魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

憧れ

2018年06月25日 | 日記
ずいぶん昔から。


素敵だなぁ。

恰好いいなぁ。

美しいなぁ。

と憧れるのは、年齢を重ねた大先輩ばかり。


105歳の篠田桃紅さん。

もう亡くなられましたが、
池田重子さん。
浦沢月子さん。
鈴木真砂女さん。
蔦清小松朝じさん。
武原はんさん。

「和」の装いの方ばかりだけど、私自身が和服大好きだからかな?

そこにあらたに、88歳にして現役モデルのダフネ・セルフさんが加わりました。


皆様、本当に素敵!!










雨の中の訪問☂

2018年06月24日 | 日記
昨日は、雨の中…友人が遊びに来てくれました。

お土産は、私の好きなお店のケーキ&マカロン💕

先日、買い求めた優しい印象のアンティークのデザート皿を使ってティータイム♬








クリームがかった色と、花びらのような雰囲気が気にいったカップも。






ついついお喋りがはずんでしまって…。
結局、そのまま外にご飯を食べに行き、再び戻って珈琲タイム☕

あれこれ話せて本当に楽しかったー!!

ありがとう✨

自分にとっての「快」「不快」をハッキリさせる

2018年06月23日 | 日記
先日、ある集まりの中で。

N氏に突然…ふっと聞かれてハッとしたのですが。


身体の面でも心の面でも、

自分にとっての「快」「不快」をものすごく曖昧にしていたなぁと。


生活していたら「快」も「不快」もあって当然なんだけど。

「不快」の多くを見て見ぬふり、感じているのに感じていないふりをしていた。



「不快」を曖昧にしていると「快」すらボンヤリしてくるみたい。



つまり。



イヤなものはイヤ、
嫌いなものは嫌い、
しんどいものはしんどい、

と自分自身がハッキリさせなかった。



なぜか?その理由もわかった。

グズグズ&モヤモヤ、その結果が…ウジウジ&イライラ。

これだけ自分が曖昧なんだもの、

そりゃまわりだってそうなるよなぁ~とストンと腑に落ちた。



N氏に「あゆみさんは、〇〇がイヤなんですか?」と聞かれ、

「はい、私は〇〇がイヤです」とハッキリ口に出してわかった(^_^;)


私は〇〇はイヤです、気分が悪い、とハッキリ認めると、

じゃあどうすればいいの?と自らへの問いかけが自然と出てくる。



早速、考えていた解決方法を実行してみたら、大正解。

今さらながら、口に出す、言葉に出すって大きいと実感!





N氏に感謝!




「私」を包括する「私」

2018年06月22日 | スピリチュアル
「私」が「私」であるということは事実。

でも、時折フッと来るものがある。


それは。


「私」は「私」なんだけど。

「私」でない「私」を感じることがある。


何だか禅問答みたいだけど。


これは。


他の誰かに「私」を乗っ取られているとか、そういうことではなく。


肉体としての「個」を超えた大きな「私」とでも言えばよいのか…。



その時、「私」という存在はそれまでとは全く異なる感覚になる。


大きく違うのは時間軸。


数か月前のことなのに、もう10年ぐらい経った感覚になる。

ついこの間の出来事なのに、遥か昔の記憶を呼び起こすような感覚になる。

何となくとか…気のせい…ではなく、ハッキリと。


そんな不思議な時間の流れに、ちょくちょく入ることがある。


いや。


入るというより、ダブっているので…行ったり来たりかな。




魂の叫びは祈り

2018年06月21日 | 日記
祈る…という習慣は、大人になってからはなかった。


カトリックの学校にずっと通っていたので、
ロザリオを手に讃美歌を歌い、聖書を読む時間はあった。


おそらく「お祈り」の時間もあったと思うけど。

大体いつも、見えない世界に意識がとんで…
輝く根源に漂うような心地よさの中で時(とき)を過ごし、
ハッと気づくと授業が終わっていた。


毎年行われるバザーでは、
マリア様や天使達が描かれたカードを買うのが楽しみだった。

クリスチャンではないけれど、とても惹かれていたし、
眺める度に心が穏やかになる…それははっきり覚えている。


1日が終わる時には、必ずマリア様と話をしてから眠りについた。


大人になり、讃美歌や聖書からは遠ざかった。


でも、ふっと思った。


苦しみを抱えて、哀しみの淵から身動きが取れなかった時。
私は、祈っていたんだと。


魂の叫びは「祈り」だった。

来る日も来る日も、私は祈っていたんだ。


光のガイドが導き手となり、

そして…救われた。



世界は「動いた」。