心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

慢性疼痛における脳内神経回路の組み換え

2022-08-17 13:59:59 | 健康・病と医療

慢性疼痛は“脳が引き起こす痛み”とされ、通常の鎮痛薬では効果が乏しく、医学的にも根治療法は未だ確立されぬままでいます。

そのとき脳の中では、一体どんな神経回路の変化が実際に起こっているのでしょうか?

 

自然科学研究機構・生理学研究所の鍋倉淳一教授らの研究グループは、

2011年に最先端の二光子レーザー顕微鏡イメージング技術を用いて、慢性疼痛(神経障害性疼痛)の際に、

脳の神経回路の活発な組み換え(痛覚関連神経回路の形成)が起こることを発表しました[Kim & Nabekura 2011;Eto et als. 2011;Kim et als. 2011]。

 

ふつう、触覚を伝える神経回路と痛覚を伝える神経回路は分かれていますが、

慢性疼痛(神経障害性疼痛)になると、神経回路の再編が起こり、

「触っただけでも痛い」と感じる――「異痛症」(アロディニア)と言います――痛覚関連神経回路が形成されてしまっているわけです。

 

マウスの坐骨神経が損傷した神経因性慢性疼痛モデルマウスで、脳の1次体性感覚野の状態を調べたところ、

末梢神経の損傷による異常な痛覚により、体性感覚野の神経回路をつくるシナプスが、損傷後数日以内に劇的に変化し、

末梢神経の損傷前に存在していたシナプスは減ったり無くなったりしてしまうのに対して、

逆に、異常な痛覚に応じたシナプスが強くなったり、新たに作られたシナプスがそのまま残り、

その結果、実際に体性感覚野の神経の活動が活発になり、

痛み刺激に対して過剰に反応する(ちょっと触れただけで痛いと感じる)ようになることを見出したのです。

 

そして、その体性感覚野からの過剰な出力を受け、前帯状回(ACC)の活動も活性化し、

これが痛覚を増強し、慢性疼痛を生じていることを明らかにしたのです[Eto et als. 2011]。

反対に、慢性疼痛を起こしたマウスの体性感覚野の神経の活動を薬によって抑えると、

前帯状回(ACC)の活動も抑えられ、マウスの慢性疼痛行動が減ることも判明しています。

 

鍋倉淳一教授らの研究グループは、その後2016年に、この1次体性感覚野における神経回路の組み換え(痛覚関連神経回路の形成)において、

シナプスの形成・除去に作用するアストロサイト(グリア細胞)が重要な役割を果たしていることを明らかにしています[Kim et als. 2016]。

末梢神経損傷の刺激を受けると、1次体性感覚野でアストロサイトが未熟期の性質を再獲得し、トロンボスポンジンという糖タンパク質を放出して、

神経細胞同士のつながりを再編成し、末梢感覚に対して過剰応答する痛覚回路が作られること、

しかもこの再編成された痛覚回路は長期的に維持されることが見い出されたのです。

 

そしてさらに今年2022年には、これとは反対に、

末梢神経からの疼痛入力を薬剤で一過性に抑えた状態で、1次体性感覚野のアストロサイトを人為的に活性化させることで、

治療中のみならず治療後も長期間にわたって、疼痛改善効果の持続に成功したとのことです[Takeda et als. 2022]。

アストロサイトの活性化により、1次体性感覚野の神経回路のつなぎ目であるスパインが除去されること、

特に疼痛形成の時期にできたスパインが除去されやすいことが確認されたことから、

疼痛入力を抑制した状態でアストロサイトを活性化させると、疼痛関連スパインが除去され、

疼痛関連回路の編成組み換えが起こり、異痛症も起こさない回路になっていることが示唆されます。 

 

<文 献>

Kim, S.K. & Nabekura, J., 2011  Rapid synaptic remodeling in the adult somatosensory cortex following peripheral nerve injury and its association with neuropathic pain, in Journal

    of Neuroscience, vol.31, no.14, pp.5477-82.

Eto, K., Wake, H., Watanabe, M., Ishibashi, H., Noda, M., Yanagawa, Y. & Nabekura, J., 2011  Inter-regional contribution of enhanced activity of the primary somatosensory cortex to

    the anterior cingulate cortex accelerates chronic pain behavior, in Journal of Neuroscience, vol.31, no.21, pp.7631-6.

Kim, S.K., Kato, G., Ishikawa, T. & Nabekura, J., 2011  Phase-specific plasticity of synaptic structures in the somatosensory cortex of living mice during neuropathic pain, in

    Molecular Pain, vol.7(1):87.

Kim, S., K., Hayashi, H.,  Ishikawa, T., Shibata, K., Shigetomi, E., Shinozaki, Y., Inada, H., Roh, S. E., Kim, S. J.,  Lee, G., Bae, H.,  Moorhouse, A. J., Mikoshiba, K., Fukazawa, Y., Koizumi, S.

    &Nabekura, J.,  2016  Cortical astrocytes rewire somatosensory cortical circuits for peripheral neuropathic pain, in Journal of Clinical Investigation, vol.126, no.5, pp.1983-97.  

Takeda, I., Yoshihara, K., Cheung, D. L., Kobayashi, T.,  Agetsuma, M., Tsuda, M., Eto, K., Koizumi, S., Wake, H., Moorhouse, A. J.  & Nabekura, J., 2022  Controlled activation of

    cortical astrocytes modulates neuropathic pain-like behaviour, in Nature Communications, vol. 13, article 4100.

 

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慢性痛が不安を引き起こす脳内メカニズム

2022-05-08 18:26:45 | 健康・病と医療

慢性疼痛がうつ病や不安障害と併発しやすいことは、私たちもしばしば遭遇することですし、

また実際に併発率が高いことが、さまざまな研究によってこれまで報告されてきました。

しかしこれまでのところ、その脳内メカニズムは、よくわからないことが沢山あります。

 

そんななかで今回、慢性疼痛が持続的な不安を引き起こす脳内メカニズムについて、

北大大学院薬学研究院の南雅文教授らの研究グループが、

4週間にわたり坐骨神経を部分的に糸で縛り切断することで慢性疼痛状態にされたモデルマウスを用いて、

分界条床核(BNST)から視床下部外側野(LH)への神経情報伝達の抑制が不安の発生・維持に関与していること、

そしてこの抑制を解除すると、不安症状が軽減することを明らかにしました。

分界条床核とは、扁桃体の近隣にあり、組織的にも扁桃体の近縁とみられるため、「拡張扁桃体」とも位置づけられる部位で、

扁桃体が恐怖の中枢とすれば、こちらはむしろ不安の中枢とされる部位です。

 

この分界条床核から視床下部外側野に情報を伝える神経は、これまですでに不安水準の調節に関与していることが報告されてきましたが、

今回の研究で、分界条床核のこの神経が、慢性疼痛時には、持続的に抑制されていることが判明したのです。

そして分界条床核のこの神経を、ケモジェネティクス(化学遺伝学)と呼ばれる先端的な神経活動操作法を用いて人為的に活性化すると、

慢性疼痛のおかげで亢進していた不安が軽減され、

反対に慢性疼痛を与えていないマウスに対して、ケモジェネティクスで当該の分界条床核神経の働きを抑制すると、不安水準が亢進したのでした。

 

では分界条床核から視床下部外側野に情報を伝える神経を、慢性疼痛時に持続的に抑制しているのは一体誰でしょうか。

そこで研究グループは、遺伝子改変動物とオプトジェネティクス(光遺伝学)と呼ばれる先端的神経活動操作法を用いて、

分界条床核のなかで、Cocaine- and Amphetamine-Regulated Transcript(CART)と呼ばれる神経ペプチドを産生する神経細胞を

人為的に活性化させてみたところ、慢性疼痛時に持続的に抑制される分界条床核のあの神経への抑制性入力が増加したことから、

CARTを産生する分界条床核神経細胞が、分界条床核のこの神経の上流に位置する抑制性神経であることが明らかになりました。

そして、CART産生神経細胞の慢性疼痛時の活動を電気生理学的手法により検討したところ、健常マウスと比較して亢進していました。

さらに、ケモジェネティクスを用いてCART産生神経細胞の活動を抑制すると、慢性疼痛の影響を受けて亢進していた不安が軽減されました。

 

こうして慢性疼痛の際には、分界条床核内のCART産生神経細胞の活動が亢進し、

それが視床下部外側野に情報を伝える分界条床核神経を持続的に抑制することにより、不安が亢進していることが解明されたのです。

 

<文 献>

Yamauchi, N., Sato, K., Sato, K., Murakawa, S., Hamasaki, Y., Nomura, H., Amano, T. & Minami, M., 2022  Chronic pain-induced neuronal plasticity in the bed nucleus of the stria

terminalis causes maladaptive anxiety, in Science Advances, vol.8, no.17, eabj5586, pp.1-13. DOI: 10.1126/sciadv.abj5586

 

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脊髄損傷へのiPS細胞移植治療

2022-01-16 19:41:42 | 健康・病と医療

とうとう、慶応大学医学部の岡野栄之教授と中村雅也教授らのグループが、世界に先駆けて、脊髄損傷により手足が動かせなくなった患者に、iPS細胞から作った神経原細胞約300万個の移植手術を実施、順調な経過を辿っているとの発表を行ないました。

脊髄を損傷して2~4週間以内(亜急性期)の患者に対し、iPS細胞から作った神経のもとになる細胞を200万個移植する手術を行ったとのことで、手術後の経過は順調。今後はリハビリをしながら、1年間にわたり運動機能の改善具合や安全性に問題がないかどうかなどを慎重に確認していくということで、今後さらに3人に同様の手術を行って安全性や有効性を確認する計画だそうです。

ただし今回の移植手術の主な目的は、まだあくまで安全性の確認にあり、移植手術の効果そのものにはありません。また今回対象となったのは、亜急性期の患者であって、現実の脊髄損傷の患者の多くを占める、慢性期に至った患者ではありません。さらには、この移植手術によって実際に脊髄の再生が起こったとしても、入念なリハビリなしには有効な機能をもつことにはならず、その場合これがiPS細胞の効果なのかリハビリの効果なのか微妙ともなるでしょう。そうして、iPS細胞の効果と明らかになったとしても、iPS細胞の作製には膨大なコストがかかるとされ、実用化にはさまざまな課題があるでしょう。さらには、仮に後天的な脊髄の損傷である脊髄損傷が完全に治療可能となった暁にも、たとえば特に周産期前後の脳そのもの(しかも大脳基底核)の損傷である脳性まひなどの場合は、なお依然として多くの超えるべき課題を残すことになるでしょう。

いずれにせよ、この移植手術が、今後の医療の世界、そして障がいの世界にも甚大な影響を与えることになるのは間違いないでしょう。

 


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慢性痛の第3類型:痛覚変調性疼痛

2021-11-04 18:50:27 | 健康・病と医療

1979年に国際疼痛学会(IASP)により定められ、定説とされてきた痛みの定義が、2020年7月16日、41年ぶりに改定されることになりました。

→ https://www.iasp-pain.org/PublicationsNews/NewsDetail.aspx?ItemNumber=10475

1979年の旧定義では、「実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはこのような損傷を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験」(An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage.)だったのが、

2020年の新定義では、「実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはそれに似た不快な感覚・情動体験」(An unpleasant sensory and emotional experience associated with, or resembling that associated with, actual or potential tissue damage.)となり、

痛みは組織損傷がなくとも起こりうることが明確にされました。 

 

痛みはそもそも、急性痛(そして亜急性痛)と慢性痛(3か月以上持続または再発する痛み)に分けることができますが、慢性痛はさらに、

①末梢の非神経の身体組織に実際の損傷または損傷のおそれがある時に生じる「侵害受容性疼痛」(nociceptive pain)、

②侵害刺激はないのに末梢神経ないし痛覚伝導路ニューロンの興奮を引き金として生じる「神経障害性疼痛」(neurogenic pain)に加えて、

③2017年にすでに国際疼痛学会は、このどちらでもない、非器質性で、痛む部位に原因となるような異常も見つからず、痛みを伝える脳内の神経回路の可塑的な変化により生じる「nociplastic pain」を提起していました。「noci」は侵害つまり痛みの信号とそれに対する神経の反応、「plastic」は可塑的、つまり神経細胞の興奮や神経細胞間のネットワークが変わりうる性質を意味します。

 

この「nociplastic pain」は、わが国では、これまで便宜的に「侵害可塑性疼痛」(chronic primary pain)等と訳されながら、ずっと定訳が定まらないままでしたが、国際疼痛学会(IASP)の定義変更に伴ない、2020年12月、痛みを伴う疾患の病態や治療に関する研究を行う8学会(日本疼痛学会,日本ペインクリニック学会,日本慢性疼痛学会,日本腰痛学会,日本運動器疼痛学会,日本口腔顔面痛学会,日本ペインリハビリテーション学会,日本頭痛学会)が連合して「日本痛み関連学会連合」を発足し、つい先日の10月2日に開催されたシンポジウムの場で、当学会連合の最初の成果として、「nociplastic pain」の日本語訳を「痛覚変調性疼痛」に決定したことが発表されたのでした。

→ https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/3443_04

「痛覚変調性疼痛」は、「機能障害性疼痛」(dysfunctional pain)ともいわれ[Woolf 2010]、ICD-11によって公認された「1次性慢性痛」(chronic primary pain:組織損傷や炎症の存在がない痛み)[Nicholas et al.2019]にも相当し、痛みへの恐怖、不安、怒りやストレスといった心理社会的な要因が大きく関係し、国際疼痛学会(IASP)も1994年頃には「侵害受容性疼痛」「神経障害性疼痛」に対して「心因性疼痛」と呼んでいた時期もあったほどですが[Merskey&Bogduk 1994]、それらの心理社会的な影響で神経回路が変化し、痛みを長引かせ、悪化させるとみられているものです。今や国際疼痛学会(IASP)が、「"心理社会的"疼痛という概念は、慢性疼痛のメカニズムを説明するものとして、今後、使用すべきものではない」と提唱するのも[Nicholas et al.2019]、その痛みの心理社会性を物語って余りあるものです。弱い刺激でも強い痛みが生じる「中枢性感作」や、身体の広い範囲が痛む「広汎性痛覚過敏」「異所性痛覚過敏」としても現われます。<からだ・こころ・社会>の三重の視点で疾病も捉えるべき最も代表的なケースの1つとは言えるでしょう。

<文献>

Merskey, H. & Bogduk, N., 1994  Classification of Chronic Pain. Descriptions of chronic pain syndromes and definitions of pain terms. 2nd edition, Seattle: IASP Press. http://www.iasp-pain.org/Education/content.aspx?ItemNumber=1698

Nicholas, M., Vlaeyen, J.W.S., Rief, W., Barke, A., Aziz, Q., Benoliel, R., Cohen, M., Evers, S., Giamberardino, M.A., Goebel, A., Korwisi, B., Perrot, S., Svensson, P., Wang, S.-J., Treede, R.-D., The IASP Taskforce for the Classification of Chronic Pain, 2019  The IASP classification of chronic pain for ICD-11 : chronic primary pain, in Pain, vol.160, no.1, pp.28-37.

Woolf, C. J.,2010  What is this thing called pain?, in Journal of Clinical Investigation, vol.120, no.11, pp.3742-4.

 


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コロナ後遺症と慢性疲労症候群

2021-10-27 17:30:11 | 健康・病と医療

コロナ感染の後遺症として、味覚障害や倦怠感・脱力感だけでなく、慢性疲労症候群もありそうなことが、患者会のインターネットアンケートで明らかになったといいます(2021.10.27東京新聞夕刊)。全国から141人の回答者のうち、29人(21%)が慢性疲労症候群と診断され、37人(26%)が慢性疲労症候群の疑いと診断されたとのこと。

 


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