魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

思考の中に答えはない

2022年10月05日 | 目覚め
Facebook、2022年9月16日にあげた記事。

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継続セッションを受けて下さっているクライアント様から、
先日報告メールをいただいた。

「今朝、突然思い出したんです!」

その内容は、かなり衝撃的なものだったけど、似たような体験を私もしていた。

衝撃(ショック)が強ければ強いほど。
その体験とそれに伴った感情はフリーズして、記憶の引出しのず〜っと奥にしまい込まれる。

あぁ、でも。
もう大丈夫だよ〜って浮かび上がってきたんだなと。

ご本人も
「急に思い出して電車で泣けちゃって思わずメッセージしちゃいました(T ^ T)」
「もう解放!」


自分の本質に繋がる(戻る)と。
準備が出来た段階で、必要な癒やしは起こるんだな…とあらためて実感。

だから、どんなタイミングで何が出てくるかは、
私もクライアント様も予測できないし、わからない。


本当にいつも思う。


『思考の中に答えはない』


むしろ、思考で何とかしようとすればするほど、逆に握り締めるような結果になることが多い。

でも、ハートが開いてくと。
スルッと消えていく、その奇跡を何度も見せてもらっている。


そんな私も、つい最近面白い体験をした。

世代が一緒の方はご存知じゃないかな?と思うんだけど。
子供の頃に見ていたテレビで「がんばれ、ロボコン」という番組があった。

それこそ、何十年前?
そんな番組があったことさえ忘れていたのに、なぜか突然思い出された。

それは、主人公のロボコンが、お金は「血と汗と涙の結晶」と聞いて、
実際につくってみる、というストーリー。

詳細は忘れたけど。

バレリーナのロビンちゃんが踊りまくって出た「汗」と。
誰かが号泣して出た「涙」と。
「血」はどうだったかは忘れてしまったけど…。

話しの結末については、覚えていない。

おそらく「そんなものでお金が出来るわけがないんだから、
ちゃんと真面目に働きなさい!」とかなんとか。

そんなオチではなかろうか?

ロボコンが試した方法で、もちろん本物のお金が出来るわけがないけど。

小学生の私の中には「お金は血と汗と涙の結晶」というワードだけが、
しっかりインストールされたんだろう。

それが、ポッと浮かび上がってきた。

その時代は、それが当たり前だったんだな~と思う。

私達の親世代の頑張りを、決して揶揄するわけじゃない。
努力することを否定しているわけでもない。
その頑張りのおかげで、体験出来たこともたくさんある。

でも、心や体を壊すまで頑張る必要はないと思うし、
そういった信念はいらないんだな~と感じた。

ちなみに「ロボコン」って。
「ロボット」と「根性」をかけ合わせたネーミングらしい😅💦💦


※写真はお借りしました。



常に「ある」を感じられる幸せ

2022年10月05日 | 目覚め
Facebook、2022年9月15日にあげた記事。

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スロットマシンというものがある。

実物は見たことも触ったこともないけれども。
子供の頃に、おもちゃで遊んだことはある。


今月に入ってから。
あくまでもイメージだけど…。

スロットマシンでいうところの数字が出てくる場所に
「ある」「ある」「ある」がズラッと並びっぱなしで。

コインがジャラジャラ出続けているように、溢れんばかりの「ある」を毎日感じている。

時間軸の中では、過去と呼ばれている領域に関しても、
「ある」「ある」「ある」。

で、ジャラジャラジャラ。


愛を受け取り直す、というと変な言い方かもしれないけど。

エネルギーの世界は、時空間がないわけだから。

たとえ、今すでにこの世を去って、ここにいない人であっても。

あるいは、人生の旅路の中である期間ご縁があったけど、今は関わりがなくなった人も。

物理的に遠く離れている人も。


その人達の愛はいつでも感じられるし、
どれだけ愛してくれていたんだろうと、そのエネルギーに包まれ続けている。

以前なら、そこに罪悪感や心の痛みが伴っていた。
だから、「ある」に意識を向けることが怖かった。

でも、自分の中の制限が外れて、私が私を受け入れられるようになると。

頑張らなくても。
意識しなくても。

まるで、何度回転させても「ある」しか表示が出ないスロットマシンのようで。

その中に、罪悪感も後悔もうっすら混じっているけど、
それさえも「ある」が包括してくれている。

物質的な豊かさは、どうでもいいと言ってるわけではないけど。
常に「ある」を感じられるのは幸せだと思う✨


ポンコツ万歳!

2022年10月05日 | 目覚め
Facebook、2022年9月13日にあげた記事。

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私がやらなきゃ。
全部やらなきゃ。
ちゃんとやらなきゃ。

で、いっぱいいっぱいになって自爆🤯

なんでいつも私ばっかり💢

そう思っても…。
妙なプライドが邪魔をして😖

出来ません、と言えない。
無理です、と言えない。


会社員時代は、「我慢」や「無理」を「充実」という言葉にすり替えていたし、
そのことに気づいてすらいなかった。

でも、そんな状態から…。
ハートの声にひたすら耳を傾けて。
その声に従うにつれて、自分を偽ることが出来なくなっていった。

世の中に対しても。
自分に対しても。
それまでの価値基準は総崩れ。

我慢していたこと。
無理していたこと。
あれもこれも削ぎ落とされて。


あらわれたのは、ポンコツな私。


出来ないこと。
わからないことだらけ。
だから、色々な方々に沢山助けていただいている。


一方、幼い時から自然にやっていたチャネリングにヒーリングが加わり、
これは神様から授かったギフトなんだなぁと感じている。

そのギフトを使う為に。
しくじり先生並みのユニークな「私」という「ストーリー」があるんだとあらためて実感。

これまで、無理や我慢に流れていたエネルギーが、
ギフトに一極集中しているのを肌で感じる。

一昨日も、パートナーに「私ってかなりのポンコツだったんだね…」と言ったら。

ニヤリとしながら😁
「今頃気がついた?」
私「えへへ😁」

昔の私だったら、自分で自分を下げる「ダメダメ」発言をしておいて。
で、誰かに「そんなことないよ〜」って持ち上げてもらおうという魂胆があったと思う。

だから、相手が冗談っぽく言ったとしても、自分の意にそわない言動だと、
少なからずショックを受けて、ひそかに落ち込んでいた。

さらに、それを素直に表現することも出来ずに、
さも何ともないように振る舞い、イジける…というパターン。

そのパターンが今回は出なかったことに、自分でびっくりした😲
(ずいぶん時間が経ってから気づいた)

9月に入ってから、やっぱり何かがものすごい勢いで動いている感覚がハッキリ。


ジグソーパズルで言うと。
全体像が何となく見えてきたかな?と思っていたら。
パタパタとピースが反転し出して、全く違う景色が現れ始めたような感覚。


ため息がもれるような幸せを日々感じている

2022年10月05日 | 目覚め
Facebook、2022年9月12日にあげた記事。

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「あぁ…幸せだなぁって思うのよ」

昨日、電話で話していた母の口から出た言葉。
(一瞬耳を疑った👂)

「それもねぇ、1日1回とかじゃないの」

「何回も何回も、そう思うのよ」

「そのたんびに、はぁ〜ってため息が出るの」

「ため息って言っても、落ち込んで出るんじゃないのよ」

思わず「わかるぅ〜😆」と私。


何がわかるって。
思わず、ため息がもれるような幸せを、私も日々感じているから。

静かだけど、コンコンと湧いてくるような…いのちの流れそのものを、
いつでも感じることが出来るから。


うんうん、わかる。
すごくわかるよ、お母さん。


60歳の時に、父と別居を始めた母。
それから20年。

体の面も含めて、色々と不自由なことも多くなり。
以前だったら出来ていたことも出来なくなり、
不便を感じていることも沢山あると思う。

でも、母がこんなにも穏やかな口調で
「幸せ」という言葉を発するのを聞いたのは、初めて…。

その言葉のバイブレーションは本当に安らかで、
時空間を超えて瞬時に「ひとつ」だという感覚が拡がった。


長年住んだ場所から遠く離れて、ひとり暮らしをしている母と。
夫に先立たれた娘が、受話器を持ちながらお互いに「幸せだね~」とウットリしている(笑)。

先日も、びっくりするような言葉が、母の口から出たけど。
(これはまた別に書きたい)
私の変容と面白いぐらいにリンクしていた。

こうやって現実としてたち現れると、本当に私達はひとつなんだな~と実感する。



自立と信頼

2022年10月05日 | 目覚め
Facebook、2022年9月11日にあげた記事。

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パートナーが大切にしていることってなんだろう…。

まず仕事。

次に「ひとりの時間」や「勉強する時間」。
これは「自由な時間」とも言えるのかな。

仕事に関しては、もちろん応援しているけど、私が割り込むところじゃないし。

自由な時間については、あぁ…そうなんだな~と思っている。


☘️☘️☘️☘️☘️☘️☘️

パートナーが大事にしていること(世界)に意識が向くなんて、以前の私にはなかった。

それよりも。
私を大事にして。
私の方をむいて。
私を満たしてよ。

私疲れているんだから。
私頑張って大変なんだから。

私、私、私…。

自分の欠落感を相手にうめてもらう。
自分の不安を相手に解消してもらう。

与えてもらうことしか頭になかった。

でも、有形無形どれだけ与えてもらっても。
「ない」にしか目を向けられなかったから、もっと…もっと…となっていた。

言葉に出さずとも。
「私が幸せになるか否かは、あなた次第」って、なんちゅうマインドや😩

あ〜💦💦

ある心理学者の本の中に
「最大の間違いは、相手のことを自分の欲求を満たすためだけに
この世に生をうけた存在だと思ってしまうのです」
とあって…

「これまさしく私だ😓💦」


🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀


そんな私だったから。
ずいぶん長い間、「自立」ということが、全くわかっていなかった。

「自立」の先に「自由」があるのも、わからなかった。

今は、パートナーシップにおいて「自立」と「信頼」は両輪だなぁと感じている。


自転車の二人乗りは、密着度も高いから安心だし楽しい。

でも、それぞれが自分の乗り物で行きたいところに行き、
そこで体験したことを分かち合うのもいいなぁと今は思う。


それはやっぱり、パートナーが「2人の関係は育んでいくもの」
ということを常に実践してくれているから。

一緒にいても。

別々に何かに夢中になっていても。

物理的な距離と安心感は、関係がないんだ…ということがわかってきた。
全てにおいて、自然体でいられるようになってきたことがラクで心地いい。