映画日記(ためし)

映画の印象を、悪い、ふつう、よい、の三段階で表現したいと思います。
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『気狂いピエロ』

2007年08月19日 | Weblog
よい
ジャン=リュック・ゴダール 監督
ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ、グラツィエラ・ガルヴァーニ、 ダーク・サンダース、ジミー・カルービ、サミュエル・フラー、レイモン・ドボス 出演

オールシネマオンライン
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=5335
からの引用

ジャン=リュック・ゴダールの描く、「勝手にしやがれ」と並ぶヌーヴェル・ヴァーグの代表的作品。映画的文法に基づいたストーリーというものはなく、既成の様々な映画の要素を混ぜ合わせ、光・色・音等を交差させて、引用で組み立てられた作品。「勝手にしやがれ」のジャン=ポール・ベルモンドを主演にして、ただただ破滅へと向かってゆく主人公の姿を描いた本作は、今にしてなおファンの間では“伝説”とされる、最も過激で刹那的なアナーキー映画である。主人公が顔中にダイナマイトを巻き付けて自爆するラストシーンは圧巻であり、同時に“美しい”映画史に残る名場面。原作はライオネル・ホワイトの『十一時の悪魔』。

自由な映画。映画で自由を感じさせてくれる作品。
上記の解説とはすこし違うかもしれないが、映画的文法とは「お決まりごと」のことである。ストーリーはわかりやすく、音声は聞き取りやすく、自然な演技で、「こしらえもの」であることを観客に意識させず、作品に集中させる。
それらをことごとく裏切ることによって、観客に衝撃を与えふつうの作品に飽きていた者に喜びを与える。

ストーリーは立派に存在し、人生に飽きている男がむかしの女と偶然再会し、これまでの社会から逃亡を企てようとする映画。
むかしの女と再会するところは恋愛映画の要素だし、逃亡するところはロードムービーの要素もある。

数十年ぶりにDVDで観たが、映画館で観たときよりも美しい映像であった。
写真はむかし驚いた、人工的なライトのシーン。

『おかしなおかしな大追跡』

2007年08月19日 | Weblog
おかしなおかしな大追跡 - goo 映画
よい

ピーター・ボグダノヴィッチ 監督
バーブラ・ストライサンド、ライアン・オニール、ケネス・マース、オースティン・ペンドルトン、ソレル・ブーク、ステファン・ジェラッシュ、メイベル・アルバートソン、マデリーン・カーン、ランディ・クエイド 出演

博識多才なオテンバ娘と、音楽理論学会にのり込んできた田舎青年が、まったく同じ形の4つの旅行カバンのおかげでとんでもない大事件にまき込まれていくコメディー。

バーブラ・ストライサンドがまだかわいかった頃の作品。
したがって、テンポがいまの作品とは違ったり、脚本的に謎の部分がのこったりする(なぜ、バーブラ・ストライサンドはライアン・オニールを違う名前で呼ぶのか? など)が、それらをさしひいてもむちゃくちゃ楽しい作品。

ギャグに力をいれていて(コメディだから当然なのかもしれないが、最近ここまでのものはないぞ)、冒頭の「イエス、ユーニス」から、部屋を出られない男、三台の車が同じ車にぶつかるところまで、しっかりと楽しめる。