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阿難と釈迦

2014年09月08日 00時05分16秒 | 生き方
   然して後に正覺を成ずべし 【授学無学人記品第九】

   ★★ きょうの謎!

   その謎1:阿難は釈迦と同じく応身の如來になるのでしょうか?
   
   その謎2:佛の寿命や正法・像法の長さは、衆生を憐れむ気持の強さで
        定まるのでしょうか?

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   ■■第4-9号

    然して後に正覺を成ずべし 【授学無学人記品第九】

   ■■今日の一偈一句


   阿難、是の山海慧自在通王佛は、十方の無量千萬億恒河沙等の諸佛如來

   に、共に其の功徳を讃歎し稱せらるることを爲ん。爾の時に世尊、重ね

   て此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく

    我今僧中にして説く 阿難持法者 當に諸佛を供養し 然して後に正

    覺を成ずべし 號を山海慧 自在通王佛といわん 其の國土清淨にし

    て 常立勝旛と名けん 諸諸の菩薩を教化すること 其の數恒沙の如

    くならん 佛大威徳ましまして 名聞十方に滿ち 壽命量あることな

    けん 衆生を愍むを以ての故に 正法壽命に倍し 像法復是れに倍せ

    ん 恒河沙等の如き 無數の諸諸の衆生 此の佛法の中に於て 佛道

    の因縁を植えん

     
    (法華經授學無學人記品第九;十七行~二十六行より引用)
    
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      1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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   阿難よ、この山海慧自在通王佛は、十方の無量・千・萬・億・恒河沙等

   の諸佛如來に、共にその功徳を喜び合い称えられることを得るようにな

   るのだ。その時に世尊、重ねて今の誓いを宣べたいと欲して、偈頌を説

   いて言わく

    我は今教団の中にして説く 阿難持法者は 正しく諸佛を供養し し

    ばらくして後に正覺(しょうがく:佛のこの上ない正しいさとり)を

    成ずべし その號を山海慧自在通王佛(さんかいえじざいつうおうぶ

    つ)という その国土は清淨にして 常立勝旛(じょうりゅうしょう

    ばん)と名ける 諸々の菩薩を教化すること その数は恒沙の如くで

    あろう その佛には大威徳がありあふれ その名聞は十方隅々に満た

    される 寿命は計り知れない また衆生をあわれむ結果として 正法

    期間は寿命の倍であり 像法もまた更に倍である 恒河沙等の数のよ

    うに 無数の諸々の衆生は この佛法の中に於て 佛道の因縁を植え

    られる

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      2. 今 日 の 説 法 !   (集)
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   釈迦は阿難への授記の最後に、成佛後の三界得自在通王佛は、東西南北
   ・四維・上下の十方のあらゆる諸佛如來に絶大な協力を得ながら成立す
   ると念を押しています。

   そして、釈迦は再度、偈をもって僧中にして説くとは、教団の内部とし
   て説くと言っているわけです。
   また、阿難持法者の持法者とは、特に教団の中でも一番大事な法典を責
   任もって護持する役割りを多聞第一の阿難へ受け持たせているというこ
   とであり、いわゆる法の保管・管理者、公共的にいえば行政庁です。

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   阿難はこの先、多くの諸佛を供養した後、しばらく期間を置いて正覚を
   成ずるということは、諸佛供養を施した後、諸佛からの査定を受けて、
   佛の最も正しい智慧、つまり悟りを得ることを達成する、つまり成佛す
   るということです。

   その成佛の號は、山海慧自在通王佛、国土は清淨であり、常立勝旛であ
   り、その国に住む菩薩を教化することを行い、その菩薩の数は恒沙、つ
   まりガンジス河の畔に散らばった砂の数に匹敵するということです。

   佛は大威徳、つまり自然大神力が強勢で、その名を聞く者は十方に満ち
   溢れるといいます。
   その寿命は量知ることを知らず、その国の衆生をあわれむが為に、正法
   は寿命を倍にした長さであり、像法はまた更にその倍であるということ
   です。

   ガンジス河の砂のように無数のさまざまな衆生は、皆この佛の法の中で、
   佛道の因縁を植えられると説いています。

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      3. 今 日 の 謎 !   (滅) 
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   まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
   その謎1:阿難は釈迦と同じく応身の如來になるのでしょうか?
   
   その謎2:佛の寿命や正法・像法の長さは、衆生を憐れむ気持の強さで
        定まるのでしょうか?

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      4. 今 日 の 知 識 !   (道)
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   今回は、釈迦は、阿難に言い渡した授記を繰り返し偈頌をもって述べた
   のでした。
   偈頌(げじゅ)とは、韻文形式で散文の部分を繰り返し説くもので、前
   の説きに関し補足した内容が述べらていることがあります。
 
   なお、義を宣言するとは、意気込みを表しているに等しいと思います。
   これに対し、事を述べるとは事実を言う又は行うということになると思
   います。
   では、どちらも真実には至っていない行為かといいますと、確かに真実
   ではなくとも、真実を目指す為の目標を実行し、その実行の始まりが義
   で、終りが事ではないかと考えられます。

   ところで、釈迦は弟子たちに次から次へと授記していますが、授記をさ
   れて過去の功績及び将来あるべき姿を認定・指定される者にとっては、
   これは最高に有り難い事実なのです。
   しかし、授記を与えたからその言い渡しが事実を生じたといいうことで
   はなく、佛にとってはこの段階はまだ義なのであります。

   阿難は、釈迦にとっては従兄弟なのです。ですから、将来へ向って組織
   の内輪の中での義、つまり義理を強く植えたい思いがあるのでしょう。
   阿難(梵名はアーナンダ:阿難陀)は釈迦の晩年の25年間、侍者とし
   て身近に仕えたといいます。
   そして、釈迦の最期の臨終に最も身近に伴っていたのも阿難だったとい
   います。

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   釈迦の最後の旅といわれているのは、自身の死期を悟った釈迦は、なぜ
   か生まれ故郷の地へ戻る旅を計画したそうです。
   その際にインドで一番大きな河、ガンジス河を弟子達と横切って、物凄
   いフルスピードで一瞬にして渡りきったそうで、今でこそ未踏のギネス
   ブック級だったのでしょう。

   それこそが此岸から彼岸へ渡るといういことなのでしょうが、釈迦にと
   って生まれ故郷こそ、別な彼の岸だったのか、或は彼の岸こそが生まれ
   てきた元のあの世の浄土、つまり悟りの世界だったのかもしれませんね。

   ところが、釈迦は一行と共に生まれ故郷にたどり着けないまま、臨終を
   迎えることになります。
   阿難をはじめ、一行の弟子達は釈迦の死が近づいたことを嘆き悲しみま
   す。
   その中で釈迦は弟子たちにこう言い残したといいます。
   「修行者たちは葬儀に関わるな」と。
   
   これは、佛教に於いてはとても重要な意味があるそうです。
   人間の命は、死んだら失われるというのが釈迦の考えだったそうで、そ
   れがインドでは釈迦より古代から言い伝えられて来ている理想の尊い死
   に方だったらしく、死んだらただ単に焼かれて、灰はすべて川へ流す風
   習が特に偉い人物こその死後の最常識だったといわれています。

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   しかし、実際には釈迦の葬儀は駆けつけた摩訶迦葉が執り行ったらしい
   ですが、おそらく、臨終を共にいた侍者阿難たちは、遺言どおりに葬儀
   には参列しなかったのではないでしょうか。
   ただ、釈迦の願いどおりに、ガンジス河の畔で焼かれ、灰となった遺骨
   はそのままガンジス河へ流されたのではないでしょうか。

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      5. 今 日 の 解 脱 !   (解)
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   阿難は釈迦の晩年25年間仕えたといいますが、その晩年とは釈迦が、
   55歳くらいの時からということになりますよね。
   ところで、阿難は釈迦の従兄弟であるわりに釈迦が55歳になるまでは
   弟子入りしていなかったのかと考えますと、だいぶ遅いように感じます。

   おそらく、阿難の方がだいぶ年下で、幼い頃から釈迦と仲がよかったと
   いうよりも、阿難にとって釈迦の偉大さや特殊な人生観に対し、あまり
   親近感をもてないタイプだったのではないでしょうか。
 
   何か言いたいことも言いそびれる、そんな感じが阿難にはひょっとした
   ら有りがちだったのかもしれません。
   しかし、阿難は侍者を務めるだけのしっかりした意思のある修行者のな
   のですが、そのあたりが実際の従兄弟同士こそ実は分かり合えないよう
   なところがあったのかも知れませんし、また、よく知っていたとしても
   お互いが似たように、どう説明しあって良いかが解からないという感じ
   があったのかもしれません。 
   
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   ところで、どちらもはっきりした強い主張性を持っているのは、従兄弟
   だけに実はよく似ていると考えられます。
   そういう面で、この品は素朴で通常な従兄弟同士の葛藤を尊重しあう状
   況が描かれているように思えます。

   そういう従兄弟関係のおいて、成佛授記を与え、従兄弟なんであるから
   同じような種類の如來に成るのだと教えているのではないでしょうか。
   それは神仏の夢物語ではなく、現実社会での釈迦が行ってきた人間とし
   ての義務感の教えではないでしょうか。

   つまり、応身としてこの世へ生まれて来て、同じように衆生の面倒を見
   るという、衆生への思いやりや情けは同じような性質をもっているだろ
   うし、持っていかなければならないようにと予測と期待をかけてのこと
   だったのでしょう。

   そして、釈迦族の血は長く永遠に続くのだという、一種自らの血を尊び、
   血族をとても大事に考える性質や念が、釈迦にこそ強い願いがあること
   がここにズバリ現されているのではないでしょうか。

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      6. 今 日 の 振 り 返 り !
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   釈迦は、若い時分に王の座を捨てても良いと判断したとしても、実際の
   ところは歳を重ねると共にやはり自分の居た王族という種族の維持には
   強い未練をもっていたと考えられます。

   その現実性が釈迦を通じて真実の人間の生き様を後世に伝えてくれてい
   ると考えて良いと思います。
   釈迦が城を捨てて出家した時、多くの既存の別の王族は馬鹿な早合点だ
   と笑ったり呆れたことでしょう。

   それも、ほとんど誰にも迷惑は掛からなかったという、表立った対立ま
   では生じない腑抜けた奇妙な状況でもあったかもしれません。
   誰かが突飛に新しいことをしだした時、それが正しいと解かっていても、
   実際には難しくて解かりにくいことであると、とかく誰もが知らん振り
   になってしまうという、味気ない人間世界を体験してしまうということ
   にもあるのでしょう。

   しかし、そういう状況こそが一番の苦しみなのかもしれませんね。
   何か新しい正しいことをしようとする者は、この不可思議な苦しみを解
   決していかなければなりません。
   実にこれは、苦しみの中でも最も解明の難しい苦しみなはずですから。

   その時、如來は舞い降り、すべてに満遍なく無量の義を植えつけるので
   す。   
   


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