朝日新聞が、先日の紅白歌合戦でサブライズケストとして登場したサザンが叩かれてる話を記事にしていた。
【朝日】サザン「ピースとハイライト」は政権批判? 解釈で波紋
http://www.asahi.com/articles/ASH155SJLH15UTIL02G.html
ツイッターのまとめとかを読んでみると、「サザンのアレが反日とか、アホとちゃうの?」的論調と、「許すまじサザン!」ってな論調が完全に二分してて、桔抗しているように見える。
そんな中、上の朝日の記事は事実のみを淡々と伝えているように見せて、「政権批判だ!」と息巻いている連中がバカに見えるように考えられている。
そう。まるで「淡々と事実を伝えれば、アレが政権批判であると言ってる連中の被害妄想であるのは明らか」とても言っているかの如くなのだ。
ちなみに。俺はサザンのアレはモロに政権批判だと思う派だ。
サザンのパフォーマンスを「よくやった」と称えている面子を見れば、―目瞭然なんだけど…。それだけでは、あれを政権批判だと断言する根拠としては弱いと思うんだよなぁ。
アレを政権批判だと間違いなく認識するには、ピースとハイライトがお披露目された時の様子をちゃんと知る必要があるのだ。
ウチでも当時エントリしたので、ご存知でない方は読んでおく事をお勧めしておく。
【拙】サザンとあの法則
http://blog.goo.ne.jp/jpakiyo/e/c6395202d5a6f87aa2d533763caa7129
▲歌詞の一部は有田芳生謹製
▲プロモに、ランドセルを背負った安倍総理が韓国と戦う映像
これを見てれば、あれが政権批判なのは間違いないのだ。
そこに触れず、現在非難されている部分だけ抜き出して記事にするのは卑怯だ。
ここで、上記朝日の記事を引用してみよう。
この「都合のいい大義名分」を、集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更に重ね合わせて聴いた視聴者らがネットで反応した。曲名を「平和(ピース)と極右(ハイライト)」と読み替えたり、「裸の王様」を安倍晋三首相への揶揄(やゆ)と受けとめたり――。
朝日の記事は事実しか書いていない。
しかし、これぞ俺がよく使う
「しかし本当の事は何一つ書いていない」なのである。
この解釈は、ピースとハイライトがお披露目された時の過激なプロモを見れば明らかなのだ。芸術に解釈は自由だが、これほど解釈が限定されてしまう歌はむしろ珍しいと言っても過言ではない。
朝日の記事を読むと、「あれは政権批判ではない」とは
一言も書いていない。この記事をどのように解釈するのかは、読者に委ねられているわけだ、
卑劣。
朝日は「攻権批判ではない」と言い切ってしまえば、物議をかもした「ピースとハイライト」の初回プロモを引き合いに出され、論破される事を恐れているのである、いや、恐れているのではなく、自分たちが責められない立ち位置に立っているのだ、
真実を伝えない朝日新聞。
それをまざまざと感じさせる記事であった。これぞまさに言葉の力だ。
サザンのあの歌で賛否が二分しているのは、正確に全ての情報を記事にしていない、マスコミの力である。「サザンの歌が体制批判とかアホか」派のすっとぼけを許しているのは、マスコミの力なのだという事を、強く認識しておいて欲しいと思う。
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