ、という「幻想」にとらわれていた時は、
私は「欠点」だらけで「いびつ」だったから、そんな自分を疎ましく思っていた。


でも、違った…。


想いと言葉と行動が一致していくと、その人ならではの「色」が出てくる。


誰ともかぶらない、それを見たい。


美しい石達に囲まれて、そんな話しが出来ればな~と考えている。


写真の美しい石はオパール。
短時間で、生き物のように色が変わっていく様子は感動もの✨✨